窓が開いているわけでもないのに寒い廊下で、プロイセンは腕を組み直す。この時ばかりは、ホームルームの短い自分のクラス担任を怨みたくなった。スペインなど待たずにさっさと帰ってしまいたいが、今日ばかりはそれはできない。足元の鞄に目をやり、型板ガラスのはまった教室の窓を睨んだ。

「校長と生指の話だけでもうんざりやのに担任も話長いねんもん。ほんま参るわ」
「寝てて聞いてなかっただろ」
「なんや、式の間、熱い視線感じると思ったらお前やったんかー。冬休み中も色んなとこからラブコール掛かってて暇なしやし、俺もてもてやなあ」
「バカ言え。補習とバイトだろうが」
「……言わんといたって」
 両手で顔を覆って泣き声を出したスペインにプロイセンは呆れた目を投げかけた。まじめに点数稼ぎでもしていれば補習は免れたというのに、この友人は教師に尻を叩かれるようなまねしかしない。人好きのする性格のおかげで好かれてはいるのだが、教師の愛情を特別課題という形で身に受けるくらいなら、いっそ匙を投げられ放任されていた方がマシだと思う。
「今年も、フランスの野郎からクリスマスメール来るんだろうな」
「フランスみたいなんのおかげで店の儲け出てること思たらムカついてもおられへんねんけどな」
 どこを切ってもアルバイトに繋がるスペインはある意味仕事の鬼だ。探りを入れるまでもなく判ったスケジュールに、プロイセンは肩に掛けた鞄のベルトを握る。やはり、今日は逃せないのだ。
「ほな、俺このまま直でバイト行くから」
「あ、ちょっと待てよ!」
 プロイセンは自転車のペダルに足を掛けた不安定な姿勢のスペインを引き止める。組み立てていたはずのシナリオはどこかへ消えていて、あるのは今手の届く範囲の現実だけだ。文字通り引っ張り出すようにして鞄から紙袋を取り出す。少し形の崩れたモノトーンの包みは、余裕さえあれば濃いグレー地に白のスノーフレークが散りばめられた、季節限定の包装なことが見て取れるだろう。
「これ、その、あれだ。お前に」
 目を泳がせるプロイセンと差し出された包みを、スペインは小首を傾げながら交互に見た。誰からか、というのは問うまでもなく、また、くれるのかと訊ねるのも馬鹿げている。スペインがすぐに受け取ろうとしなかったのは、単に寒さで自転車のハンドルから手が離れなかったからかもしれない。それでもその僅かな間は、プロイセンのギリギリで均衡を保たれた胸中を乱すには十分だった。
 スペインの胸に紙袋を押し付ける。顔が、長湯した後のように首まで赤く染まっている。
「メリークリスマスっ」
 言うが先か、踵を返して駆け出すのが先か。どちらにしても、支える手をなくして重力に従った紙袋を思わず両手で受け止めて、そのせいで倒れ始めた自転車を慌てて片手で引き上げたスペインには変わらない。前籠からずり落ちた鞄を積み込み直して落ち着かせてから、握ったままになっていた紙袋を見た。くしゃりと歪んだ形は贈り主の混乱ぶりに似ていて少し可笑しい。
「はー、やばいわ。俺まで恥ずかしいかも」
 鞄の中にしまい込む紙袋に、思い出し笑いと照れ笑いをない交ぜにした笑いを向けて、スペインは地面を蹴った。顔が赤いのは、寒さのせいだけではないかもしれない。


 携帯の着信音に、ベッドに腹ばいになって雑誌を見ていたプロイセンは顔を顰めた。フランスからなら合コンだかデートだか知らないが即刻削除してやろうと心に決めて、携帯に手を伸ばす。サブウィンドウは予想に反して「スペイン」と表示していた。
 メールの内容は簡潔で「外見てみ、雪降ってるでー」と、それだけ。
 正直に言うとがっかりした。クリスマスプレゼントを渡すという行為の見返りに何も期待していなかったといえば嘘になる。せめて礼だけでも言えよと思いつつ、プロイセンは部屋のカーテンを開けた。
 向かいの家の塀の前に、見慣れた人影。
「は? スペイン?」
 窓を開けようかと思ってから、外へ出た方が早いと思い直す。部屋を飛び出て階段を駆け下りた。脱ぎっぱなしだった靴をつっかけて、玄関の扉を開けるなり叫んだ。
「こんな時間に何やってんだよ!」
「バイト終わってからやから遅なってん」
 言われて見れば、まだコートの下は制服のままらしい。自転車はない。自転車で来られる距離ではないから当たり前といえば当たり前か。
「俺がメール見なかったらどうするつもりだったんだよ」
「その時はその時やろ。お前の部屋の電気点いとったからおるんちゃうかなって」
 スペインは手に息を吐きかけて擦り合わせた。雪が髪に留まって、融ける間もなく風に飛ばされる。
「手、寒いだろ」
「ああ、うん。手袋なくしてなー、買おうって思うねんけどなかなか。でもな、こうするとあったかいねん」
 そう言って、スペインはおもむろにプロイセンの頬に手を伸ばして触れた。冷たい。
「あのな、お礼言われへんかったから。あと俺は何も用意してへんかったし、せやから」
 ぐいっと顔を引き寄せられて、コートのファスナーの引き手が見えたと思った瞬間、額に柔らかいものが触れた。ひやりとしたそれを唇だと認識したのは、通常の位置に戻ったスペインと目を合わせてからだった。頬から手が離れる時、雪の降る中だというのにその冷たさが名残惜しかった。
「メリークリスマス。良い夜を」
 至近距離で呟く唇を、見つめすぎたのがいけなかったのかもしれない。