これは個人的な訪問である。ロマーノの家のドアと向かい合ったスペインは、もう一度自分に言い聞かせてから、意を決してドアを叩いた。やや間が開いてから出てきたロマーノの疲れ切った顔を見て、スペインは「大丈夫か」という安易な台詞を飲み込んだ。
「何の用だ?」
「うん、その、顔見たかってん」
「そうか。……茶でも飲んでくか?」
帰されると思っていたのに、ロマーノはスペインが入れるようにドアを開けた。
門前払いになったらなったで困るが、いざ家に入ると話題に困った。カップを持つロマーノの、シャツの袖から覗く痩せた手首や、常の不機嫌そうな表情とは違う風に寄せられた眉は、見ているだけで痛々しい。どうと言うことない話をしながら、スペインはさりげなく目を逸らした。意識を他へ向けることも、出されたコーヒーや菓子が旨いおかげで難しいことではない。口に広がるアーモンドの香ばしさを楽しんでいたスペインは、あと一口というところでフォークを持つ手を止めた。白いシンプルな皿に置かれたトルタ・カプレーゼをじっと見る。
――この匂いではない。
ロマーノの家に入ったときから、何となく感じていた甘い香り。出されたケーキを見てその匂いかと思っていたのだが、ほろ苦さのあるケーキの控えめな甘さとは違う。もっと濃厚で、たとえば汗ばんだ肌から匂い立つ香水のような、そのくせ人為的に作られた感じは全くしない、不思議な匂い。
「なぁ、なんか甘い匂いせぇへん?」
「ッ! ……気のせいだろ」
別にロマーノが他に菓子を隠し持っていると思って尋ねたわけではないが、ロマーノは明らかに何かを隠していた。もしそれが夕食後のデザートなら、トリュフを探す豚並みの嗅覚だとか言うくらいのことはするはずだったが、ロマーノは居心地悪げに座り直しただけだった。
「ロマーノ、顔色悪いで」
「今大変な時期だって知ってんだろ。……それで来たくせに」
明らかにうろたえているロマーノはすげなく言った。
「俺が言うこととちゃうけど、医者に診てもろた方がええんとちゃうの」
「薬飲んで治るもんじゃねーんだよ。てめぇの方がよく分かってんだろうが」
「せやなぁ」
スペインは最後の一口を口に入れ、コーヒーで飲み下した。
「ちょっと見してな」
逃げようするロマーノを引き留めるのは簡単だった。ここはロマーノの家だったから「逃げ帰る」ことはできなかったし、ロマーノは弱っていた。――肉体的にも、精神的にも。
仕事で来たのではないのだと改めて口に出したスペインは、ロマーノを診察する時間を手に入れた。
さっきよりも匂いが強くなっている。その原因は隔てるテーブルがなくなったせいで、甘い匂いがロマーノから香っていることは明らかだ。それでも匂いのことなど気にしていないふりをして、スペインはロマーノの目やら口やらを覗き込んだ。脈を取るために触れた手が、やはり細くなっていることを実感し、一度きつく目を瞑った。
「何か分かったか?」
揶揄するような口調で言ったロマーノに、スペインはお手上げだと諸手を挙げて見せた。
「なぁんも分からへん。休んどくしかないなぁ」
「だから無駄だって言ったんだよ」
ロマーノは笑いながら袖のボタンを留め直す。
「ロマーノは何か変わったなって思うことあらへん?」
「ねーよ」
「……そか」
即答したロマーノの頬を両手で挟んだスペインは、熱を測るように額を当てた。深く息を吸う。包み込むような甘い匂いが胸いっぱいに広がる。探り続けた記憶の中で、やっと当てはまるものを見つけた。
「嘘つきやな」
こういう形でロマーノの裸身を見るのは初めてだった。ベッドに寝かせたロマーノの肌は、不調の原因が戦争や内戦ではないだけあって傷はない。スペインはそのことに安堵する一方で、何とも言えない落ち着かなさを感じていた。二階とはいえ窓を開けたままという気にはならなかったので、カーテンを引き、ベッドサイドの明かりだけを付けている。状況だけ見れば「そんな場面」にしか見えない。
