ロマーノのコンパスに合わせるから、予定より遅くなっている。小走りに追ってくる様は余裕のある時ならば可愛くも見えただろうが、今は「これ以上歩みを早めるのは無理だ」という事実を認識させ、苛立ちが募るだけだった。
風は冷たいくらいだが日差しがきつい。ずっと浴びていると頭痛を感じるほどだ。ロマーノが日陰になるように立つ位置を気にしているなんて、我ながら馬鹿らしい。懐いてくれるような可愛げがあれば、良い親分を演じる甲斐があるというものを。
「こっちの気も知らんで……」
独りごちるその一方で、気付かれていないことに安堵してもいる。自分から言うつもりは毛頭ないが、もしもロマーノに気付かれ捻くれた反応を得て、流せる自信がない。片面だけこんがり日焼けして、後日改めて馬鹿にされる方がまだやりようがある。
「疲れてないか?」
「疲れないわけねーだろ。お前の目は節穴か」
明日の処遇は宗主国の胸先三寸、機嫌を損ねては生きていけない立場にあるというのに、何だこのふてぶてしさは。しかも、屈しないという民意の表れでもないときた。スペイン語は一向に上達しないのに、いらぬ語彙だけが増えていく。深呼吸してぐっと息を止め、ゆっくりと吐いた。
「ほら」
しゃがんで背中を差し出す。ロマーノは変なものでも見るような目で突っ立っている。
「何してるんだ、早く乗れよ」
「おんぶ?」
「どう見てもそうだろ」
眉間に皺を寄せたロマーノと睨み合う。あと一息でさっきの言葉をそっくり返すところだった。
「ロマーノ、早くしないと先に帰るぞ」
「……そうしたらいいだろ」
「できるんやったらそうしとるわアホ!」
意味は分からずとも意図は通じたのか、それとも怒鳴られて竦んだのか、元々への字だった唇を更に曲げてロマーノは押し黙った。
背中でロマーノが「置いてきゃいいのに」とこぼした。独り言のつもりだろうが、この距離で聞き逃すほど耳は遠くない。支える腕の力を緩める。
「ひっ」「ぐえ」
首を絞められ、ずり落ちたロマーノを慌てて背負い直す。咳き込んだところに追い打ち。
「びっくりさせんなコノヤロー!」
「落とされたくないなら素直に背負われろ!」
「お前が勝手にやってんだろうが! 放せよ!」
「黙って言うこと聞け!」
暴れだした脚をしっかり抱え、揺らし、跳ね、捻り、その場でぐるぐる回る。聞こえていた暴言が悲鳴に変わる。面白くなってきた。たわめた膝を伸ばすと同時に、全速力で駆けだした。
が、つまずいた。
「のっわああ!」「ひやあァ!!」
砂っぽい臭いと、砂っぽい味。うっすら開けた目に見えたものも砂っぽい。
「大丈夫かスペイン!」
「いだだだだ、折れる首折れるぅッ」
後ろから首を起こされ、生命の危機を感じた。日差しが目を焼く。
「ロマーノ、とりあえず降りろ」
背中から降りて顔の横にぺたんと座ったロマーノは心配そうな顔をしている。珍しく、心配していると判る顔だった。こけた時にぶつけたのか額がわずかに赤い。体のどこに頭突きを食らったのかは定かではないが、恐らく今晩中に判ることだろう。
ひとまず体を起こして口に入った砂を吐き、胡座をかく。
「怪我はないか?」
ロマーノは首を振った。
「立てるか?」
頷いて、立ち上がる。回転が効いていたのか少しふらついたが、転びはしなかった。
「痛いところは?」
額をぶつけたことに気付いていないのか、また、首を振った。
「よし!」
膝を叩いて立ち上がると、急に戻った高低差に圧されたのかロマーノは後ずさった。眼に力を込めて見ると、ぴしりと固まる。やり過ぎたと反省して力を抜く。
「ほないのか」
「……?」
「それじゃあ帰ろうか」
意味の分かっていないロマーノのために言い直して、手を差し伸べる。また変な顔をされた。
しゃがんで、突っ立っているロマーノに背中を向ける。腰の横に出した手をひよひよと動かす。
「おんぶするから乗って。今度は落とさないよ」
素直におぶさったロマーノは、小さな声で「約束だぞ」と言った。
大幅な遅刻だ。のたのた歩きながら言い訳を考えていると、ロマーノの声が割り込んだ。
「お前がスキモノってやつか?」
「ちゃうで!」
あんまりな誤解に心臓が飛び跳ねて数回バウンドする。
「おいこら、分からねーぞ」
「えーと、俺はそんなことないよ」
「間違いねーよ。色んな奴がいたけど、俺をおんぶするのなんてお前くらいだ」
どうやら「物好きな者」という意味の方だったようだ。てっきり違う方かと思って焦った。
「そのくらいで物好きってことはないと思うけどなぁ。ところで乗り心地はどう?」
「思ってたより悪くない」
「判定辛いな。じゃあ、もうちょっと悪くなるけど許してくれよ」
遅刻がロマーノだけのせいじゃなくなったことは、たぶん救いになる。
呼吸を整える。「落とさない」という約束は、絶対に守ろう。