平常運転
「そんなええもんちゃうやろ、甚壱君なんか」
道場の隅で甚壱を待つ。小馬鹿にしたような直哉の発言に反論しようとした蘭太は、持てる材料の少なさに気づいて押し黙った。
悔しいが、直哉の言う通りだ。蘭太が甚壱に奥ゆかしさを感じているのは、甚壱との付き合いが浅く、人となりを知らないからだ。従兄弟として、それこそ生きた長さの分だけ触れ合う機会を得られた直哉からすれば、今さら知りたいことなどないに違いなかった。
「そうですね」
甚壱は多弁ではないが、無口でもない。必要な時に必要なだけ話す人間だ。おおよそ愛想というものはなかったが、芸人じゃあるまいし、男がにこにこべらべらとしゃべるというのはいただけない。蘭太は直哉の薄ら笑いから目をそらして、躯倶留隊の一人と話す甚壱の背中を見た。
甚壱は自分のことを語らない。蘭太の立場で甚壱に求められるのは、任務に関しての情報とか、トレーニングについてのアドバイスとか、そういうことだけだ。甚壱個人のことを知りたいと思うのは、立ち入りすぎている。
「直哉さんが羨ましいです。甘えるの、お上手ですもんね」
「言うて蘭太君も手間掛かるやろ。この間のヘマ。取り柄ないんちゃう」
「精進します。自覚のある欠点は直せますから」
知れば知るほど嫌いになる。甚壱とは正反対だ。直哉と話している間、蘭太は呪力を練るための種を集めているような気分だった。
「どうしてそんなに直哉を嫌うんだ?」
直哉が去った後、入れ替わりにやってきた甚壱から心底不思議そうに聞かれて、蘭太は目を丸くした。直哉さんを好きな人なんているんですか、という発言が喉まで出ている。飲み込んで、言い訳を探すために目を泳がせた。直哉の性格を承知した上で呈された疑問だ。生半可な答えでは納得させられないだろう。
「……年が近いから比べられることが多くて、でも一度も勝てたことがないんです。話す度に劣等感を煽られて……そのせいでしょうか、苦手意識があります」
「そうか。直哉の性格は俺も諦めている。蘭太ならと思ったが、難しいか」
「努力します。すみません、躯倶留隊の士気にも関わりますよね」
表面上だけでもにこやかに。気にしていない風を装うことなら何とかできる。蘭太は思い出すだけでざわつく心をなだめた。
「躯倶留隊が直哉を好いていないのは直哉に原因がある。好悪で働きに差が出るような組織でもない。そこは気にしなくていい」
ならばなぜ直哉との不仲を気にするのか。甚壱の意図を汲み取れない蘭太は、盗み見るように甚壱を見た。甚壱の目は、躯倶留隊が片付けに勤しむ道場に注がれている。
「直哉は蘭太のことを何とも思っていない。敵愾心があるのはいいが、自身の向上に繋げられないなら苦しいだけだろう」
ずしりと腹が重くなった。
甚壱は、感情に囚われているのは蘭太だけだと言ったのだ。蘭太と直哉が不仲なのではなく、蘭太が一方的に直哉を嫌っているのだと。売り言葉に買い言葉。蘭太は直哉と交わした言葉を思い出そうとして、やめた。意味がなかった。
「俺も四六時中直哉に構えるわけじゃない。補佐を頼めるなら助かる。知っていると思うが、あいつは人の話を聞かない」
「……甚壱さんは、直哉さんが大事なんですね」
嫉妬が混じった発言だった。そう取られなくとも、過保護と言ったようなものだ。蘭太が早くも後悔に苛まれる横で、甚壱は気にした様子もなく言った。
「直哉が聞いていないと運営に支障が出る。それだけだ」
- 投稿日:2023年1月3日