【伊兄弟+独:あまのじゃくの葛藤】

「そう言えば……」
 ヴェネチアーノの絵を見ていたドイツが口を開いた。
「イタリアの兄は絵は描かないのか?」
 いつ、どこを、どう叩けば、相手に一番ダメージを与えられるのか。
 ――お前は日常生活でもそんなことを考えているのか?
 絶妙なタイミングで己の劣等感を揺り起こす発言をしたドイツを、必要以上に睨まないよう注意しながら、ロマーノは熱くなった血が冷えるのを待った。コアラのようにドイツの背に密着したヴェネチアーノの、ドイツとロマーノの間を行き来する視線から滲み出る焦りが、さらに苛立ちを煽ってくる。口を開かないだけ上出来だ、とロマーノは自分とは比べものにならないくらい優秀な愚弟を心の中で賞賛した。
「俺は描けねーよ」
 ヴェネチアーノの様子が鬱陶しくなってきたところで、ロマーノは吐き捨てた。「そうか」と短く返したドイツは、あからさまにホッとしていた。

「描けないわけじゃないのに」
 ドイツを帰してから、ヴェネチアーノは非難めいた口調で言った。拗ねているようにも聞こえたそれは、実際に拗ねていたらしい。子どもじみた仕草で体を寄せてきた弟を、ロマーノは乱暴に押しやった。
「描けないっつった方が早いだろうが」
 そんな趣味はない、と言った方が丸く収まったことくらい分かっている。ドイツにとっては「マスタードは付けないのか?」といった程度の質問だったのだ。深読みする方がどうかしている。
「……兄ちゃんの嘘つき」
 ヴェネチアーノの呟きを独り言だと片付けて、ロマーノは腹の内でくすぶっている感情を無視する作業に戻った。あいつは本物の嘘つきを見たことがないに違いない。ロマーノはひっそり深呼吸した。

【伊兄弟:独立した日に】

 風がごうごうと音を立てて通りすぎてゆく。止むことのない音に挟まれていると、手を伸ばせば触れられるところに兄がいることを忘れそうだった。こうして空を眺めている間に、もしいなくなっていたとしても、すぐには気づけないだろう。風の通る道を塞いでしまえば孤独感は消えるのだろうが、実行する気にはなれなかった。憚るべき人目はなく、近づいたって邪険にされることもないだろうが。
 見上げた空は日暮れが近いことも知らないような青空だったけれど、水平線には、海から噴き出しているような分厚い雲がかぶさっていた。吹く風の強さとは裏腹に、雲は絵画のように動かない。夕日を見に行こうと誘われて付いてきたものの、この分では沈む瞬間は見られそうになかった。兄はそんなことは気にしていないような、夕日を見ること自体に興味がないような表情で、正面を見つめ続けている。
 ――後悔してる?
 そう尋ねたい気持ちは時間と共に膨れあがってきたけれど、たぶん一生……もし誕生日が変わることがあればその時まで、訊けないままでいるだろう。

【伊兄弟+西:言ってみた】

「俺の兄ちゃん。かっこいいでしょ」
 ロマーノは、ヴェネチアーノが自分を紹介するときの台詞を聞くたび、馬鹿馬鹿しい気分になった。兄弟であるということはともかく、かっこいいかどうかなんて見れば分かるのだから、わざわざ口にするのは無粋というものだ。それを言う時のヴェネチアーノがとても嬉しそうな顔をするのも不可解だった。

 ヴェネチアーノが遊びに来ているときに、偶然スペインもやってきた。顔を合わせた二人は相変わらず、取り留めのない、実りもない会話を交わしている。
「スペイン」
 ふと思いついたロマーノは、スペインの名を呼んで自分に意識を向けさせた。
 そのままヴェネチアーノの肩に手を置く。
「俺の弟は、いつもは弛んだ顔してやがるが、真剣な面してる時は俺から見ても男振りがいい。俺がこいつに関しては身びいきしねーのは知ってるだろ」
 露骨に戸惑うスペインの顔には「知っとるけど、どしたん急に」と書かれているのが、はっきりと読めた。それ見たことかとヴェネチアーノの顔を見たロマーノは、ヴェネチアーノに紹介される時以上に不可解な思いを抱くことになった。
「……なんで赤くなってんだよ」
 首筋まで真っ赤にしたヴェネチアーノは、羞恥のあまり泣きそうになっていた。
「兄ちゃん俺のことそんな風に思ってたの!」
「悪いことは言ってねーだろうが」
「言ってない、言ってないよ」
 わたわたと、椅子から立つだけなのに躓きそうになりながら何とか立ち上がったヴェネチアーノは、ロマーノに抱きついた。
「兄ちゃん!」
「おいこら離れろ」
「俺、兄ちゃんの弟でよかった!」

【伊兄弟(独伊前提):ティータイム】

「食べる?」
 差し出された小箱に並んだ可愛らしい菓子を見て、ロマーノはニヨリと笑った。
「フラれたのか」
 テーブル中央に置かれたコップには、オレンジと黄色を基調とした小さなブーケが生けられている。
「違うよー。ドイツから貰ったんだ」
 ロマーノは噴き出した。飲み込んだばかりだった菓子が気管に入りかけたらしく、盛んにむせている。ヴェネチアーノが差し出した茶を受け取り一口飲むと、ようやく落ち着いた様子で、もう一度菓子のパッケージを見た。
「じゃがいもかよ」
 どう見ても女性に向けたチョイスだ。ドイツが選ぶにしても意外すぎる上に、ヴェネチアーノにあげるために選ぶとは到底思えない。
「選んだのは俺だよ」
 ロマーノの顔に浮かんだ疑問を受け取って、ヴェネチアーノは答えた。
「世話になった人にお礼したいけど良く分からないから手伝ってくれって言われたんだけど、どんな人なのかとか、何が好きそうかって聞いて作ったイメージで選んだら、かわいくなっちゃって」
 ヴェネチアーノは苦笑いしながら菓子をひょいと口に入れた。
「で、世話になった人ってのはお前だったと。どうせまた変な本でも読んだんだろ。懲りねーよなぁ」
「そこが好きなんだけどね」
「へーへー。お熱いこって」
 ロマーノはもう一つ菓子をつまみ上げると、「ごちそーさま」と言って立ち去った。