手のひらの夢

「君ももう眠りなさい」
「それでは番が務まりません」
 光政の寝室のドアの前。アイオロスの返答を聞いた光政は、僅かに開きかけた口を閉じて苦笑した。グラード財団総帥として立っている間には、決して見せることのない表情だ。一通りの見回りを済ませてから自分に割り当てられた部屋に戻るつもりだったアイオロスは、何かおかしなことを言っただろうか、と疑問を顔に浮かべた。
「若い頃の方が気の利いたことを言えた」
 アイオロスが返す言葉を探しだすより先に、光政の手がアイオロスの手を取った。
 己の手よりも小さな、しかし年齢に見合わない男性としての逞しさを宿した手のぬくもりに、自然と心が惹きつけられる。それは光政の元に身を寄せてから初めて知った感覚だった。もっと触れられたいと思う反面、委ねてはいけないという警鐘が頭に鳴り響く。その感情に名前をつけたが最後、もう元には戻れないだろうことは明白だった。
「光政様、私などに構わず、どうぞお休みくださいませ」
 揺れる心を仕舞いこんで、やんわりと手を外そうとしたアイオロスだったが、包みこんでくる柔らかな力に、光政の意図にようやく思い当たる。その場から動けなくなったアイオロスは、何か言わなければ、という焦りを覚えながらも、己を見る光政の目を見つめ返す。
 光政はわずかに目を細めると、強制力も何もない、軽い力でアイオロスの手を引いた。


 不心得なので明かりをつけておいて欲しいという頼みは、恋は闇ということを知らないのか、という光政の言葉によって闇に溶けた。明かりがついていたとて何ができただろう。闇に目が慣れた今だって、口づけひとつ満足にできないというのに。
 うっすらと汗をかいている光政の顔を見上げたアイオロスは、口を突いて出そうになった自分の言葉に狼狽え、目を逸らした。それを目敏く見つけた光政が声をかける。
「どうかしたかい?」
「いえ……」
「私は最初君に言ったね、甘えていいと」
「……はい」
 アイオロスは自分を見る光政の優しい、しかし熱を感じる瞳を見返した。
「私の体は、気持ちいいですか……?」
 過ぎた望みを抱いていることは痛いほどに分かっている。今こうして光政に抱かれているというだけでも、夢のようなことだった。それでも、光政に少しでも気持ちよくなって欲しいアイオロスにとって、それはどうしても気になることだった。
「体を起こせるか」
「は、」
 腕を取られて従ったものの、光政のしようとしていることに気付いたアイオロスは慌てた。
「つ、潰してしまいます!」
「大丈夫だ、力を抜いて」
 光政の膝に跨らされたアイオロスは、強張りをほぐすように臀部から内腿を撫でられ、ベッドについた膝に体重を逃しつつ息を抜いた。掴まるようにと促され首に回した腕に、恐れながらもわずかに力をこめる。
「あ、あ」
 自重で深まった結合に、思わず浮かしそうになった尻を光政の手が這う。猛りによって限界まで引き伸ばされた粘膜を撫でる指先に、許容量をとうに超えていた快楽をさらに上積みされ、アイオロスの意志とは関係なく力が抜ける。光政はアイオロスの震える腿を無理に崩させようとはせずに、背中を支えるように手のひらを添えた。
「私の目を見られるかい?」
「……はい」
 アイオロスは求めに応じて体を起こし、光政の顔を見る。日頃感じていることではあったが、光政を見下ろすことに、いつも以上の申し訳なさを感じた。
 眉を下げたアイオロスの顔を見た光政は、目元を緩めた。
「かわいいな」
「お戯れを」
 背中からするすると降りてくる指に力を完全に抜いてしまいそうになり、腿の力を入れ直す。優しく尻を揉む光政の手の指一本一本を感じる。何が快感なのかすら分かっていないアイオロスの体を、根気よく、一から解してくれた指だ。そちらに気をやった時にいきなり乳首を食まれて、アイオロスは逃れることもできずに体を震わせた。
「光政、さま」
 光政の肩に置いた手に力を入れすぎないよう、突き放してしまわないよう、アイオロスは体勢を維持することで精一杯だった。動かせない体をさらに舐められ揺さぶられ、自分を保てなくなりそうな快感に、アイオロスは怯えた。吸い出された乳首に這う舌が、肌に当たる吐息が、胸を焦がすような火を灯していく。
「ぅ、ぁ……っ」
 ちゅ、と音を立てて吸われ、もう一度抱き寄せられる。穏やかに分け与えられる光政の体温と共に、後ろを穿つものの熱さと硬さを認識させられる。もじもじと身をよじるアイオロスの肌を撫でながら、光政は囁くような声で言った。
「分かるかい? 君の体で、私はこうなっているのだ」
「……、」
 アイオロスはコクリと頷いた。息を吸うその間にも、光政が触れた部分からにじみ出すような快楽に、伸ばした背は今にも崩れてしまいそうだった。
「さて、今度は私の番だな」
 無邪気に口元を綻ばせた光政の言葉を待って、アイオロスは光政の口元を見つめる。
「君は気持ちいいかい?」
 パチリと瞬いたアイオロスは、一拍遅れで聞かれた意味を理解して、顔を火照らせた。
「そんなことをお聞きになりたいのですか……」
 ただ恥ずかしいというだけで、キュウキュウと締め付けを強めてしまう自分の体に裏切られたような心地で、アイオロスは光政をなじるように言った。
「おや、私だけに言わせるのはずるいぞ。知りたいじゃないか」
「そんな」
 言わずとも分かりきったことではないか。アイオロスが目でそう訴えても、光政は許してくれそうになかった。アイオロスは息を震わせながら、小さな声で呟くように言った。
「気持ちいい、です」
 目を合わせてなどいられなくて、それでもそれが礼儀だと己を叱咤して、アイオロスは光政の目を見つめ直す。
「とても気持ちいいです、光政様」
「私に遠慮していないかい?」
 光政の言うことが戯れだと分かっている。それでも疑われるということに寂しさを感じて、アイオロスは呻きながら後ろに手をついた。嘘ではないと証明するためには、それしか方法が思いつかなかった。
「本当です。光政様に抱いていただいて、こんなになっています」
 だらだらとだらしなく蜜をこぼし続けている屹立を、光政の目の前に晒す。光政のものが抜けてしまわないよう、追いかけるように腰の位置を正しながら、やっと分かりかけてきた腰の動かし方を確かめるように、自ら腰を揺らめかせた。
「そうか」
 アイオロスの返答を得た光政は本当に嬉しそうに笑った。その笑顔に胸を掴まれて、アイオロスはついに俯いた。
「意地の悪いことをしてすまない。……ありがとう」
 アイオロスは目は伏せたまま、招くように差し伸べられた手を取った。


