リヴァイがエルヴィンの目の前で排便します。

調査兵団の心得

 兵舎の中でも特に人の出入りの少ない棟に、リヴァイは一人部屋を与えられている。
 新兵に限らず、大半の兵が共同部屋で寝起きしている中で異例の処遇だったが、リヴァイのことはまだ一部の人間にしか知らされていない。リヴァイの存在を数ある噂話の一つくらいにしか認識していない兵たちの間で、不平を言う声が上がることはなかった。


 自室から出てすぐのところでエルヴィンに出くわしたリヴァイは、その好青年然とした顔を認めると同時に、脇を抜ける道を探った。長きに渡る地下街暮らしでの癖だったが、行動を起こす気の有無に拘わらず、エルヴィンの隙を見つけられたことはほとんどない。
「やあ、丁度よかった。少し話があるんだ」
「すぐ戻る。部屋で待ってろ」
「どこに行くんだ?」
 無理を承知で擦り抜けようとしたが、当然のように阻まれた。掴まれた腕を取り戻そうとしたが叶わず、リヴァイは舌打ちしてエルヴィンを睨み上げた。
「クソする間も待てねぇのか」
「それはいつもの例え話か、本当か、どちらだ?」
「……便所だ。分かったら手を離せ」
「そうか」
 リヴァイの腕を掴んだまま、便所とは逆の方向にエルヴィンは歩き出した。
「おい待て、どういうつもりだ」
「君の用と私の用、両方を済ませるいい方法がある」
「クソひりながら聞くにしたって便所はこっちじゃねぇだろう」
 呆気に取られていたリヴァイが我に返ろうと、単純な腕力だけならエルヴィンの方が勝っている。体格差も加わって、動き出した足を止めさせるのは容易ではない。半ば引きずられるように伴われながら制止を試みるが、腕を掴むエルヴィンの力が増すばかりで効果はなかった。
「君が抵抗しなければすぐに済む」
 エルヴィンがリヴァイの抵抗を断ずるように言った直後、押し込まれた部屋で、リヴァイはたたらを踏んだ。
 最初に目に入ったのは執務用らしい机と椅子だった。空の棚と、雑然と積まれたいくつかの木箱。物置にしては物が少なく、使われているにしては黴臭い。汚れて曇った窓を見て苛立ちを増幅させたリヴァイは、扉の前に陣取ったエルヴィンに詰め寄った。
「おいエルヴィン――」
「ここに排便するんだ」
 詰問しようとするのを遮って、目の前にずいと突き出されたのは、一枚の油紙だった。
 リヴァイはそれに目を落として、もう一度エルヴィンを見た。
「何を言ってやがる」
「君風に言うなら、ここにクソしろ、になるのだろうか。この検査では薬剤を用いずに自然に排泄する必要がある。用を足しに行くところだったのなら、問題なく出るはずだ」


 衛生および健康に関する検査は通常、各兵団ごとに定期かつ一斉に行われる。リヴァイの場合は入団がその時期を外れていたことと、地下街出身という出自から疫病の心配がされたことで、機会を特別に設けることになったのだという。
 リヴァイにとっては降って湧いたような話だったが、実際の所、正規の手順を踏んだ上で降りてきたものだった。


