【西→←ロマ:双方向の片思い】

「今日の恋人はえらいまた美人さんやなあ」
 ボトルとグラス二つを運んできた店主は意味ありげな笑みを浮かべた。
「わざわざ『今日の』って付けんといてぇな。あと、こいつは恋人やのうて婚約者や」
「へぇ! じゃあ披露宴はぜひうちの店をご利用くださいませ」
「いくらなんでも狭いっちゅーねん」
 カウンターテーブルが一枚走るだけのこじんまりした店の主は笑いながら、テーブルの逆端の客に頼まれたつまみを作るべく戻って行った。
「…………あれ? ロマーノ、何も言わんの?」
 男なんてごめんだとか、誰がお前なんかとか、そんな拒絶の台詞とついでに拳が飛んでくることを期待していたスペインは、黙ってグラスを傾けているロマーノを恐る恐る見た。
「俺は構わねーぞ」
「え」
 呆気にとられた顔をしたスペインを見て、ロマーノは片頬を歪めた。
「ハッ、冗談に決まってんだろ」
「……やんなあ、びっくりしたわ、もー」
「俺もお前に付き合える女がいたことに驚いた」
「ひどいなあ。俺モテるねんで?」
「でも本気にはなれない人って評価だろ?」
「うっ……確かに長くは続かへんけど」
 ほらやっぱり、と人の悪い笑みのままロマーノは正面の棚に並んだボトルを見だした。スペインはロマーノの横顔を見て、何を見るともなしに棚の方を見る。冗談だったのは残念だが、冗談で良かった。流石にあんなプロポーズは嫌だと、長く続きすぎた付き合いを思った。

【西ロマ:思い出という名の過去】

「まだ小さかったとき、怖い夢見たって泣いて起きてきたことがあったなあ」
「……人の傷口ほじくんな」
「俺は楽しい思い出やけどなあ」
「もっとマシなもんを思い出にしろよ。人の恥ずかしいことばっかり憶えやがって」
 ロマーノが海鳥の動きに見入っている間に、スペインは釣り上げたタコとの格闘を終えていた。次に姿を見るのは食卓だ。スペインが帰り支度も終えたのを見届けてから、ロマーノは立ち上がった。終始座りっぱなしだったせいで、あちこちの骨が音を立てる。
「せやけどロマーノはあんまり俺のこと頼ってくれへんかったから嬉しかって……どしたん?」
 首を捻挫しそうな速さでスペインの方を向いたロマーノを見てスペインは驚いたが、ロマーノの方がもっと驚いた顔をしていた。
「スペインお前、本当に憶えてないのか?」
「憶えてへんって何を?」
「メシとか着るものとか、掃除とか畑仕事とか、ほとんどお前任せだったじゃねーか」
「自覚あったんかいな」
 むっとした顔をしたロマーノを見て吹き出した。
「ごめんごめん、怒らんといたって! それは俺が自分でやったことやさかい、ロマーノが頼ってきたんと違うねん」
「嫌だって言ったらお前がやるって知っててもか?」
「ロマーノにやらしたら滅茶苦茶になるってのもあったけど、それにしても甘やかしとったなー。けど俺がやらせたかったんならどんだけ嫌がってもやらせられたし、できへんて言われても教え込んだったらええだけや」
 スペインは目を細めて水平線を望んだ。
「ロマーノはどんな親分がよかった?」
「かわいい女の子」
「最初っから俺の可能性潰すの!?」
「うっせー。今何言ったって俺の親分はお前だったんだから、それでいいだろうが」
「俺がええんでなくて?」
「すぐに調子に乗りやがるな! 馬鹿なこと言ってねーで帰るぞ!」

【西ロマ:バーにて】

 スペインは眉をちょっとだけ上げると、グラスを傾けた。
 「しまった」と思ってももう遅い。酒と一緒に飲み込まれた言葉を聞き出すことは至難の業で、取り繕おうにもばつの悪さが先に立つ。ナンパと罵倒に特化した口をアルコールで湿しても、バルの騒がしさに紛れず漂う気まずい空気を換気する手立ては浮かばない。
 グラスの縁を舐めて横目でスペインを盗み見ると、タンブラーの半分より上にあったはずの水面は見る影もなくなっている。中身は忘れたが、そんなに早く飲むものではなかっただろうに。ロマーノの視線に気付いているのかいないのか、スペインの意識は完全に酒の注文へと向いていて、なけなしの勇気は早くも挫けそうだった。
 ロマーノは氷の角度が変わるよりも先に、グラスの中身を飲み干した。

 帰るにしてもスペインに一声かけずには帰れない。
 ロマーノはシャリシャリと小気味よい音を立てる氷をマドラーでかき混ぜ、上に載せられたサクランボを小さな渦巻きの中でもてあそんだ。くるりくるりと流れに巻かれる小粒の赤色。
 は、と口を開けたその瞬間だった。
 ぐいと顎を掴まれて横を向かされる。頭の後ろでマスターが客に応える声が聞こえて、身構える暇もなく唇が合わせられ、ひやりとした丸っこいものが口の中に転がり込んだ。
 瞬きを一度するだけで終わるような時間で行われた所行。舌が抜かれ唇を離されても口の中に残る感触を舌先で撫でる。酒の雫と解け合うまろやかな塩味と、鼻に抜ける香り。
 してやられた、と、ロマーノは額に手を当てて俯いた。亀の甲より年の功。思考の似たところがあると(むしろ似てしまったと)分かっていたのだから、先手を打つべきだったのだ。スペインは何食わぬ顔でオリーブ不在のマティーニをあおっている。
 後手に回って同じネタ。芸には足りぬが目には目をと思えばできなくもない。
 マスターが背を向けたのを確認するやいなや、ロマーノはスペインの後ろ頭を抱き込むようにして顔を向けさせると、唇を押し当てた。唇の隙間へサクランボを舌で押し入れる。スペインの下唇を濡らした酒を軽く啜ってから、体の向きを戻すと、さっきからずっとそうしていたかのようにグラスに唇を当てた。
 マスターも近隣の客も自分たちのことで大わらわで気付いた様子はない。安堵するより先に気恥ずかしさが胸の奥から湧いて出た。やられるより前に思いついていたことを棚に上げて、スペインが恥ずかしい奴なのが悪いんだと自衛の準備に入る。
 俯きの視界の端に、すっと白いものが入り込んだ。差し入れられた紙ナプキンの上に載せられたサクランボの茎は、器用にも一結びされている。
「すげ」
 思わず嘆声を漏らして顔を上げる。スペインとやっと目が合った。
「……さっき」
「ええよ」
 手を振って話を切られ、具体的な言葉を用意していた訳でもなかったロマーノはホッとした。スペインは意味深な笑みを浮かべた。
「俺が次に頼むのん、ロマーノが決めて」
「ロングでいいか?」
「もちろん」