【伊ロマ(西←ロマ前提):自縄自縛】

「ただいまー」
 リビングのソファーに座っていたロマーノは、猫が物音に反応するように顔を上げて、またすぐに雑誌に視線を落した。
「にーちゃーん、おかえりくらい言ってよぉ」
 ヴェネチアーノはロマーノの隣に腰掛けると、肩口にぐりぐりと頭を押し付けた。ロマーノは頭をぐいと押し返して、邪魔くさそうに尋ねる。
「……どうだった?」
「うまくまとまったよー。来月には公示できるんじゃないかな」
「ふーん」
 ヴェネチアーノは嬉しそうに笑ったが、ロマーノは興味がないことを隠そうともせずに鼻で返事した。
「それでね、スペイン兄ちゃんちに泊めて貰ったんだけど」
 言葉を切ってロマーノを見ると、相も変わらずつまらなさそうな顔で雑誌を見ている。
「いつでも泊まりに来ていいってさ」
 雑誌と顔の間に、キーリングに一つだけ掛かった鍵を差し入れる。ロマーノはうっとうしいとヴェネチアーノの手を払った。
「いらない?」
「誰が。お前が貰ったんだろ。使ってやれよ」
「俺もいらないよ」
 言うなり、鍵をローテーブルの脇のゴミ箱に向って投げた。空だったゴミ箱は、ウッドブロックを叩いたような小気味よい音を立てた。
「おいヴェネ…」
「しよ?」
「……バカかお前。帰ってきたばっかだろ」
「ずっと我慢してたんだもん」
 さっきから一ページも進んでいない雑誌をロマーノの手から抜き取って、テーブルの上に投げ載せた。形だけの抵抗を見せる体をソファーに沈める。
「いい?」
「好きにしろ」

 *

「……お前さ、金あるんだろ。女買うとかしろよ」
 室内灯の光を避けて目の上に腕を乗せて、ロマーノは掠れた声で言った。
「やだよ。兄ちゃんがいい」
 平然と答えられて「俺が嫌だ」と言い返そうとしたが、それが言えた立場ではないことを思い出して、代わりにつこうとした溜息も飲み込んだ。
「兄ちゃんはいつも一回終わってから言うよね」
 ロマーノが答えずにいると、ヴェネチアーノもそれ以上何も言わなかった。
 ヴェネチアーノが衣服を整える音を聞いていたロマーノは、行為に不慣れだった弟が、いつの間にか後始末の楽なやり方ができるようになっていることに気付いて、やり場のない靄が胸の中に渦巻くのを感じた。
 ネクタイを締め直したヴェネチアーノは、今から上司に報告にでも行くのだろう。
「鍵、拾ってもいいから」
 リビングの戸が閉まる直前に放たれた言葉への正答は、ロマーノには分からなかった。

【伊兄弟:二人の誕生日】

【Side: ロマーノ】
 暗くて時計が見えないから時間は分からない。隣に寝ているヴェネチアーノは、いないと錯覚するほど静かだ。シーツ伝いに手を伸ばすと、思ったよりも早く、温かいものに触れた。さらりとして肌をしばらく触って、手だということを確信する。手首を合わせて掌を重ねて、大きさを比べてみようと、ゆるく曲がった指を伸ばそうとすると、するりと逃げられた。
 ヴェネチアーノと指を絡めさせる形になったが、どちらの手が大きいかなんてどっちでもよかったから、ロマーノはそのまま自分の手の力も抜いた。
(やわらかいな)
 今まで触れていたスペインの手とは、大きさも感触も違う。他の部分より少し堅くなっている指の付け根ですら、スペインのそこよりずっとずっと柔い。似合いもしない剣を提げていた弟の姿を思い出して、ロマーノは忍び笑いを漏らした。
(これじゃ守って貰うのは無理だな……俺も一緒に頑張らないと)