 すでに何度か腹の上に精を散らした陰茎は、懲りもせずに立ち上がっている。何もかもふわふわと覚束ない中で、神経をざわつかせている、恐れに近い感覚。胸の内から湧き上がってくるそれに押し流されそうになる心を、光政に手を強く握りしめられ繋ぎ止められる。光政の手を握り返しながら、アイオロスはすすり泣くような息を繰り返した。
「光政さま、もぅ……っ」
「ああ」
 覆いかぶさるように体勢を変えた光政の、近くなった体温と一際力強く押し込まれる熱を感じながら、アイオロスは少しでも多く光政の存在を確かめようと、光政の背中に腕を回した。できることならば、隙間ができないほど強く抱きつきたかった。
「……ッ」
 光政の吐息に触れたアイオロスは、体内を満たすものに、初めて光政が気持ちよくなっているという確証を得る。目を閉じて光政の脈を感じながら、安堵の息を吐いた。
「つらいか?」
 慮るような光政の声。再び目を開けたアイオロスは、首を振ってから、頬に当てられた光政の手に自らの手を重ねた。胸をひたす幸福感に、にじむ視界を晴らすために何度も瞬く。
「いいえ、逆です。光政様の精を受けて、体が喜んでいるのが分かります」
 笑ったつもりだったが、言い切った途端に訪れた眠気によって、瞼に思うように力が入らなかった。起きていなければ、と思う間もなく、髪を梳かすように撫でる光政の手に導かれて、アイオロスは眠りに落ちた。


「……!」
 バチンと目を開けたアイオロスは、体を起こすと同時に、素早く周囲を窺った。
「まだ早い。もう少し眠りなさい」
「みっ……ッ」
 驚こうとしたアイオロスは、子供にするように唇の前で指を立てる光政を見て口をつぐんだ。承知しました、と頷きながら、光政が寒くないよう、乱れてしまった掛け布団を直す。そのままベッドから抜けだそうとして、光政に腕を掴まれた。
「光政様、私は」
 振り返ったアイオロスは、裸を晒していることに今さらのような羞恥を覚えながら、訳もなく周りを見回した。体に残る強い違和感や、名残のような情事の痕跡を目にして、かっと顔が熱くなる。
「アイオロス」
 それらに気を取られて、光政に抱きしめられるまで、光政が起き上がっていることに気付かなかった。再び驚いたアイオロスだったが、先ほどとは異なるただただ温かな光政の体温に包まれて、鼓動が少しずつ落ち着いていく。おずおずと光政の背中に触れると、それでいい、というように頭を撫でられる。
「心配しなくていい。大丈夫だから」
「……はい、光政様」
 とろりと落ちてくる瞼と、肌に触れるシーツのなめらかさ。アイオロスは温かな夢の中に戻るような心地で、光政の腕に身を委ねた。

投稿日:2015年1月11日