ロマーノから訪ねて来たのに珍しく平和なお茶会。
不機嫌さは感じさせない、それでもパッと見は不機嫌に見えるその顔を窺いながら、スペインはカップに口を付けた。怒っている時も、悲しい時も、褒められて照れている時でさえ、口を真一文字に結んで黙りこくってしまうものだから、慣れない内は何が気に入らないのかと焦ったものだ。
「なあスペイン」
「んー?」
「俺は、女の代わりなのか?」
***
青く晴れ渡る空を映してゆるやかに流れる川。この川を越えてもう少し行けばイタリアの家で、さらに行けばロマーノの家に着く。ここはまだフランス領だ。
橋の欄干に手をついて、スペインは川面を覗き込んだ。
昨日の答えはまだ返せていない。
子供がなぜ空は青いのかを聞くような調子での問いかけ。混乱に混乱を重ねたスペインに、ロマーノは別段腹を立てる様子もなく、早めに答えろとだけ告げて再びお茶を飲み始め、帰って行った。
答えは出ている。だから今日、伝えに行くのだ。
だが。
「どないしょうかなあ」
「牛は扱えるけど馬は慣らせないってか?」
「おわあ!」
見通しの良い橋の上で、すぐ隣にフランスが来ても気付かないほどに考え事に熱中していたらしい。
声を上げて飛び退くスペインに、フランスは肩をひょいとすくめた。
「ロマーノならいくらでも預かってやるぞ。領内横断するの見送るのもいい加減飽きてきたしな。別に俺はお前と兄弟になっても構わないし」
ニヤリと笑って言う。だが、フランスの予想に反して、
「……ロマーノがそれでいいなら、俺は止めないよ」
スペインは顔を歪めたものの、駄目だとは言わなかった。
「おいおい、薄情だな」
「だってそうだろ。無理やりならこっちも手を出すかもしれないけど、ロマーノはもう俺の保護下にないんだ。合意の上でなら干渉できない」
「そうじゃなくて、お前ら付き合ってんじゃないのか?」
あっさり返してきたスペインに、フランスは茶化すのを止めてストレートに聞く。
「それなんだけど……俺とロマーノは、恋人なのか?」
対岸の、ロマーノの家の方角を見ながら、スペインは逆に尋ねる。
さっきから悩んでいたのはそのことらしい。
「違ったのかよ。俺はてっきり行くとこまで行ってると思ってた」
「ああ、セックスはしてるよ」
スペインはさらりと言った。
「……お前、それで恋人かどうか分からないって非道くないか?」
「フランスだって体目的で女の子誘ったことぐらいあるだろ」
「いや、それとこれとは話が別だろ! お前がどれだけ長い間ロマーノといたと思ってるんだよ! それを体だけって……処理なら別にあいつじゃなくてもできるだろ!?」
強い語調で憤慨するフランスを横目で見て、
「俺だって、そんなつもりじゃなかったよ。でもロマーノはそう思ってたみたいでさ。そんな思いさせるくらいなら拒絶されてた方がずっと良かったし、俺も諦められたのに」
溜息と共に吐き出すと、口を噤んだ。
スペインは川面に視線を落として、また考え込んでいる。
フランスは空を見上げて、同じように何かを考えている。
「なあ」
先に口を開いたのはフランスだった。
「お前はロマーノが好きだから抱いたんだよな?」
「当たり前だろ」
「それをロマーノに言ったか?」
フランスはスペインに向き直った。
スペインは目を細めて記憶を探った後、答える。
「言って……ないかもしれない。少なくとも理由を説明する形では言ってない」
「それだバカ! さっさと行って言って来い!」
「ええ!? でも、」
「いいから行けよこの大バカ野郎!!」
まだ何か言おうとするスペインを領地から追い出すと、フランスは一人ごちた。
「損な役回りだよな……惚気話聞かされたようなもんじゃないか」
***
刑罰執行前の罪人とはこんな気分なのだろうか。
スペインは目の前に置かれたコーヒーを一心に見つめて、ロマーノの顔を見ないようにしていた。
「答え」
執行の合図。
スペインは短く、深く息を吸った。
「俺は、ロマーノを女の子の代わりやなんて思ってへん」
「……そうか」
声に落胆の色が混じった気がして思わず顔を上げる。
視線がかち合う。
びくりとしたロマーノが顔を横へ向けた振れで、落ちた涙の雫。
「なんで、なんで泣くねんな。代わりなんかとちゃうって言うてるやんか」
慌てて立ち上がったスペインは、机の反対側、ロマーノの隣まで歩み寄ろうとして、
「来るな!」
ロマーノの叫びに身を竦ませる。
足を止めたのは、互いの体に触れられない、ぎりぎりの距離。
俯いて奥歯を噛み締めて、ロマーノは搾り出すようにして声を出した。
「頼むから、もう、いつもみたいにするなよ」
「そんなん言われたかて、俺、他の接し方知らんで」
制された距離から近づくこともできず、スペインはもどかしげに言う。
「優しくなんかしないで、ヤりたい時にだけ俺を使えばいいじゃねぇか!」
跳ね上げるように顔を上げる。流れ続ける涙も、射るような眼差しを弱めることはない。
「ロマーノ、俺は」
「スペインが俺を見てくれるなら、代わりでもいいって思ってた。誰か好きな女がいて、でも会えないとかでも、抱いてる間の時間は俺が貰えるなら全然別の人のこと想ってても構わないって。けど……違うんだろ? ただのはけ口だっただけ、なんだろ?」
空気すら重く感じられる空間に、涙が衣服に零れる音だけが軽く響く。
「……ロマーノって俺のこと好きやったん?」
質問というより確認。
場違いだとは思いつつも、スペインはそれを口にせずにはいられなかった。
「悪いのかよ、バカヤロー」
しゃっくり交じりの返答。乱暴に手の甲で顔を擦る。
その言葉を聞くが早いか、スペインは一息で間合いを詰め、涙を拭うその手を押さえた。腕を奪われたロマーノの顔が、恐怖で引きつる。
スペインは床に膝を着き、手首を握った手を掌へと滑らせて、手の甲にキスした。
「俺がロマーノを好きやから、抱きたいと思ったから、抱いてん」
硬直したまま目を逸らせないでいるロマーノを、スペインはしっかり見据えて言った。
「誰かの代わりなんかじゃないし、ただセックスしたかったからでもない。ロマーノと、お互いのことしか考えられへん瞬間が欲しいって思ったから、抱かせて欲しいて言うてん。ごめんな、俺がちゃんと言葉にせんかったせいで、ずっと一人で辛い思いしててんな。俺は、ロマーノが好きやで」
「……たって」
「え?」
「じゃあ、キスしたって」
口を尖らせ眉を寄せて、拗ねたように言う。涙でぐしゃぐしゃになった顔が赤いのは、泣いたからか、叫んだからか、照れているからか。
立ち上がり微笑んで、ロマーノの頬に手を添えたスペインには、もちろん分かっていた。