【Side: ヴェネチアーノ】
 遠慮がちに絡ませられる指がくすぐったい。
(スペイン兄ちゃんだと思ってるのかな)
 頭をかすめた「手を握り返す」という考えを、スペインの代わりになりたいわけではないからと、打ち消した。誰かと寝間を共にするのは本当に久しぶりで、身内と一緒だなんて祖父が消えて以来なのだ。国の利益のためでも、円滑な関係のためでもない、自分の単純な郷愁を優先したって怒られはしないだろう。
「ヴェネチアーノ」
 不意に潜めた声で名前を呼ばれて、一瞬、指先が強張った。狸寝入りを諦めようとしたが、さっきまで本当に寝ていたせいで声が出なかった。
「……寝てるのか?」
 ロマーノの手が枕から探り動いて、頭に触れて、ぎこちなく動いた。手が離れてから、ヴェネチアーノは撫でられていたことに気付いた。繋がれたままの手が緊張で汗ばんできている気がするが、身を起こしているらしいロマーノに若干の体重を掛けられているから、どうやっても自然には放せなさそうだ。
 深呼吸する気配ののち、ぼふんという音がして地面が揺れた。ヴェネチアーノは何が起きたのか把握しようとしたが、何も起きてはいなかった。隣からは寝息が聞こえていた。
(間違えたんじゃ、なかったんだ)

【伊ロマ:もっと一緒にいたいとき】

「今何時だ?」
 自身の左手首を見、時計をし忘れてきたことに気付いたロマーノは、視線をヴェネチアーノの左手に移動させた。
「ごめん俺も持ってないや」
 ヴェネチアーノはグラスを置いて両手を開いて天井に向けた。目を眇めたロマーノは、手を伸ばして左肘を掴んだ。腕とシャツの間に挟まった硬いもの。ヴェネチアーノは残念そうに呻いて腕を下ろした。袖の中から滑り落ちてきた時計を掌で受け止める。
「バレないと思ったんだけどなあ」
 テーブルの上に時計を置いて、いじけたように指でつつく。
「伊達にスリやってねーよ」
「それ自慢にならないよ」
「生活術だ。だいたい、俺相手にんなことやってどうすんだよ」
 童貞のくせにとロマーノは笑った。それ関係ないよとヴェネチアーノはむくれる。
 時計をひょいと摘まんで、ロマーノは文字盤を見つめた。
「安物だよ」
 ヴェネチアーノは、ロマーノのグラスと自分のグラスに酒を注いだ。澄んだ紅色の中を、無数の小さな泡が昇っては消える。
「そうみたいだな」
 戻された時計が指していたのは、最後に見た時刻より二時間近く前だった。

【「兄弟」】

 目が覚めてから、眠っていたと気付いた。
 夢の中でロマーノと話していた。お互いの話し方は他人行儀というか、まったくの他人に対する話し方で、わざとやってできるようなものではなかった。ロマーノのツンケンした態度はなりを潜め、顔馴染みと話す気軽さで、自分も親しい者にするようなスキンシップは取らない。
 夢だと気付いて初めて、あの人物が兄だという認識をして、胃の据わりが悪くなった。

「このバカ弟め、今頃起きて来やがったな」
 ちょっと考えて、
「ごめん」
 朝食当番が自分だったことを思い出した。
「起こしてくれたらよかったのに」
「どうせなら明日の朝まで寝ちまえばよかったんだ」
 そうしたら食費が浮く、と言って、ロマーノはパンの入った袋を脇によけてマグカップを置いた。中のスープから立つ湯気が鼻孔をくすぐる。
「兄ちゃん」
 返事はなかったが、意識はこちらに向いていると思う。
「ありがと」
 きっと食事のことだと思っているだろうし、正直何に対する礼か説明できる自信もなかったからそれでいい。特に恐怖も嫌悪も感じない夢だったが、案外引きずりそうだとぼんやり思う。
 スープは沸騰していてた上に、煮詰まって塩辛かった。