 机に肘をついて体重を支え、膝を曲げて腰を落とす。ズボンと下着を脱ぎ、指示された体勢を取ったリヴァイの腹の中では、懇切丁寧な説明に付き合ったおかげで差し迫った便意と共に、背後に立つエルヴィンへの呪詛が渦巻いていた。
 ごく普通の部屋で、他人に見られながらの排泄。いくら逃れることが出来ないと理解していても、躊躇せずにはいられなかった。漏れそうだという感覚すらあるのに、意識しすぎたせいでうまく便を排出することができず、肛門はリヴァイの意志に反して控えめな開閉を虚しく繰り返す。焦りを帯びた息がリヴァイの口から漏れた。
「私の話が長引いたせいで、すまない」
 エルヴィンが歩み寄る気配を感じて、リヴァイは身を硬くした。確かにそのせいで機を逸した感はあるが、埋め合わせなど望んでいなかった。
「ああ、もうここまでは来ているんだな」
「……っ」
 尻に手をかけられ、窄んだままの肛門を指で撫でられる。浅く内側に侵入した指先が何を触っているのか、想像したくもなかった。
「ここだ、リヴァイ。ここに力を入れろ」
 指の力が、穴の縁をくすぐる軽いものから、周囲を押さえて中身を押し出すような強いものに変わる。不確かだった指針が定められる。
 リヴァイは臀部に注がれるエルヴィンの視線を振り切るように顔を伏せると、握りしめた拳に額を押しつけて腹に力を入れた。
「ふッ……、くっ……」
 体を震わせながら息むこと十数秒、ようやく、望んでいた感覚が訪れた。
 躊躇した分だけ勢いづいた大便は、みちみちと長さを増してゆく。不格好な尻尾のようにぶら下がったそれは、自重に耐えられなくなると、床に敷いた油紙に湿った音を立てて着地した。リヴァイが短く継いだ息に合わせて肛門が収縮する。独特の臭いが鼻についた。
 体を起こしかけたリヴァイの背に、エルヴィンの声がかかる。
「最後まで出せ」
「……目的は達したはずだ」
「壁外調査中、生理現象に充てられる時間は限られている。任務に就く前に浣腸することもあるくらいだ。慣れておいた方がいい。必要ならば手を貸そう」
 リヴァイは奥歯を軋らせながら「自分で出せる」と吐き捨てた。


 緩やかなカーブを描いて横倒しになった一本目の上に、やや細身の二本目が乗っている。全体的に淡く穏やかな茶色をしているのは、粗食ながらも三食きちんと摂った成果なのだという。
 糞便の脇に膝をつき、貴重な書物でも読むような真摯さで向き合うエルヴィンの声を聞き流して、机にもたれ掛かったリヴァイは力なく目を伏せた。排便を手伝われた上に、言葉通りの「尻ぬぐい」を他人に、しかも真っ白なハンカチでされるとは思わなかった。服を着終えても、違和感はまだ消えない。全身を支配する疲労感は、訓練後のそれとは違いひたすらに不快だった。
「リヴァイ」
 呼びかけに目を向けると、見上げてくる青い目とかち合った。見下ろされるのが常なリヴァイにとって、珍しい角度だった。
「地上での生活には慣れたか?」
「……ああ」
「それは何よりだ。この検査の結果が出たら、皆と君を正式に引き合わせるつもりだ。面白い奴らばかりだから退屈はしないだろう」
「お前みたいな奴が何人もいないことを願う」
 臭気の元を小箱に収めて立ち上がり、何事もなかったように朗らかに笑いながら今後の予定を口にしたエルヴィンに、リヴァイは投げやりに返事をした。


   ◇


「あの検査は人前でする必要はないそうだな」
 部屋に積まれていた木箱は跡形もなく片付けられ、空だった棚には本や紙の束がぎっしりと詰まっている。最近新たに追加された、簡単な打ち合わせを行うための机の上には、何箇所も書き込みがされた地図が広げられていた。曇り一つない窓の外は、生憎の曇天だった。
「最近忙しくしていたからな。医療班に声を掛け損ねた」
 リヴァイの手にある書類の内容を察したらしい。エルヴィンは机に向かったまま答えた。
「最初は説明だけする気だったが、君の様子を見て思い直した。人前で眠るどころか、食事をすることもできないようでは、兵団での生活に支障が出る。ただきっかけを作るだけのつもりだったが……思いの外興奮してね。その点に関しては申し開きのしようがない。まさか丸二年も気づかれないとは思わなかった」
 二年前は人の出入りが少なかったこの棟も、部隊編成が変わってから、少しは活気づいていた。それでも、奥まった位置にあるエルヴィンの部屋に訪れる者は少ない。
 ペンを走らせる音が止むと、部屋に静けさが満ちた。
「それで、私の前でする必要はないのにどうして来たんだい?」

投稿日:2013年7月18日