【トルコとロマーノ:子どもの願い、大人の思い】

「なにしやがる!」
 ふわりと、まるで幼い子供のように軽々と持ち上げられてロマーノは焦った。背丈は初めてトルコと会った時よりもいくらか高くなっている。少なくとも腕の力だけで肩の高さまで上げられる重さではないはずだった。
「ちゃんと飯食ってんのかぃ?」
「食ってるに決まってるだろ!」
「それにしちゃあ軽すぎるな。こんな細っこい腕じゃあ無理もないか」
「てめぇが馬鹿力なんだろうが! 人をガキみたいに持ちやがって!」
 届かないパンチを繰り出しながらわめくロマーノを下ろしたトルコは、にやりと笑った。
「ははーん、あのひょろっちい宗主国じゃあお前さんを抱き上げるのは無理ってことかぃ」
「スペインは元からんなことしねーよちくしょうめ!」
 スペインはロマーノを子供扱いして危険を伴う仕事はさせないものの、無遠慮に体に触れたり赤子のように抱いたりすることはなかった。スペインに対する反感が薄れ好感すら抱き始めていたロマーノは、馬鹿にしたように笑うトルコの脛を蹴った。
「……なんでぇ、お前さんにアイツが甘いってぇのは支配者としてだけか」
 蹴ったことを咎めもせずにトルコは独り言のように呟くと、すとんと腰を下ろしてロマーノを抱き締めた。乱暴にがしがし髪を乱す手を嫌ってロマーノは首を振り厚い胸板を押すが相手はぴくりとも動かない。
「放せよ! 触るな!」
「泣くほど嫌なのかぃ?」
 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらも抗するロマーノに、そうじゃないだろうという意図を含んだ声でトルコは聞いた。ロマーノは答えずに、しかし解放された体をトルコの前から動かそうともせずに泣き続けた。

「俺は早く大人になりたいんだ」
 大人になればこんな風に胸が痛むこともなくなる。そう頑なに信じているロマーノは、腫れぼったくなった目をしょぼしょぼさせながらこぼした。
「まあそう焦りなさんな。スペインだってまだ十分餓鬼だがそれでもお前よりゃデカい。帰ったら素直に抱いてもらってみな、ちったぁマシになると思うぜ。がむしゃらに一人で立とうってするこたぁねぇよ」
 甘やかそうとした相手が嫌がっているのか遠慮しているのか、そこを見分けられるほどスペインは大人ではない。そもそも大人の基準というものは曖昧すぎるのだ。撫でられるままになっているロマーノの頭頂部を見ながら、トルコは彼の祖父に思いを馳せた。

【西ロマ:スペイン譲りの味覚とは】

 ロマーノは家に馴染んでくれたようで、未だに掃除は下手なものの、最初ほどの反抗――きちんと食事を取らないとか何を聞いても黙りを決め込むとか――は見せなくなっていた。褒めると嬉しそうにするし、過剰に警戒することもなくなった。
 それを祝うというのもおかしいが、スペインは改めて歓迎するつもりで、その日の夕食はとびきり豪華にしようと決めた。何を作るかを考えて、ロマーノの好きなものという結論に行き着くのはごく自然なことだった。
 夕食の時間、テーブルに並べられた料理の数々を見て、ロマーノは大きくぱちくりと瞬くとスペインとテーブルを交互に見た。
「何かあったのか?」
「ロマーノ最近頑張ってたからなー」
 秘密にしていた甲斐があったと、スペインはロマーノの驚きように充足した気持ちになった。席に着くよう促して、いつも通りお祈りを済ませた。
 会話というものを忘れたように夢中で料理をぱくついていたロマーノは、空腹が落ち着いてから顔を上げてスペインを見た。ちっとも進んでいない皿を見て首を傾げる。
「食わないのか?」
「忘れとった。食ってへんのに食うてる気分になってもうて」
 おいしそうに料理を口に運ぶロマーノを、自分の分を食べるのを忘れて見ていたスペインは、はっとしてフォークを持ち直した。
「なんだよそれ」
 ロマーノはおかしげに笑った。
「いつもと全然違う味付けなのによくできてるぞ」
「ほんまに? ありがとー、ロマーノの好きなもん作ろうと頑張ってんで」
 ロマーノは食べる手を止めて、合点がいったように頷いて、笑った。嬉しいとかそんなものとはほど遠い、家に来たばかりの頃を思い出させる、子供らしからぬ笑顔。
「弟の好きそうな味だ」

