熱くない、どちらかというとぬるめの湯は、肌に触れる空気の温度と合せると丁度良い。
見上げれば、空。
「はぁー、極楽極楽」
「じじくさいぞスペイン」
「そう言わんといてえな、ここんとこずっと机仕事ばっかりやってんから。全然外出られへんから色白なるんちゃうか思たわ」
「なるかバカ。温泉だったらお前の家にもあるだろ。わざわざ俺の家まで来なくてもいいじゃねーか」
「いい加減に家から出たかったし、ロマーノの顔も見たかったからな。呼びつけんのもなんやろ?」
石造りの壁に頭をもたせ掛けて空を眺めるスペインを、ロマーノは横目で恨めしげに見た。
用がないから電話も出来ないし、家に行くのはもっと出来ない。仕方ないからスペインからの連絡を待っていたというのに、今日の今日まで全く音沙汰なしだったのだ。来て欲しいと言われれば、すぐにでも出かける準備があったのに、あんまりだ。
「ロマーノの方は最近どうなん?」
「どうってことねぇよ。いつも通りだ」
「そうなん? イタちゃんが何か忙しそうにうちに来てたで」
「忙しいのはバカ弟の方だけだ」
「せやったら遊びに来てくれたら良かったのに」
「忙しくないだけで暇じゃねえよ!」
仕事のメインは農業と観光。シーズンによっては忙しくもあるが、何百年も同じことを繰り返していれば、その周期的な忙しさも「いつも通り」の範囲内だ。
仕事という名目で訪ねることが出来れば気が楽なのにと思うことはある。弟と比べるとどうとか、周りから言われることが気にならないわけでもない。今の暮らしは気に入っているが、家人が弟の家の女の子にふられた理由が「家」だった時は流石にショックだった。
「スペインは、俺も弟みたいになった方がいいと思うか?」
「そりゃもうちょっと素直やったら嬉しいな。でも今のままでも俺は分かるから構えへんで」
何悩んでるん? と、スペインは首を傾けて目線を合わせた。
ロマーノは視線を外すことを躊躇うようにゆっくり瞬きしてから、やはり逸らして下を向いた。
「……
「イタちゃんと比べてか?」
肯定するように、ロマーノは俯く。元々下を向いていたせいで、顔はさらに見えなくなる。
少しの間の後、
「俺は、ロマーノ好きやで」
「俺が言ってるのはそんなことじゃなくて」
「仕事とお金の問題やろ? 確かに二人の家の差はあるな。でもな、ロマーノがその差を埋めようと頑張るのはいいことやけど、ロマーノがイタちゃんと『おんなじ』になる必要はないんやで」
「でも、駄目なんだろ」
「駄目や言われてるんは状況で、ロマーノ自身とちゃうやん。お前は努力してるねんから大丈夫や」
「だけど、俺は何をどうやってもヴェネチアーノみたいに上手くできないし、家の奴も最近あいつの家とか他所に行ってることが多いし」
「心配せんでも、俺はロマーノのこと好きやし、他の人も絶対に嫌いなんて思ってないで」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
ロマーノは顔を上げてスペインを見る。
「嫌われたくないんやろ? ロマーノの家の人とか、イタちゃんとか、イタちゃんの家の人とかに」
スペインは笑いながらロマーノの頭を撫でる。湯気で湿った髪は素直に手の動きに従い、ロマーノも、文句も言わず撫でられるままにしている。
「……俺なんかのどこがいいんだよ」
「ちゃんと色々考えて、やってみてるやろ?」
「やってるけど、全然出来てないぞ」
「それでもやるから偉いねんて。それに、ロマーノは他と比べてどうって気にしてるけど、それはそんだけ周りに気を配れてるってことやねんで。俺はそれがいいところやと思うわ」
「だから、スペインは俺が好きなのか?」
「言い出したら他にもあるけど、小さい頃からずっと好きなんはそこやな」
「……お、俺も、スペインのことは好きだぞ」
首まで湯に浸かりながら、ロマーノは小さな声で、しかしはっきりと言った。
スペインは目を丸くした後、嬉しそうに細める。
「ロマーノに好きって言ってもらえるんは久しぶりやなあ。じゃあ、俺もロマーノが俺のどこが好きなんか聞きたいな」
「…………俺のことを好きでいてくれるところ」
「ええっ、何それ!」
「わ、悪いかよ! そりゃどんなところが好き、とか」
言えたら良いと思うけど――。最後まで言ってしまえなくて、ロマーノは頭のてっぺんまで湯の中に沈んでしまいたい衝動に駆られた。
「いや、ええねんけど、でもロマーノ、だってそれって……あっちゃー」
言葉に詰まったスペインは、思い切り困った顔でロマーノを見る。
「なんだよコラ、訳分かんねーぞ」
不安になったロマーノは、恥ずかしいのも忘れてその目を見返す。
スペインは口を尖らせたロマーノの顔をじっと見ていたかと思うと、覆いかぶさるように抱きついた。
突然のことにバランスを崩したロマーノはスペインごと後ろ向きに湯の中へ倒れこむ。
「ッぷはっ、けほっ、何すん――」
「……ずっこいわ、そんなん言われたら一生好きでいるしかないやんか」