「触るで」
「……おう」
小さな声で返事したロマーノはそっぽを向いている。当然だ。スペインだって逆の立場なら――ロマーノにこんな風に胸部を触られるとしたら――とても直視することはできなかっただろう。目隠しをすることは考えたが、逆に気になるだろうと提案はしなかった。
手のひらを置いた瞬間、ロマーノの体がピクリと動いたが、反応はそれだけだった。鍛えることとは無縁のロマーノの体は、性別が男であるといういうだけで、男らしいとかそういう形容は似合わない。スペインは、別段膨らんでいることもなければ、異常に柔らかいわけでもない胸を軽く押さえた。パウチに入ったソースを絞るように、ゆっくりと移動させていく。ロマーノの喉からくぐもった声が漏れたが、スペインはそれを無視して、目的地である乳首の方へ手をずらしていく。
じんわりと、ミルク色の液体が、ロマーノの乳頭からにじみ出した。
「痛ない?」
「……」
「ロマーノ?」
返事がないことを訝しんだスペインがロマーノの顔を見ると、ロマーノは腕で顔を覆っていた。
「……痛くねーよ」
苛立ちか、羞恥か、両方か。ロマーノの声の感じからすると、きっと首の動きで報せようとしていたのだろう。スペインは悪いことをしたと思いながらも上手く言葉にすることができず、自分の手元に目を落とした。ぷくりと膨らんだ乳の雫が、自らの重みに耐えきれずに崩れたところだった。安らげるはずの白熱電球の光が、乳首が濡れるさまを鮮明に描き出す。
スペインは、ロマーノが「口の中が溶けそうだ」と苦言を呈すような、度を超した甘さが好きだった。だから部屋に漂う甘い匂いがロマーノから発されていると気づく前も不快には感じていなかったし、むしろ心が躍っていた。気候のよい日にシエスタしているように、頭をぼんやりとさせる香り。嗅いでいるだけでも幸せになれたし、口に含めたらもっと嬉しい。
嗅ぐだけでも味蕾を刺激するそれが今、目の前に晒されている。呼吸に合わせて上下するロマーノの胸の、ぷっくりと膨れた紅色を見ていたスペインは、思わず唾を飲んだ。
「……スペイン?」
「あっ、ああ、うん。辛くなったら言うんやで?」
腕の間から目を覗かせたロマーノに向かって頷くと、スペインはロマーノの乳首に指を近付けた。強ばったロマーノの体が解けてから、乳輪から拾い上げるようにそっと触れる。ビクッと、最初に手を置いたとき以上に反応したロマーノを意識の外側にやりつつ、スペインは乳首を摘んだ。
ロマーノが息を吸った。体を丸めて隠れたい衝動を堪えているのか、裸足の足がシーツを踏み締めた。その間にも、じわじわとにじみ出た乳がスペインの指を濡らしていく。
「……いつから?」
指を伝ってロマーノの肌に落ちる乳から目を放さずに、スペインは聞いた。
「いつから出るようになったん?」
「分、かんねー」
「今日はもう知ってたやんな。お乳出るようなったん、昨日今日と違うやろ」
乳臭いという言葉があるが、今この部屋を、鼻腔を満たしているのは、そんな優しい匂いではない。詰問調になっていることに気づいていながらも、スペインは止めることが出来なかった。刺激しているせいか、ロマーノの乳首は硬くなってきている。女とは違い、形だけであるはずのそこを、スペインは乳汁を塗り込むように擦った。
「やめッ」
「あかんでロマ。ロマーノの体おかしなってるねん」
顔を隠すのを止め、スペインの手を退けるために伸ばされたロマーノの腕を、スペインはベッドに押しつけた。逃げようともがく腕に体重をかけて縫い止めると、ロマーノの顔が悔しそうに歪んだ。
「我慢したらあかん」
「だからってお前、こんな……」
「じゃあ自分でできるんか? 自分の手でお乳、搾り出せるのん?」
ロマーノの言葉を遮ってスペインが言うと、ロマーノは歯を噛んで目を瞑った。