 *

 ローズマリーとにんにくの匂いが香ばしさを増したと思っていたら、カチリと火を止める音が聞こえた。トマトソースが焦げ付かないよう鍋を見ていてと頼んだだけなのに、今日はロマーノは手伝ってくれる気のようだ。食事を作らせに訪ねてきたにしては珍しい。
「ロマーノの好きな食べ物って何なん?」
 軽く表面を焼いた鶏もも肉をフライパンから皿に移して、オリーブオイルを少しだけ足してからみじん切りにした玉ねぎを入れる。水分で油が跳ねた。
「鶏もトマトも好きだぞ」
 オリーブオイルを仕舞いながらロマーノは答えた。スペインが自分の好きな料理を出せばロマーノはそれがおいしいと言う。嫌い(もしくは苦手)と言うのは具材に対してであって、それすらスペインが自宅で作って出す限りほとんどない。
 出会う前のロマーノが好きな料理というのは、なんだったのだろうか。

【西ロマ:会社員パラレル】

「愛妻弁当かー? 新婚さんは熱いねぇ」
 営業車の助手席に乗っている弁当(いつか見たパンツと同じ柄の包みなのはさておき)を見たフランスはスペインを肘で小突いた。スペインは照れくさそうに笑うと、
「俺の自作やねん」
 悲しすぎるカウンターをフランスに見舞った。
「は!? ロマーノは?」
「ロマーノは家におるで。せやから弁当作るようにしたんよ」
 一人分も二人分も作る手間は同じだし、なかなか起きているときに会えないからせめて一緒に食事している気分だけでも味わいたいからと、コンビニのパンを止めた理由を説明する。
「あいつは何やってるんだ?」
「この時間やったらテレビ見てるんちゃうかな」
「家で?」
「他にどこで見るねんな」
「昼下がりと言えば情事だろ」
「うちのロマーノで変な想像すんなや」

 包丁がまな板を叩く音でスペインは目を覚ました。
「ロマーノ?」
「弁当できてるからもうちょっと寝てていいぞ」
「俺、今日休み取れたん言わんかったっけ」
 上司に無理やり休ませられたようなものだが、一日ずっと家にいられることを先週末くらいには伝えていたはずだった。久しぶりに見た気がするロマーノの顔には「しまった」と書いていた。
「あ、う、ん、もちろん知ってたぞ。これは、あれだ、天気もいいからピクニックでもしようかと!」
 天気がいいと言うが、窓の外はまだ日は昇っておらず空模様どころではない。あからさまに狼狽したロマーノの口から、思いがけないかわいらしい単語が飛び出た。
「ピクニック?」
「うん、そう」
「そっか、それはええなあ。どこ行くん?」
「あ……うん」
「決まってへんのやったら俺の好きなとこでええ? 営業回りの途中に通る、ちっちゃいけど奇麗な公園があるねん。魚もいてるで」
「スペインがいつも見てるとこか?」
「ああ、ロマーノ、俺の仕事の話嫌いやったっけ」
「別に嫌いじゃねーよ。ただ知らない奴のことばっかりで……ああ、もういい、さっさと支度しろ!」
「おぉ? 顔真っ赤やで? あ、最近スーツしか着とらへんかったからどこに普通の服があるんか分からへんわ」
 家では寝巻代わりのジャージとTシャツばかりで、本当に普段着の在りかが分からない。
「俺が見立ててやるからさっさと顔洗って来い!」