「イタちゃんはどっから見てもかわええなぁ」
オーストリアがザッハトルテを作り上げるまでの間、庭に避難することにしたスペインは、丁度近くを通ったヴェネチアーノを捕まえて、ガーデンテーブルに載せて観賞していた。小さな天板の上に座らされたヴェネチアーノは、くるくると周りを回るスペインに戸惑いを隠せない。
「おいこらスペイン! 弟に何しやがる!」
嫌ではない分、対応に困る。遠くに聞こえる爆発音に耳を澄ませながら、ヴェネチアーノがオーストリアの顔を思い浮かべたところで、威勢のよい声と共にロマーノが現れた。
「どこに行ったんかと思えば。ロマーノもやりたいん?」
「誰がするかちくしょーめ! 痛い目見たくなけりゃそのバカを解放しやがれ!」
ロマーノは物置から取ってきたらしい箒を振りかざしてスペインを威嚇した。
「ふむ。ほなイタちゃんと代わったってな」
ロマーノの登場に慌てた様子もなく、スペインはロマーノを抱え上げた。ロマーノをテーブルに載せ、その重みでテーブルが傾かないよう、ロマーノの体を自分の体で支えながら、ヴェネチアーノを抱き上げて地面に下ろす。一連の動きはメイドが空いた皿を交換するような手際の良さで行われ、入れ替えられた本人達も不思議顔で互いを見ている。
「もうちょい深く座って」
テーブルの端っこにちんまり腰掛け、足をぶらつかせていたロマーノの尻を、膝が伸びる位置まで移動させる。重心が定まらず不安定だったテーブルはそれで落ち着いた。スペインは「よし」と満足げに言うと、まだ呆けているヴェネチアーノと目を合わせるためにその場にしゃがんだ。
「オーストリアのザッハトルテがそろそろ焼き上がると思うねん。もう大丈夫やろから、手伝いに行ってきたってくれへん?」
「兄ちゃんは……」
「ロマーノには親分がついとるから」
ガーデンテーブルを見上げるヴェネチアーノの頭を撫でて、スペインは厨房に向かうように背中を押して促した。ヴェネチアーノはためらうような素振りを見せてから、小走りに走り出した。
「……さてロマーノ。今どういう状況が分かるか?」
ヴェネチアーノを見送ったスペインは、ロマーノを振り返ってニヤリと笑った。
ロマーノははっきりしない地面と自分の位置関係を確かめるように、視線だけを左右に振った。少し動いただけでテーブル――ロマーノにとっての地面――がグラつくことは、先ほど実証済みである。顰めた眉には明かな心細さが浮かんでいた。
「何がしたいんだよ」
「そう難しい顔せんでもええやん。俺はロマを全方位から眺めたいだけやん?」
ぐっと睨み付けてくるロマーノの視線を受け流し、スペインはさっきよりもゆっくりと、まるで老人が庭を散策するような速度でテーブルの周りを回り始めた。
「ロマーノにできるんは黙って観賞されることだけ。もし降りたくなっても、俺に助けを乞わんと降りられへんねんで。敵である俺になぁ」
影のある含み笑いをするスペインを憎々しげに睨むと、ロマーノは固く目を瞑った。勝手にしろとばかりに腕を組む。引き絞られた唇は、憤りと屈辱に震えていた。
ザッハトルテとコーヒーを載せたトレーを手にしたオーストリアは、庭先で繰り広げられている小芝居を見て首を傾げた。事態の確認のために、後ろに付いてきているヴェネチアーノを見る。ヴェネチアーノは重ねた皿を手に、不安げな瞳を彷徨わせた。
「何をしているのですか」
「おお、お疲れさん! 相変わらずうまそうやなぁ」
オーストリアの手にあるトレーを見たスペインは、歓声を上げてからその場にいる人物を順に見た。
「ロマーノに自分の立場っちゅうもんを分からせようと思って」
「なるほど。それなら仕方ありませんね」
オーストリアはあっさり認めると、スペインが使っているのとは別の、広めのテーブルにトレーを置いた。そしてテーブルに背が届かないヴェネチアーノには座っているよう指示を出し、自分で配膳を始める。ヴェネチアーノは指された椅子に手を触れたまま、まだテーブルに載せられたままのロマーノと、オーストリアとスペインを見比べている。
「あの、オーストリアさん」
意を決して声に出したヴェネチアーノに向けて、オーストリアは軽く頷いた。
「お茶にしましょう。それを戻すのは後で構いません」
「ええのん?」
「コーヒーが冷めますから」
「やっぱ話が分かるなぁ」
スペインはロマーノを抱き上げると、準備の整ったテーブルに駆け寄った。
「兄ちゃん、あれくらいの高さなら飛び降りられたでしょ?」
ロマーノはチュロスをかじるのを止めてヴェネチアーノを見た。
ザッハトルテはとうに平らげ、小さなイタリア二人は芝生の上で遊んでいた。テーブルの方ではスペインとオーストリアが、真面目な顔で何やら話し込んでいる。話始める前、スペインはどこから出したのか、二人で食べろとチュロスが入った籠を渡した。二人は遊びながらしゃべりながら、砂糖とシナモンのまぶされたチュロスをせっせと消費している。
ロマーノは手に付いた砂糖粒をぺろりと舐めた。
「んああ、それはスペインを油断させるための策だ。あいつは俺が何も出来ないと思ってやがる」
「そうなの?」
「そうだ。寝首を掻ける日も近いぜ」
ロマーノはチュロスを握った手で、シュッと首を掻き切るジェスチャーをした。「ふーん」と相槌を打ったヴェネチアーノは、口に入れようとしたチュロスを一旦停止させ、星形の切り口をじっと見た。
「もしもだよ、もしも。スペイン兄ちゃんが中に何か入れてたら……僕たち危ないよね」
「あいつは食べ物を侮辱するようなことはしねーよ」
何の根拠もなく胸を張って、ロマーノはラスト一本のチュロスに手を伸ばした。