ヴェネチアーノの来訪を告げると、ロマーノは二人きりで会うと言って譲らない。
「あのなあ、弟だぞ?」
警戒しすぎだと訝しげにされ、スペインは喉まで出かかった台詞を飲み込んだ。二人が統一を成し遂げたことを祝う心に嘘偽りはないが、臍を噛んだ記憶は消えることはないだろう。
「戻ってくるから心配すんじゃねーよ」
「ほんまに?」
「戻ってこなかったら連れ戻しにくりゃいいだろうが」
ロマーノが戻らなかったら、或いは戻れなかったら、スペインは必ずそうする。自信に裏打ちされた笑みでもって、ロマーノはスペインの二の句を封じた。
スペインはロマーノの指示通りに、ガーデンチェアとテーブルをテラスの軒先から離して配置した。すっかり重さに馴染んだロマーノの体を持ち上げ、手前の椅子に座らせる。
「三十分経つまでは絶対に来るな」
「合点承知」
玄関で待っていたヴェネチアーノに庭に回るよう声を掛けて、スペインは二階へ上がった。バルコニーから見える、置いたばかりで不自然にさえ思えるセットを見ていると、身代金の受け渡し現場を張っているような気分になってくる。
あと三十分。コーヒーと菓子の準備でもしていようと、スペインは家の中に引き上げた。
空の色も影の角度もほとんど変わっていない。変化したことといえば、椅子が横倒しになっていて、そこに座っていたロマーノがいなくなっていることくらいだ。
「ロマーノ、どこ? どこにおるん!?」
「ここだぞこのやろー」
ロマーノはテラスのプランターの横に座っていた。
「……驚かさんといてや。どうやってここまで来たん?」
「歩いてっつーか、這ってっつーか」
面倒そうに答えるロマーノの服は土と草の汁らしきもので汚れている。
「コブになっとるやん!」
もしやと思いロマーノの頭に触れたスペインは叫んだ。椅子から降りるために、椅子ごと倒れたに違いない。痛い思いなど絶対にさせたくないと思っているのに、なんてことをしてくれるのだろうか。
「もっと上手くやるつもりだったんだよ」
ロマーノは嘯いた。
「待っとったら俺来たのに」
「待ってなきゃ来ないだろうが」
実りのない問答を続けようとして、スペインはヴェネチアーノがいないことに気付いた。
「イタちゃんは?」
「帰った」
「ええー、コーヒー淹れて来たのに」
ロマーノの失踪に青くなった割に、スペインは三人分のコーヒーとビスケットはしっかり保持していた。テラスの段差に置かれたトレーの上の配置は乱れていない。
「ケンカでもしたん?」
「……してない。俺が帰れって言ったんだ」
「何で? 会いたかったんと違うの?」
「別に良いだろ」
ロマーノはむっつり黙り込んで、それ以上しゃべりそうにない。スペインは「よし」と掛け声を掛けて立ち上がると、プランターの側面にもたれていたロマーノを抱え上げた。
「うわ!」
「びっくりすると目が丸なってかわええな」
ロマーノの目を見つめて、スペインは笑った。幼ささえ見えていたロマーノの表情が、不満げなものに塗り変わる。
「それ言われて喜ぶ男がいると思ってんのか」
「ええ天気やしここでお茶しよか。最近あんまり外出てへんかったやろ?」
ビタミンDが必要だと言って、スペインは短くなった手足で抱きついたロマーノの腰を抱えて、くるりとターンした。
息苦しさを感じて瞼をこじ開ける。ここしばらくロマーノの泣き声や叫び声で起きることがなくなっていたから、頭が上手く動き出さない。胸の上に何かが乗っていると認識した刹那、部屋の中なのに星が見えた。
「いっ……ったー」
スペインは堪えきれずに声を出して額を押さえた。耳鳴りと心音に占拠された聴覚に、ロマーノの笑い声が入り込む。それが妙に懐かしい。
「どしたん? 俺何かしたん?」
「お前の中の俺はどれだけ慈愛に満ち溢れてるんだよ」
ぶつけられたばかりの額に額を合わせられる。
「バカ弟に普通じゃないって言われた。……俺もそう思う」
睫同士が擦れ合いそうな距離で、ロマーノは「どうかしてるんだ」と呟いた。
「恋ってそんなもんやろ」
「……古くせーぞ」
ごろりと寝返りを打って、ロマーノはスペインの上から降りた。
「明日、部屋の掃除するから手伝え」
「構わへんけど、どういう風の吹き回しや?」
「できるのをお前にやらせるのと、できないからやってもらうのとじゃ気分が違うんだよ」