【ちびロマ+西】

 花瓶を割った。持ち上げるのが大変なくらい重たかったのに、あっけなく割れた。「また割ったんか」というスペインの呆れた声が聞こえた気がして後ろを見たが、誰もいない。
 ロマーノは慌てて、そばにあった机にかけられたクロスを引っ張った。テーブルに載っていた小さな額が倒れたが気にしない。割れた破片の、大きいのも小さいのも全部拾い上げていく。
「すごい音したけど」
「俺じゃないからな!」
 音を聞きつけたスペインが到着するなり、ロマーノはガチャガチャと嫌な音がする包みを抱えて、スペインの脇を駆け抜けた。

 危機を脱して安心したのも束の間、ロマーノは「どこに行けばいいのか」という不安に襲われた。とにかく町へ出て、それから……それから、どうしたらいいのだろうか。走ることに夢中だったときには気づかなかった包みの重さが、ずしりと腕にのし掛かった。
 あと一歩進めば、屋敷の外だ。太陽はさんさんと照っているが、門の陰はひやりと冷たい。そして、その陰の向こうには自分のことを怒る人がいない代わりに、知る人もいない。
「ロマーノ」
 顔を見なくても、自分の名を呼ぶ人が誰かなんて、分かりきっている。

【西ロマ:会議室で】

「場所変えないか」
「誰か来ないか気になるん?」
 仕掛けたのはそっちのくせに。スペインの口ぶりには、そんなニュアンスが含まれていた。
 机の上に仰向けに寝かされたロマーノは眉を寄せた。
「眩しいんだよ」
 場所は会議室。陰を許さないとばかりに蛍光灯が存在を主張する部屋は、確かに愛を交わすには不向きだ。スペインは重苦しい息を吐いて、口をひん曲げた。
「俺がもうちょっと青かったら萎えとった」

【西とロマと仏と伊と】

「嘘こくなやフランスぅ〜」
「ホントだって! 俺何もしてないって!」
 ロマーノがトイレから戻ると、すっかりできあがったスペインがフランスに絡んでいた。部屋を出る時点で予兆は見えていたが、今日はずいぶんと鬱陶しい方向に行ってしまったようだ。ちっとも目の保養にならない光景を目の当たりにすると、隣でなくてよかったと改めて思う。
「あ、兄ちゃんおかえりー」
「どうなってるんだ?」
「えーっとね」
「ロマーノが一人でトイレなんか行けるわけないやろぉ!」
 ヴェネチアーノが状況を説明するより早く、スペインが叫んだ。
「……」
「……うん!」
 ロマーノの無言の問いかけに、ヴェネチアーノは笑顔で答えた。

【西ロマ:朝、出発前】

「まだぁ?」
「まだ!」
 玄関にいるらしいスペインに向かって怒鳴る。やろう、あんだけ起きるの渋っといてもう支度できたとはどういうことだ。ドライヤーのくそ暑い風を止めて鏡を見る。こんなもんか?
「そんでかっこええで!」
「見てねーだろ!」
 退屈ならテレビでも見ていやがれってんだ。キリがよかろうが悪かろうが引きずり出してやるから。あいつ家に女の子引き込んだ翌朝に「まだおったん?」とか言ってんじゃねーだろうな。……くそ、想像しちまったじゃねーか気分悪ぃな。全部スペインのせいだ。俺がどんだけ急かしてももうちょっとな〜とか言ってねちねちやってくるくせ――
「うわあああああッ」
「どしたん?!」
「なんでもねーよ!」

「ほな行こか」
 スペインは何も言わない。きっと服を着た以外の変化が分からないとか思ってんだろうな。
「何も忘れてねーだろうな?」
「ロマのほかに必要なもんなんてないで」
「……行くぞ」
「ちょおっ、スルーせんといてぇな」
「財布忘れてても奢ってやらねーからな」
 散々なスタートだな、ちくしょう! スペインが鍵を閉めるのに手間取るように、眩しすぎる空に向かって祈らずにはいられなかった。

【西ロマ:夏仕様・冬仕様 ※下ネタ】

「ボディーソープ変えたんや」
「ああ」
 今バスルームに置いているのは、弟が「兄ちゃんちこれから暑くなるから丁度いいと思うんだー。使ってね!」と寄越したものだ。新製品だというそれは、薦められた通り、清涼感があって気持ちがいい。これなら買ってやってもいいな、と値段を見てみたら、やる気をなくした。
 その時の自分と同じくらい、スペインは微妙な顔をしている。
「めっちゃちんこスースーする」
「知りたくねーよ」
 クソがつくほどどうでもいい報告をはねつけてから、読んでいた雑誌に目を戻して、その刹那に思いついた台詞の寒さに怖気を震った。スペインを見るとまだ居心地悪そうにしている。俺がどんなにキメても受け流し、その一方で情熱の国の名が号泣するオヤジギャグを言ってのけるこの男に、言ってみたいという衝動が背中をぐいぐいと押す。
「……温めてやろうか?」
「えっ」
 スペインのこんな顔を見たのはたぶん初めてだ。ものすごく気まずい。
「……えっと……あの、お願いします?」
 こんな時だけ空気読むな。あとなんで疑問形なんだよ。ちくしょうめ。

 未だかつてないレベルで「雰囲気がない」状態で、スペインのものを口に入れる。ボディーソープの清涼感で舌がひりひりしたらどうしようかと思ったが、いつも通り……いや、洗ったばかりなせいでいつも以上に味がない。ゴム越しといい勝負だと思う。使ったことないけど。
「ロマは平気なん?」
「……俺は別に」
「そっかぁ。俺、皮の大切さを思い知ったわ」