おじさん! おれの童貞をもらってくれ!(本文サンプル)

「一人で運べんのに」
「量が多いと大変だろ」
「特級舐めんな。余裕だ、余裕」
「特級でも、誰かの助けがあるのは嬉しいよ。おじさんもそうだろ?」
「あーあ、すっかりイイ男になっちまって。一体誰に似たんだろうな?」
 ぶつくさ言いながらも、シライはクロノに誕生日プレゼントの山を運ばせてくれている。酔っているからか、それとも遠心力が掛かるからか、自室までの道のりを先導するシライの手は、提げた紙袋ごと大きく振れている。そう思って見ると足取りまでもが機嫌がよさそうに見えてきて、後ろを歩くクロノは嬉しくなった。人が嬉しそうだと自分も嬉しい。巻戻士になってから知った感覚だった。
「育ての親ならすぐ紹介できるぞ」
「データベースで照会すんのか。紹介だけに」
 シライの三十歳の誕生日は、一緒に買った方が高いものを買えるからという理由で、クロノとアカバとレモンの三人合同で贈った。今年は例年通り別々に祝うことにしていて、誰が何を贈るのかは内緒のままだ。たぶん、クロノが運んできた中には二人が贈ったものも含まれている。
 同じデザインのドアが並んだ廊下。その中の一つの前で足を止めたシライは、部屋の鍵を開けるためのテンキーから目を逸らして待つクロノに向けて、「読み上げてやろうか?」と笑いを含んだ声で言う。
「不用心だな。いらない。それに知ってどうするんだ」
「おれが風邪ひいたときとか」
「そのときはクロホンに開けてもらう」
「マジで看病に来てくれんの?」
「それは、まあ。でも、おじさん風邪ひいたことないだろ」
 変な間が開いたことが気になったクロノが顔をドアの方に戻したのと、操作パネルのランプが解錠を示したのは同時だった。クロノが知る限り風邪をひいたことがない男は、意味深長な笑いを浮かべながらドアを開ける。
「ご苦労さん。こうなりゃ中まで運んでくれるだろ?」

