【西ロマ:ねぇ言って】

「嫌?」
「……いや」
 首に回されるわけではなく、かといって突き放してくるわけでもなく、ただ肩に置かれただけのロマーノの手。うつむき気味の顔をのぞき込むと、ごまかすように目を逸らされる。いまひとつ煮え切らない。いつものことだ。はっきりした答えを急かすことなく、強引に迫ることもなく、小さい頃の彼にしたように頭を撫でてやる。
「ぶん殴って抵抗しても、国交には子細ないねんで」
 はっと顔を上げたロマーノが、傷ついた目をしていたことに安堵する。取り繕って慰めなければならないと思う一方で、胸がすくような、詰めていた息をやっと吐けたような感覚が、くすぶっていた火種に風を送る。早く、今すぐに謝らなければ。すまないと、冗談だったのだと、声にしなければロマーノが泣いてしまう。俺が悪かったと、たった一言――たとえ本心でなくても。
「……くっそ」
 澱んだ感情に歪む自分の顔を見られたくなくて、ロマーノを胸に抱き寄せた。
「違う、違うねん」
 呪文のように繰り返して、口を突いて出てきそうな言葉の出口を塞ぐ。プレイボーイぶるわりに奥手なことはずっと昔から知っていた。憎まれ口に隠された本音も、不機嫌な顔の奥にある憂いも、理解してやることが親分の務めだと思っていた。
「俺が言うたからなん?」
 腕の中にあるロマーノの体はもう、屋根を同じくしていた時のそれではない。拒絶したければできるし、言いたいことがあれば言える。強国が作る潮流に翻弄されるだけの弱国でも、耳を塞いで怯えるだけの子どもでもないのだ。
「スペイン……?」
「なんでロマーノはここにおるの? 俺が縛っとるから?」
 落ち込むロマーノに酒を飲ませて、その先を求めざるをえないところまで追い込んで。一晩が明けて、邪険にすることも距離を置くこともなく、変わらず接してくれたロマーノの情けを好意だと勘違いしたのだろうか。一緒に過ごす。キスをする。セックスをする。使い古されたパターンの日常をこなして、時たま好きだと口にするとそっぽを向いてしまうロマーノの見えない表情を、照れ笑いと想像するのは間違いなのだろうか。
「ロマーノは、俺のこと好きか?」
 戸惑ったような呼吸が頭の後ろで聞こえる。いっそ別れてしまえば楽になれる。
「……たまには言うてぇな。俺かて不安になるんや」

【西ロマ:何もない日】

 どちらが言い出したわけでもなく遠回りした帰り道。焼きたてのマフィンのようなオレンジ色に満たされた街路は、まるで影絵のようで、遠近感がおかしくなりそうだった。
 久しぶりに会えた休日に、したことは一人の時と変わらない。それなのにロマーノと一緒に歩いているだけで幸福感が胸を満たす。
(年取ったなぁ)
 スペインは思わず苦笑した。ロマーノが何もしゃべらなくても不安にならなければ、不満にも思わない。何もかも全てが欲しかった頃から考えれば、随分と落ち着いたものだ。
 前方では、スペインの影法師とロマーノの影法師は仲良く手を繋いでいる。実際の二人は手を繋いでおらず、長く伸びた影が偶然そんな形になっただけだ。そんな些細なことでさえ嬉しく思えるとは、幸せの基準は相当下がっているようだ。
(……あれ?)
 スペインは影法師を改めて確認した。自分の腕と、ロマーノの腕。スペインの腕はだらりと自然体になっているのに、ロマーノの腕は変に浮いている。
 疑いが確証に変わると同時に、スペインは左腕を後ろに振った。
 ぱしっと軽い音を立ててロマーノの手を掴んで、驚いたロマーノが反射的に手を握ったのを、そのまま前に持ってくる。ロマーノの顔を見ると、軽く睨まれた。拗ねているようにも見える。
「初めて気ぃついたわ」
 ロマーノは何も言わない。つまり思い過ごしではなかった。この様子だと、ロマーノは今日だけじゃなくて、長い間一人遊びをしていたようだ。
 スペインは、自身が「年を取った」という認識を改めた。

【西ロマ:大きいことは…】

「……ん」
「起きたん?」
 ベッドに腰掛けたスペインは、寝ぼけ眼をしばたたかせたロマーノの、眠気が残っているのか熱っぽい手と握手した。夜を睡眠以外に割いた翌日、ロマーノはしばしば昼前まで眠っている。それは朝に弱いスペインにとって、ロマーノの寝顔を見られる数少ない機会だった。
(もっと大きいの買おかな)
 手を放すと力なく落ちたロマーノの腕を眺めながら、スペインはロマーノが横たわるベッドを改めて見た。
 大の男二人で並んで眠るには手狭なことについて、ロマーノが文句を言ったことはない。なんせ客用のベッドはちゃんとあるのだ。そしてこのベッドを買ったとき――スペインが生活の拠点を、ロマーノが頻繁に道に迷った屋敷から、住宅地に軒を並べる家に移したとき――は、こんな風に夜明けを迎えるような関係ではなかった。
「大きいベッド欲しい?」
 なぜ、と問うロマーノの目にスペインが答える。
「二人で過ごすには狭いやん」
 眉根を寄せたロマーノの表情は決して明るいものではないものの、疲れを引きずっているようにも見えない。ロマーノは匍匐前進のなりそこないのような動きで、スペインの尻の横まで移動した。
「……今のでいい」
 ばたりと顔をシーツに伏せて、くぐもった声で言う。
「お前んちは昔っから、何もかも広すぎるんだよ」