トライ

「なあ隊長、おれこの仕事始めてからあれこれしてきたけどよ、セックスしたことねーんだよな。やってみたいからヤらせてくれねえ?」
 世間話の続きのように言ったシライは、ゴローから受け取ったクリップボードを横から見て提出用の書類の厚みを確かめると、「うげ」と口に出したも同然の顔をした。
「……常識を転送先に置いてきたか?」
「んなこと言ったら開発部が慌てんぞ。はえーこと直さねえと人間ができちまうって」
 シライの発言を聞いた瞬間のゴローはぽかんとするという珍しい反応をしていたが、シライが目をやる頃には平静を取り戻していたから、シライに気づかれることはなかった。シライが古すぎる映画の話をしたのは、転送装置のメンテナンスが行われた折に、サポートAIも交えてメンテナンスを怠ればどんな事故が起きるかという大喜利で盛り上がっていた名残らしい。
「なあ、いいだろ? 減るもんじゃなし。隊長経験あんだろ?」
「そういうことは好いた相手とするものだ」
「うっわ、隊長そんな可愛いこと信じてんの? 年いくつだよ」
 殴れる距離にいたなら殴っていた。
 ゴローがそう思っていることが分かっているからか、シライは満足そうに笑っている。新人を相手にしたレクリエーション要素のある訓練で、鬼ごっこの逃げ役をさせたときと同じ顔だ。「あとちょっとでクリアできそうって方がやる気出るだろ」と言うシライの難易度調整は絶妙だった。シライの全力を知るゴローには、絶対に食えない人参を吊り下げて嬲っているようにしか見えなかったが。
「おれはこの時代の人間じゃねえし、任務先はありえねえ。てことは本部内だろうけど、この狭い人間関係がごたごたすんの嫌だろ。消去法で隊長しかいねえ」
「どういう理屈だ」
「おれと寝たことをぐずぐず考えてる隊長なんざ想像つかねーし、もし見られたら見られたでおもしれえからアリ」
 童貞だと明かしながらのその自信は一体どこから湧いてくるのか。ゴローは自分の沈黙が言葉に詰まっているとは見られないことを分かった上で改めて、返事をしないことを選んだ。少しでも話に乗ってしまったのは失敗だった。
 シライはまだゴローのことをキラキラした目で見つめている。本部に来て初めての誕生日を祝ってやったときに「おれホールケーキ食うの初めてだ」と言ったときと同じ輝きだ。
 やがて、つまらないという風にシライは椅子の背もたれに背中を預けた。
「つれねえの。連れてきたときに何でも聞けって言ったくせに」
「何でも教えるとは言っていない」
「隊長の説く何のにもならねー常識は耳にタコだ。ならって言やいいだろうが」
「……触れ合うことに心地よさを感じられる相手を選べ。それはおれじゃないだろう」
 老いた自分の思考をトレースして答えを求めかけたゴローは、思い直して自分自身の考えを述べた。シライが振ってきたのは巻戻士としての話ではないのだ。いくらか長く生きているだけの男として話しても構わないはずだった。
 先に言ったことと似たような内容だ。返事が予想外のものだったはずはない。それなのに興味深そうにじっとゴローの顔を見ていたシライは、何かに納得したように表情を切り替えると、椅子ごとガタリと距離を詰めた。
「なあ隊長」
「試してみようとするな」

投稿日:2024年12月10日
シラゴロも書いてみようと思ったもんの、逆カプと差別化しようとするともうセックスの話をするしかないんですよね。
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