授乳を目的にした器官ではないせいで、ロマーノの乳首は小さく、口に含みにくかった。胸に口づけるようにして吸い上げる。舌に触れるのは想像していた通り、頭を芯から蕩かすような甘さだ。
「はぁっ……ふ……」
味だけでなく耳に聞こえるロマーノの吐息までもが甘く感じる。咥えていない方の乳首を指でやんわりと揉みつつ、唇に挟んだ乳首を愛撫するように舌で舐めると、ロマーノの息が一瞬詰まった。
「……っ」
身を捩り、頭を遠ざけようとするロマーノの手に逆らって、スペインはなおも乳首に舌を這わせた。心臓の鼓動に合わせるように湧き出る乳を乳首ごと吸い上げて、喉を鳴らして飲み下す。頭に触れているロマーノの指先に力がこもったが、弄る手の力を強めてやると、
「んああッ……ひん、ん……ッ」
ロマーノは自分の喉から飛び出した声に驚いたのか、スペインの頭を放して口を塞いだ。
ツンと立ち上がった乳首から、ロマーノが体を震わせるたびに乳が噴き出す。震える体を宥めるように、努めて優しく、胸を押すように撫でて中に溜まっているものを出口へと押し上げる。体温と似た温度のミルク色の液がたらたらと乳首からこぼれて、ロマーノの胸とスペインの手を濡らす。スペインがせき止めきれなかったミルクは、ロマーノの体を伝い落ちてシーツに染みを作った。
その間にもスペインの口の中には甘い液体が注がれていたが、スペインは口を離して、手で触るだけだった方の乳首に唇を寄せた。手指と乳首の間に溜まっているミルクに舌先を浸す。外気に触れて冷えたせいか甘みが強まっていて、代わりに匂いは薄まっていた。舌で掬おうとするが思っていたほど上手く口に入らず、それどころから乳首を舌で弾いて刺激してしまい、ますますミルクがあふれてくる。唇をすぼめて吸おうとしたが、じゅるじゅると吸い上げる行儀の悪い音はロマーノの肌の甘さを損ねる気がして、スペインは肌の上のミルクは諦めて、乳首に直接吸い付いた。
「んうぅっ」
スペインが強く吸い上げると、温かくて甘いミルクが口いっぱいに広がった。視線だけを上げると、両手で口を塞いでいるロマーノの下あごが見えた。視線に気づいたわけでもないだろうが、ロマーノは顔全体を覆うように手を移動させる。びくんと痙攣するように震える体と、震えに呼応して量を増すミルクは、まるで射精しているようだ。
「ふはっ、スペイ……も、やだ……」
聞こえる声といい、上気して震える肌といい、ともすれば勘違いしてしまいそうだった。
「……ごめん」
ロマーノに覆い被さっていたスペインは体を起こした。何もせずにいると、ロマーノは恐る恐るといった風に顔を見せた。瞳を濡らした涙も、真っ赤に染まった耳も、考えるまでもなく羞恥と屈辱によるものなのだろう。ロマーノを心配し、できることなら楽にしてやりたい気持ちに偽りはなかったが、こんなことになるなら来なければよかった。
「…………別に、いい」
呼吸を整えたロマーノはぶっきらぼうに言った。
「スペインだってやりたくてやってるわけじゃねーだろ」
「……」
確かに、こんな乱暴な、ある種強姦のような形でロマーノの乳を吸いたいわけではなかった。甘そうな匂いに惹かれて、食べてみたいと思っただけだった。――そう思ったのが、匂いの元がロマーノの乳だと判る前か後かは、今となっては分からなかったが。
「お前の方こそ、気持ち悪ぃだろ。こんなの」
「そんなことあらへん!」
スペインが口ごもった意味をそう取ったらしく、俯いたロマーノの肩をスペインは掴んだ。
「ロマーノのお乳おいしいで! ……それに、ロマーノの反応が可愛いて……俺、ついやりすぎてしもた。……ほんまにごめんな」
「……スペイン、お前……バカだろ」
「ば、バカとは何やねん!」
「だってそうじゃねーか。男の乳平気で吸って、しかも旨いってどういうことだよ」
「実際おいしいで。舐めてみぃよ」
「……何か出てるって気づいた時に舐めてみたけど、別に」
「もったいないなぁ」
スペインは指についている乳を舐めて、ロマーノに手をはたかれた。