 久しぶりに目にしたシライの部屋の印象は「変わってない」だった。
 プレゼントの配送を装ってセレブの邸宅へ侵入したことを思い出しながら部屋に入ったクロノは、子供の頃に出入りしていた気安さで、失礼にあたる可能性などちらりとも考えずに部屋の中を見回す。シライもクロノを咎めることなく、クロノの手にあるプレゼントの山をそっくりちゃぶ台の上に移し替えて、最後にクロノの懐から覗く封筒を抜き取った。
「スイーツビュッフェのペアチケットか。いちごの次は抹茶だっけ? クロノは何のときがいい?」
 チケットといえば電子チケットばかりの時代だったが、紙のチケットは贈答用として存在している。いかにも贈り物という雰囲気の白くてキラキラした封筒を、クロノの懐に入れたのはクロノではなく、贈り主であるヒヤマだ。
「それ、おれを誘っていいやつなのか? それにおれ、甘いものあんまり」
「ヒヤマからだろこれ」
「うん」
「じゃあ構わねぇよ。しょっぱい系もあるから心配すんな」
 シライの中ではクロノと一緒に行くことが決まっているらしい。クロノは本部にいる甘いものが好きな面々を思い浮かべてみたものの、断りの決定打となるはずの「他の人を誘ってくれ」の一言が出てこない。
 勤続年数なりに交友関係が広いシライが、クロノを別枠で扱う理由は「弟子だから」で全てが説明できる。今誘われたのもそういう理由。頭の中で言い訳を重ねるクロノを置いて、シライは床に腰を下ろす。
「で、クロノ。おまえも何かくれるんだろ?」
 驚いて見返しても変わらない表情。シライは子供に対してわざわざ背を屈めて話しかけるような優しさはなく、クロノはシライを見下ろすことに慣れていない。見上げてくる表情のいたずらめいた様子に、クロノはなんでこの人はいつまでもこういう顔ができるんだろうと考える。だが、今考えるべきことはそれではない。
「……なんで」
「別にいらねぇけど、ずっと何か言いたそうにしてたろ」
 どうにか絞り出した問いかけは、簡単に返されてしまった。
 プレゼントなんかいらねぇ、とは、シライの二十七歳の誕生日の目前に言われたことだ。巻戻士になって、自分で稼いだお金が手に入ったクロノは、シライに何かしたいと考えた。父の日や母の日はあっても、師匠の日というのはない。だから、シライに物を贈るなら誕生日が最適解だと考えた。
 内容と予算感。クロノとシライの関係を一番分かっているはずのスマホンが考え込んでしまったから、クロノは自分とシライを示す一般的な単語を使ってインターネットの海から答えを探そうとした。上司、先輩、はたまた、おじさん。けれども、同じ職場で働く年上の男性という括りは遠すぎて、小さい頃から知っているおじさんというフレーズで得られた答えは的外れで、誕生日以外の候補として出てきたお中元やお歳暮は、クロノには上手くイメージできなかった。何よりシライの誕生日の方が先に来る。プレゼント選びに難航した結果、シライ本人に直接聞いて得られた「欲しいもんなんかねーよ、あったら自分で買ってる」という答えは、見ず知らずの人々が展開する説と比べて説得力がありすぎた。
「……おれ」
 クロノが言い出すのを見守るシライの目がとろんとして見えるのは、酒が回ってきているからだろう。クロノは、そういうシライの顔を過去にも見たことがあった。
「セックスしたことないんだ。女の人とも、男の人とも」
「お、おう」
 セックスをしたことがない男を童貞と呼ぶ。それは、クロノが三年前に得た知識だ。
「おじさん、おれの童貞をもらってくれ」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔。宇宙を背負った猫のような顔。めったに見られない、けれどもごく稀に見られる唖然としたシライが、クロノを凝視している。もし人間の耳が自在に動かせるのなら、両耳ともクロノの方を向いていただろう。
「……もう欲しくなくなった?」
 シライから童貞が欲しいと聞いたのは三年前。誕生日でも何でもない日のことだ。酔っ払ったシライがクロノの誕生日プレゼントのために探りを入れてくるのを、シライの欲しいものを教えてもらえない意趣返しがてらに投げた質問への回答だった。とろりと溶けた金色の瞳は、言った後でいくらか輪郭を持ち直して、シライはそれまでと同じ調子で笑いながら「じょーだん」と間延びした声で付け足したきり、クロノの方を見なくなった。
 童貞というものが、たまたま見かけた好みの柄のTシャツとか、買い替えどきを迎えたスニーカーとか、そういうものと同じように欲しさに波があるものなのかは分からない。そうでなくとも三年も前のことだ。今のシライが、クロノの童貞を欲していない可能性は十分にあった。シライが受け取りを拒否しそうな理由――ガキからもらえねぇとか云々――を踏まえて十八歳になるまで寝かせたが、すぐさま渡してしまうべきだったのかもしれない。欲しいと耳にした翌年、シライの二十八歳の誕生日に。
「待て、待て待てクロノ! まず座れ!」
 言われてクロノが座れば、シライも居住まいを正す。ほんの少し前まで酒気に揺蕩っていた目は、今やすっかり正気付いている。
「それ、冗談だっつったよな?」
「……覚えてはいるんだな」
「酒で記憶飛ばねぇんだよ。おかげで飲むのに気後れする」
「酔っ払うまで飲まなきゃいいだろ」
「ごもっとも」
 クロノの指摘に、シライは神妙な顔で頷いた。
 クロノが合法的に酒を飲めるようになるまであと二年ある。クロノの食べ物の好みを知った人がこぞって「絶対に酒が好きだぞ」と言うものだから、クロノも酒の味に興味はある。だが、不安も大きい。未来の自分がやらかす可能性を考えたクロノは、あまり偉そうなことを言わないように口をつぐむ。
 居住まいを正したばかりのシライは、早くも居心地悪そうに体を縮めている。
「セックスってのは一回ヤってハイ終わりってもんじゃねぇんだよ。そういう場合もあるけど、大抵は同じ相手と繰り返し積み重ねていく。そうやって上手くなって……いや……上手くなるってのは語弊があるけどよ……」
「任務と同じ?」
「同じではねぇな。成否の基準があるわけじゃねぇし、巻き戻しリトライもできねぇ。それにたとえ役割ロールがあっても、責任は片寄せずふたりでコントロールしてくもんだ」
 ちらりと目を上げたシライは、シライが言いたいことを理解できずにいるクロノを見て、がしがしと乱暴に頭を掻いた。大きく吐かれた息には酒が匂っていたが、本人はもう酔いに身を委ねるどころではないだろう。
「とにかく、おれがプレゼントにもらえるようなもんじゃねえんだ、おまえの童貞は。二回三回とやりたいような相手としろ。おれの戯言は忘れていいから」
「……おれ、三年間ずっとおじさんとセックスする気でいたから、今さら他の人なんか考えられない」
 欲しいと言われてからこちら、クロノが想定してきたセックスの相手はシライだった。恋と呼ぶには不純な動機だと自分で思うが、シミュレーションは済んでいるのだ。計画を実行に移して、シライの反応と、できれば講評をもらって、改善に繋げたい。つまり、クロノにはシライと二回目三回目をする心づもりがある。
「……悪かった。謝って済むもんじゃねぇけど、でも」
「謝らなくていい。おじさん、おれとセックスしてくれ。おれが選んだルートが合ってるのか確かめたい」

投稿日:2026年1月3日