コミュニケーション

「生きるために欲は必要だが、欲を満たすその先の目的を見失ってはならない」
「あ?」
 セージの唐突な発言に、フォークに刺した肉を口に運ぼうとしていたマニゴルドは一旦停止した。何のことないような顔で食事を進めるセージの顔と、自らの手にあるフォークを順に見て、ひとまず予定通りに肉を食べる。咀嚼し、すっかり飲み込んでから、口を開いた。
「んなこと言ったって腹減ってんだよ」
 次の皿を引き寄せながらマニゴルドは弁解した。口に物を入れたまま喋らないこと。味わって食べること。前者はともかく、空腹を抱えた状態で後者を成すのはなかなか難しい。旨いと感じているのだから師の教えを破ってはいないはずと思うものの、訓練後で減りきった腹を黙らせるために詰め込んでいる自覚もある手前、正面切って主張することができない。
「そうではない」
「……?」
 自分の皿も寄越そうとするセージを「筋肉落ちちまうぞ」と制してから、マニゴルドは考えた。この師はたまに謎かけのようなことをする。行儀ではないとすると一体何なのか。今日の、昨日の己を振り返って、脳裏に閃いたもの。謎と共に解かれた眉間の皺は、すぐまた寄せられた。
 恐らく、いや確実に、出先で女性に声を掛けては関係を持っていたことを言っている。全て後腐れのないように終わらせているものの、短期間に複数回はさすがにまずかったか。ここは素直に叱られておくべきだと分かっていても、マニゴルドは明後日の方向を見ながら口をとがらせた。
「何も教皇様のお耳に入れることではないと思いますがねー」
「教皇としての私ではない、お前を指導する者としての私に言うたのであろう」
 セージはふてくされた顔をするマニゴルドに諭すように言う。
「するなとは言っておらん。節度を守れと言っておるのだ」
「そりゃジジイはジジイだからいいだろうけどよ」
 まだまだ若い自分にそれは無理だと言いかけて、頭をよぎった幾人かの顔に、マニゴルドは言葉を詰まらせた。十二宮を守護する彼らは年上も年下もいるが、いずれも十も離れていない。それでも性欲とは無縁そうに思えた。
 口をへの字に曲げたマニゴルドを見て、セージはふっと笑った。
「私とて人を好いたことはある。溺れる気持ちも分からんではない」
 穏やかに言ったセージに、マニゴルドは目を丸くした。
「お師匠が女を抱くところとか想像つかねー!」
 食事中ということを忘れて声を上げたマニゴルドは、向けられたセージの目を見て慌てて口をつぐんだ。それでも驚嘆とも好奇心ともつかない感情が、顔全体ににじみ出るのは抑えきれなかった。冒険譚を聞いた子供のように身を乗り出す。
「なあお師匠、その人とは――あ、いや、悪ぃ」
 問いかけてすぐ、セージの生きた年数と経緯を思い出して「しまった」という顔をしたマニゴルドに、セージは微笑みかける。
「馬鹿者、余計な気を回すな。……若き日の、良き思い出よ」
 言って、セージは再びフォークを手に取った。それを合図に、止まっていた食事が再開される。
「……やっぱり想像できねぇなー。そもそも若いジジイってのがどうにも」
「まだ言っておるのか。そんなものを想像してどうしようというのだ。益体もない」
「どうするってこともないけどよ、俺はお師匠、あんたが汗をかいてるのすら見たことないんだぜ。ちょっとは人間らしいとこがあるって知ったら気になるに決まってるだろ」
 本来ならこれ以上ないほどの下世話な話だったが、日頃の聖人然としたセージの姿ばかりを見ているせいか、マニゴルドの頭に邪な考えは毛筋ほども浮かんでいない。教えられた技を我がものとするため、見えぬ形を掴もうとするのに近い感覚ですらあった。
「そんなに言うのならば、いっそのこと試してみるか」
「……は?」
 ぽかんと口を開けて呆けているマニゴルドに、セージは言葉を改めて言った。
「私が人と交わる様を見てみたいのだろう? 他でもないお前のためだ。何人にも邪魔されることのない特等席を用意してやろうではないか」
 緩く笑う若草のような瞳は常とは違う色を湛えている。今の今まで想像し得なかった光景が、幕を取り払われた絵画のように姿を現そうとする。マニゴルドは逃げるように視線を泳がせた。顔に血が集まっているのが分かったが、どうしようもなかった。
「あー……。お師匠でも、そういう冗談言うんだな」
「青二才め。私相手にうろたえてどうする」
「いやいや、俺を動揺させられるのはお師匠くらいですって」
 無理して笑顔を作ったマニゴルドに対して、セージはいつも通りの笑みを浮かべた。

投稿日:2014年1月12日