後頭部に触れているロマーノの手には、スペインの頭を退けようという意思は感じられず、いたずらに髪を掻き乱すだけだ。何が珍しいのか、時折耳を撫でたり首を触ったりもする。
「ロマー、くすぐったい」
「……うるせぇ」
「気持ちええの?」
乳と唾液でヌラヌラと光っている乳首を、これ見よがしにレロリと舐めると、耳を力強く引っ張られた。仕返しに乳首に軽く歯を立てると、ロマーノの体がぴくりと震えて手の力が抜ける。気分を良くしたスペインは、唇と歯を使って甘噛みを繰り返した。舌の上に散る甘みを堪能しながら、スペインはロマーノの乳首を噛み続けた。
「もういいだろっ」
「噛み噛みされるのイヤ?」
「気持ち悪ぃ言い方するんじゃねぇ!」
「ふーん」
スペインは噛むのを止めて、ロマーノの乳首を吸った。
「うぐっ……くはっ、はぁんっ」
吸い上げるのに疲れると、乳を出させるのはこぼれるのに任せて、舌で転がすように舐める。慌てて手で口を塞いだロマーノを見て、スペインは乳首を口に含んだまま笑んだ。唇を離すとロマーノの体の力が弛んだのを見て、舌を伸ばしてぺろりとひと舐めする。
「ひんっ」
「おっぱい、吸われる方が気持ちええんやねー」
ぶるぶる震えているロマーノを見ながら、スペインは自らの唇を舐めた。舌を蕩かせる甘い甘いミルク。味覚が麻痺することも、飽いてしまうこともなく、ずっと最初に感じた旨さを保っている。
「どんな感じするのん?」
「どんなって……」
充血して、勃起と言いたくなるくらい膨らんでいる乳首を弾く。
「ふやぁ!」
「普通は何も出ぇへんやん?」
くにくにと揉むようにしごきながら、スペインは疑問をぶつける。揉んでいるだけでとくとくとあふれ出るミルクは、相変わらずの甘い匂いを放ちながら、ロマーノの平坦な胸を垂れ落ちていく。湧き出るそれを止められはしないかと、スペインは乳首の先端に軽く爪を立てた。
「んくぅっ……!」
ロマーノの体が跳ねるせいですぐ外れてしまうから、スペインは指の腹を乳首の上に置いた。
「飲みもん取って来ぉか? こんなに出したら喉渇きそう……あ、そか。飲めばええんか」
一人で納得したスペインは、乳首に置いた指はそのままに、空いた方の乳首を咥えて吸った。
「いやだスペインっ、もぅ俺のぉ吸っちゃやらぁ!」
「んー……」
「あはぁあっ、スペイン、スペイんンッ……」
ロマーノは口を塞ぐのも忘れて、乳を吸い上げるスペインの頭をかき抱いた。スペインは飲み込みたい欲求を堪えながら、乳首をちゅうちゅうと吸い続ける。ロマーノに抱かれている息苦しさと、頭がクラクラする甘さでどうにかなりそうだった。
「ずっと気持ちいぃの続いて……はふ、頭おかしくなっちゃ……どっかイっひゃあ……」
乳首から口を離したスペインは、ロマーノに、人工呼吸を施すように口づけた。口の中に溜め込んだ乳を口移しに流し入れる。それが何なのかを理解できないまま、ロマーノは喉を鳴らして飲み込んだ。
「よし、ちゃんと飲めたなぁ」
「……ふぁ、なに、なにが」
「考えんでええよ。俺がおるから、今日はこのまま休み」
熱に浮かされたようなロマーノの目は、数度瞬くと、力のない笑顔を浮かべて涙をこぼし始めた。
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新聞を見るときは真っ先に海外情勢の欄を見る。たった数週間のうちにすっかりその癖がついてしまったスペインは、ロマーノを悩ませていた問題が集束に向かっているという記事を読んで、ゆっくりと息を吐いた。ロマーノの乳は行為の翌日から出なくなっていたが、ロマーノの疲労は依然として癒えず不安だったのだ。これで枕を高くして眠れる。
「おいしかってんけどなぁ……」
ロマーノが聞いたらまた体に変調を来しそうなことを呟きながら、スペインは半分ほど飲んだコーヒーに、ミルクと砂糖をたっぷり継ぎ足した。