ひっくり返す

「どうかしたか？」
　甚壱は自分の上に乗った蘭太を見上げて尋ねた。
「いえ……」
　自分でやったことながら、蘭太はよく分からないという顔をして、それから答えた。
「やれそうだと思ったからやってしまいました」
　互いの用を済ませた夜、甚壱の部屋。二人で行う性行為のうちの、いわゆる前戯と呼ばれる部分。
　自分で敷いた布団の上に横たわり、甚壱からの愛撫を受けていた蘭太は、ふと、組み敷かれた状態から抜け出すことを思いついたのだ。
　体格差に技量の差。日々の研鑽を怠ってはいないが、蘭太の体術は甚壱相手に通じるほどのものではない。覚束ないシミュレーションを打ち切って、ぶっつけ本番で体を動かす。行き当たりばったり、実戦では使えない当たって砕けろの戦法だった。
「まさか本当にできるとは思いませんでした」
　あっけなく倒れた甚壱からは、抵抗どころか、蘭太の思いつきにあえて流された気配がした。いくら害意がないとはいえ、蘭太の思惑に甚壱が気付かないはずはなく、恐らく本当に乗ってくれたのだろう。
「新鮮な眺めです」
「そうだろうな」
　位置をひっくり返してみたものの、ここから何をするという計画はない。蘭太は照れ笑いを浮かべると、さらなるごまかしとして甚壱に口付けた。当初の位置からずれているが、布団を二枚並べて敷いているおかげでまだ布団の上だ。
　どれだけお膳立てしても、色めいた空気はすぐに散ってしまう。ふざけたことをすれば余計にだ。
　蘭太は今日はこのまま終わってもいい気になっている。体を繋げなくとも、甚壱と二人で過ごせるならそれでよかった。月に一度の閨事は、甚壱を独占する理由を、恋人という形式を保つための儀式だった。
　蘭太が様子を窺う前に、甚壱から口付けを返される。薄い、触れた肌よりも心持ち温度が低い唇だ。
　蘭太は甚壱からのキスを継続の合図と受け取って、身を乗り出すようにして口付けを深めた。しなくてもいいが、するならするでよかった。
　太ももの裏側を撫でていた甚壱の手が尻に移り、部屋に来る前に洗浄を済ませた部分に触れる。蘭太はこれからどうしようかと考えた。上に乗ったからには自分が動くのもやぶさかではない。
　蘭太は背中を起こし、試しに手のひらに余る量感の甚壱の胸をもみもみと揉んでみる。
「……蘭太」
「嫌ですか？」
「嫌じゃないが」
　蘭太は甚壱が返事とは裏腹に明らかに嫌そうな顔をしているのを見て笑った。鍛え上げられた甚壱の胸筋は柔らかく、揉むのは性感がどうという以前に手遊びとして楽しい。
「最初は変な感じがしますが、慣れると気持ちいいですよ。請け合います」
　手のひらの下で、甚壱の心臓は規則正しく打っている。どうせなら何でも試してみたい。蘭太は乳輪の縁を撫でる。
　そうして甚壱の反応を待つつもりが、視界が前触れなく反転した。蘭太は目をぱちくりと瞬かせた。時間が巻き戻ったように、布団を背にして甚壱を見上げている。
「……今度にしろ」
「約束ですよ」
　甚壱は返事をしなかった。