夢うつつのうちに会議が終わり、スペインは自宅に電話した。
『¿dígame?』
「ロマーノ? 俺俺、今から帰るで」
受話器から聞こえたスペイン語がロマーノによって発声されたことに喜びを感じていたら、ついでにと買い物を頼まれた。どうせ帰りに通る道だったが、たとえ遠回りになったとしても快諾しただろう。なんせロマーノがご飯を作って待っていてくれるのだから、何を渋ることがあろうか。だがその分ロマーノと会えない時間が長くなることに気付いたスペインは、やはり通り道でよかったと思った。
『金大丈夫か?』
「心配せんでもそのくらいは持っとるよー」
夕飯の具材の買い忘れを買うだけなのに持ち金の心配をされるなんて、赤貧時代の印象は余程色濃いらしい。ヘルプコールに「金ないねん」と首を振り続けた後遺症はもうないと信じたい。
『飯以外は用意してねーぞ。いる物あったら買って来いよ』
「俺の手持ちで買えるかなあ」
『なんだそれ。景気いいんじゃなかったのか?』
「……愛っていくらする?」
『まだ足りねーのかよ』
スペインは吹き出した。通行人にぎょっとした目で見られたが、気にしない。
「いえいえ十分です」
できれば面と向かって、もっとストレートに言われたいのだが、ロマーノにそこまで望むのは難しい。「でも補充しときたいねんけど、そちらでできますか」と聞くと、帰ってきたのは不通音。
SiかNoか、返事は直接聞くしかなさそうだ。
ドォン……と地鳴りのような音が聞こえた。スペインがぱっと顔を上げたのに対し、オーストリアは優雅に茶を飲んでいた。そりゃ自分が料理する時すごいもんな、と納得したスペインは、十中八九の原因であるロマーノを探しに出た。
部屋を覗くと本棚が倒れていた。幸いにも本は出ていない。どうせ本棚を起こすときに出るだろうが、それでもなんとなく手間が減ったような気になる。視界の端っこで白っぽいものが見えた。
ひらりと舞うエプロンの紐。最近やっと自分だけできれいに結べるようになったロマーノは、イタリア語を吐き出して、スペインがその意味を理解する前に廊下に走り出た。
「待てやロマーノ!」
「誰が待つかバーカ!」
小憎らしい顔で尻をひとつ叩いて、ロマーノは飛ぶように走る。
「今日という今日は許さへんで!」
ああ、あのお尻を好きなだけ叩けたら!
スペインは間違っても口に出せない願望を胃の中に沈めて、尻尾のように揺れるリボンを追った。
付き合い始めて最初のセックスとしては飛ばしすぎだった。初めて同士じゃなかったのが救いと言えば救いだ。ロマーノの素行をよく知る者としては、童貞だと言われるよりも石からひよこが生まれた方が驚かずに済むくらいだったが、後ろの経験もあるとは予想していなかった。衝撃が収まってみると女の子にいじめられているロマーノというのもなかなか悪くない。いつか詳しく聞いてみよう。
拘束するように握っていた腕を放すと、ロマーノはベッドに倒れ込んだ。息も絶え絶えな様子を見て、今日初めて申し訳ない気持ちになった。
太陽が出ている間は発情しっぱなしだなんて、迷惑かつふざけた呪いをかけられたものだ。収まりがつくまでマスかきに励めばいいと楽観していたら、自己処理は無効だときた。
思い出して腹が立ってきたところにロマーノの声が聞こえて、慌てて意識を戻す。
「平気かロマ?」
「……」
「ごめんな、俺のせいで」
「お前のためにやってるんじゃねーよ」
行為自体は気持ちいいし、ロマーノも辛いだけではないようだったが、こんな形ではなくもっと大切に扱いたかった。瞳に力はなかったものの、ロマーノはこんな時ですら捻くれた表情を崩さない。
「ヤるためだけに女の子ナンパするなんて許さねぇ」
得意げに笑ったロマーノを見て、イギリスの声が再生される。
『発散できる手段は「自分を好いているものを用いること」。右手もヌードルもダッチワイフも無理だぞ、ざまあ見ろ! せいぜい日頃可愛がってる牛とでも楽しむんだな!』
立ったのは腹だけではなかった。
「ロマぁ、あかんよ」
机の下の、脚の間に座り込んでいるロマーノの頭を左手でぐりぐりと撫でた。その間も右手はペンを握ったままで、意識は書類に集中するよう最大限の努力をしている。
努力のむなしさを突きつけるように、ロマーノは勝手にズボンの前を寛げて、パンツの上からくっつけた唇をむもむもと動かしている。愛撫と言うには単調な刺激だが、至近距離の息継ぎやデスクワークからの逃避願望が手伝って、旗色はよろしくない。
「ほんまあかんてロマーノ。聞いとる?」
「聞こえてる」
「ほんならやめたって。終わったらいくらでも付きおうたるから」
「聞こえてるけど、聞くかどうかは別問題だ」
なんて非道な! 思わず下を向いたら、腿に手をかけて顔を出したロマーノと目が合ってしまった。どうしてこちらが忙しくしている時に限って、こういう誘いのかけ方をしてくるのだろうか。嫌がらせか、寂しいのか、それとも仕事に嫉妬しているのか、いっそ条件反射か。……分からない。
とりあえず、心の中で上司に敬礼した。