「スペイン! 置いていくな!」
ロマーノは人波の向こうに隠れてしまいそうな背中に向かって叫んだ。
精一杯の大声も賑やかな市場の中では頼りない。ロマーノは声に気付いて引き返してきたスペインの姿にほっとしたが、もちろんそんなことはおくびにも出さず、いつも通りむくれっ面で文句をぶつける。
「悪い悪い。迷子にならんように手繋ぐか?」
「ガキじゃあるまいし、そんなのできるか!」
差し出された手を軽くはたく。
その主張も、そうやって怒るところが子供っぽいと思っているスペインには逆効果で、スペインは手をはたかれたことを気にする様子もなく、提げていた籠の持ち手の片方を差し出した。
「ほなこれ片っぽ持って。俺一人じゃ重たいねん」
手を繋ぐ代わりなのが見え透いているが、はぐれてこの人ごみの中を探すのも、探し回られるのも面倒である。そう判断したロマーノは憮然とした表情のまま持ち手を取ったが、その籠は軽かった。
籠が重いというのは口実で本当は軽いのか、それともスペインに負荷が掛かっているのか。スペインの胸に届く程度の高さしかない己の身長を思いながらロマーノは考えたが、
「やっぱり二人で持ったら軽いなー。ありがと、助かるわ」
疑問を投げかける前に、スペインははぐらかすように笑って歩き出した。
「あ、これもう一匹ちょうだい。あとそっちのんも」
通りを行ったり来たり、横道に入ったり、また大通りに戻ったり。その間に、籠の中にはよくもこれだけ入るものだという量が入っていた。
なのに、重さは当初から変わっていない。
「なあスペイン」
「何? これ上の方に入れといて」
「……重たくないか?」
受け取ると、紙に包まれた魚は手の中でくたりと曲がった。
「重いか? ごめんな、もうちょっとで買い物終わるから」
「いや、そうじゃなくて、ほとんどお前が」
ロマーノが包みを籠に入れて顔を上げると、じっと見つめるスペインと目が合った。
「ん?」
「な、なんでもねーよ」
急に恥ずかしくなって目を逸らす。
「なんやロマーノはおもろいなあ。ほな、次行こか」
頷きながらリストをチェックしていたスペインが顔を上げる。
「よし、終わった! 疲れてないか?」
「疲れてる。人が多すぎるんだよ」
嫌味ではなく実際に疲れている。
市場を歩き回ったことによる疲労よりも、絶えず飛び交う声と人いきれに酔った方が大きい。
「そうやなあ」
のんびりした相槌が聞こえる。籠はいつの間にかスペインに取り上げられていて、ロマーノは市の立つ通りから外れへ誘導される。先に手は繋がないと言ったからか、背中を押されて。
「でも、俺は混んでる市場見るのも結構好きやで」
道を一筋ずらしただけで音も熱も遠くなり、声がはっきり聞こえるようになる。
「人ごみなんか見てても疲れるだけだろ」
「うん、確かに疲れるけど、市場が混んでるんは町が栄えてるってことやからな。そう考えたら、嫌いになんかなられへん」
「そんなもんか?」
「そんなもんや。ロマーノも大きなったら分かるわ」
嬉しそうに往来を見つめていたスペインの瞳が、ふっと陰る。
「もっと大きなって、俺の保護が要らんようになったら……ロマーノが俺の家を出て、ずっと自分の家にいられるようになったら、絶対に分かるから」
握られた籠の持ち手が軋む音がよく聞こえた。
「…………うちに、帰るぞ」
ロマーノはスペインの空いている方の手を引いた。
「そんなに重たいのが好きなら、一人で持ってろ」
「……ロマーノ、手繋いでくれんの?」
目を丸くしたスペインの手を力任せに握り締める。
「も、もたもたしてると魚が傷むだろうが! 早く行くぞ!」
対等に渡り合えるようになりたいけど、大人になるのはもう少し先でもいい。すっかりいつもの調子に戻って笑っているスペインを引いて走りながら、ロマーノはそう思った。