穏やかな風が木の葉を揺らし、午後の陽光をちらつかせる。
イギリスは書類が飛ばないようにしっかり窓を閉めていることを恨めしく思った。
時計を見るとアフタヌーンティーの時間までまだ間があるが、そう長くもない。
このまま根を詰めていてもキリの良いところでは終われないと、潔く仕事を中断することに決定、ペンを置いた。空いた手をそのまま机の引き出しに伸ばして、読みかけの本を取り出す。
しおりの挟んであるページまで捲って……一緒に挟まっていたメモに気付いた。
書かれた内容に顔を顰めた瞬間、ドアが開いてフランスが入ってきた。
「よお、元気にしてるか」
「帰れ」
「おいおい、行くって前もって知らせただろ?」
「俺は知らないし、知ってたとしても許可しない」
手の中のメモを握りつぶしながら、イギリスはフランスを睨みつけた。
メモにはフランスが来るという旨と、その日時が書いてあった。家人が約束を口頭で伝えると共にメモも渡してくれていたらしい。その時の記憶はすっぽり抜けているが、本に挟まっていたことからすると読書に夢中になるあまり、適当に分かったとでも答えてしまったのだろう。約束の相手がフランスだったのは幸いと言えば幸いだ。
「電話に出たお前んちの人に今日のこの時間に行くって伝えてくれって言って、断りの連絡もなかったから約束できたんだと思ってたんだけどな。確実に伝わるように直通電話でも繋ぐか?」
「……チッ。で、何の用だよ?」
フランスの軽口に舌打ちで答えて、イギリスは椅子に背を預けて足を机の上に投げ出した。
さっさと用件言ってとっとと帰れ。
表情にも態度にも不快感を顕にして、言外にその意思を示す。
「紳士様はお行儀が悪うございますねぇ」
しかし、フランスは慣れたもので、気にする素振りも見せない。猫なで声を出してイギリスをからかいつつ、机に腰掛ける。そして、イギリスの足を掴んで自らの腿の上に乗せた。
「うっわッ、いきなり何すんだよ!」
椅子からずり落ちそうになったイギリスは、慌てて背もたれを掴んで体を固定する。
対するフランスはイギリスの叫びなぞどこ吹く風で、靴を脱がせ始めた。脱がせた靴から床へ落とすと、主のいない靴はどちらとも底から着地して、行儀良く並んだ。
今度は、どこからか出した箱から別の靴を出して、イギリスに履かせ始める。
当のイギリスは、体勢の不安定さに椅子から手を離すこともフランスを蹴り飛ばすこともできずに、気持ち悪いだの離せだのと叫ぶだけで、されるがままになっている。
「さて、と。終わりましたよ、お坊ちゃま」
フランスはイギリスの足を元の位置に戻した。
「てめぇっ」
開放されたイギリスは早速立ち上がってフランスに掴みかかるが、
「履き心地どうだ?」
という一言に、足元を見る。数回足踏み。
靴作りの伝統ならイギリスの家は有名だ。もちろん名だけでなく実も伴っているし、靴の良し悪しの判別ならばイギリスは自信がある。
履かされた靴は、良い具合に足に馴染んだ。
「……悪くはない」
「だろう? この間のコレクションで発表された新作なんだ。まあこの手の靴はデザインなんてそうそう変わらないけどな。見たいショーがあるなら招待状もらってくるから言ってくれ」
満足げに笑うフランスに勢いを殺がれたイギリスは、椅子に座りなおした。
「用事はこれで仕舞いか?」
「いやもう一つ」
嫌そうな顔をしたイギリスに、フランスは小奇麗な封筒を手渡す。
「映画のチケットだ。作ったのは俺ん家だけど、原作は日本の小説なんだ」
「俺は行かねーぞ」
「そう言うなよ。面白いってタイプのストーリーじゃないが、絶対に見て損はない」
「映画の内容じゃなくて、お前と見るのが嫌なんだよ」
「ん? 俺は一緒に見るなんて一言も言ってないぞ? そんなに俺と見たかったのか……それは光栄だな。だが残念なことに俺はチケットを持っていない」
「なっ……!」
「だがご心配なく。チケットはその封筒に二枚入ってる」
口をぱくぱくさせるイギリスに、フランスは宥めるようにゆっくりと言った。
「印字された日に、劇場へ、上映開始時刻に間に合うように来てくれればいい」
待ってるから。
仕上げの一言は肩に手を置いて、耳元で囁く。
「このッ」
「うおっと」
溜めなしに繰り出されたイギリスの拳がフランスの髪を掠める。
「もう帰れっ!」
椅子が派手な音を立てて倒れるが、イギリスの怒鳴り声はそれよりも大きかった。
フランスは「うひゃあ」とわざと声を上げて後退する。
「この家から! 今すぐに!」
イギリスの顔が赤いのは怒りのせいか。
足を踏み鳴らしてドアまで歩いてドアを開け、再び戻るとぐいぐいとフランスの背を押して行く。
「ああ、その靴履いて来てくれると嬉しいな」
「いいから出てけ!」
突き飛ばすようにして締め出すと、力任せにドアを閉める。部屋全体に震えが走った。
時計を見るとアフタヌーンティーの時間丁度。
計ったように現れて消えたフランスを呪いながら慎重に部屋の外を窺い、フランスの不在を確信してから茶を用意しに部屋から出て行った。