その答えは
深々と一礼した侍従が部屋を去ると、執務室は再び静寂に包まれた。極めて丁寧に閉められた扉の向こうを探ってみても、遠ざかっていく侍従の他に人の気配は感じられない。セージは手にしていた書類を脇に置き、祈るように組んだ指に額を預けた。
教皇が俯き背を曲げるなど、余人が見れば何事かと思うに違いない。実際、セージがここまでの疲労を感じるのは久方ぶりのことだった。堪えきれず、深い溜息を吐いた。
「……マニゴルドよ。露見したらどうするつもりだ」
「そんなヘマするわけないだろ……んっ…誰の弟子だと思ってんだ」
独り言のような問いかけに、机の下からくぐもった声が答える。
教皇の執務室にマニゴルドがいること自体は珍しいことではなかったが、合間に混じる水音は、執務室で聞こえるはずのないものだった。当然、陰茎を包み込む温かな感触と、それによって生じる性感も、存在するはずのない、むしろこの場には存在してはならないものである。万一存在したとしても「ない」を貫かなければならない。セージの疲労の原因はまさにそれだった。
「しっかしお師匠。こんだけガチガチなのに平然と応対するなんて、やっぱすげェよ」
セージの心痛など知らず、俺だったら絶対に無理、と言うマニゴルドの声は、なぜか得意げだ。
しかし教皇と言えど、二百数十年生きていようと、セージは人間である。訪れた侍従の用件に平静を装って応じたものの、不審に思われた可能性は否定できない。聖域に仕える者の多くがそうであるように、先程の者もまた下卑た連想ができるような性質ではないことが救いだろうか。自分とて、例えば兄の部屋で奇妙な音が聞こえたからといって、他者と相対する傍でこのような行為に及んでいるなどとは夢にも思わないだろう。
「…………」
そこまで考えて、セージは眉間に深い皺を刻んだ。思考を巡らす余り、己の兄を悪しき想像に組み込んだ罪悪感が、胸を掻き毟りたくなるような苦みを伴って襲い来る。押し寄せる後悔を飲み下して顔を上げ、机に積み上げた資料と読みかけの書類を目に映しても、背筋を伸ばして向き合えるだけの気力を充実させられないのは老いた故か、それとも未熟さの表れか。
力の入らない体を背もたれに凭せかけたセージは、そこで初めて自らの膝の間から覗く弟子の顔を見た。
「む、おひひょ? れろ……んちゅっ、ちゅううぅっ!」
ようやくセージと目が合ったことが嬉しいのか、マニゴルドの奉仕がいっそう熱心なものに変わる。とろりと蕩けた目を嬉しげに細めて、怒張した男根を頬張り夢中で舐めしゃぶる様など、普段のマニゴルドを知る者は誰一人として想像できないだろう。間の抜けた表情に愛おしさを感じたセージだったが、弛みそうになる口元を引き締めて眉間を揉んだ。
「……ンむっ」
「な、こら、マニゴルド!?」
唐突に性器を喉奥深くまで呑み込まれて、セージは快楽を感じるより先に驚きに目を見張った。
「じゅるるッ、っんく、んじゅうぅぅうっ、ん……くぅッ」
異物に対して明らかな拒絶反応を示している肉体を意志力で持って捩じ伏せるように、マニゴルドは一心に頭を振り立てる。反射によって分泌された唾液が、熱い粘膜のうねりが、残る理性を溶かそうと肉棒に絡みつく。意に反して急速に高まる熱よりも、マニゴルドの苦しげな声と表情がセージを慌てさせた。
このままでは喉を傷めさせてしまう。しかし、下手に触れては余計に突き込むことになる。
そう判断したセージは、必死な様相を見せるマニゴルドの眼前に手をかざした。
「ふっ、…む……?」
果たして、動きを緩めたマニゴルドは指示を仰ぐようにセージを見た。
セージは涙で潤んだ瞳を見つめ返しながら、マニゴルドの横髪に指を差し入れる。宥めるようにゆっくりと梳かすと、逆立った見た目に反して柔らかな髪が指先をくすぐった。見上げてくるマニゴルドの火照った頬を手のひらで包み込み、目尻に滲んだ涙を指で拭う。今度は浮かぶ微笑みを隠すことはしなかった。
「そこまでせずと今更追い出したりはせぬ」
完全に動きを止めたマニゴルドは、少しの躊躇いの後、性器を口から吐き出した。唾液塗れのそれを横目に見ながら、不満も露わに唇を尖らせる。
「……別にそういうんじゃねぇけどよ」
少し掠れた声を労るように、セージはマニゴルドの喉を撫でた。顎に手を添えて上を向かせ、すっかり青年らしく変化した輪郭を指で辿る。贔屓目もあるだろうが悪い顔立ちではないし、実際、良くも悪くも袖を引く手はあると聞いている。それが今、セージの手のひらに控えめに頬を擦り寄せる一方で、セージの中心にゆるやかな刺激を与え続けているのだ。
――本当に、どうしてこうなったのか。
セージは自問とも嘆きともつかないことを思った。聖闘士の最高位たる黄金聖闘士として聖衣を授かり、与えられた任務は着実にこなしている。口の悪さは改まらなかったし、素行も規範たり得るとは言い難いものの、謹慎を申し渡す程の問題は起こしていない。むしろ常人に馴染みやすい分、まっとうな人間関係を築くことが容易いはずなのだ。
セージは半ば手癖で、食事で汚れた口元を拭いてやるように、唾液と先走りでヌルついたマニゴルドの唇を指で拭った。
「ん……」
それが引き金になったのか、心地良さげに伏せられていたマニゴルドの目がきょろりと動き、セージの視線を絡め取った。パチリと瞬いた後、切り替わるように眦に媚が浮かぶ。笑みの形に引き上げられた唇は一言も発しなかったが、マニゴルドが何を欲しているのは嫌になるほど明確に伝わってきた。
セージが渋々の態で頷くと、マニゴルドは嬉々としてセージの指を口に含んだ。骨と皮相手に手応えも何もあったものではないだろうに、陰茎にするように舌を這わせる。
年甲斐もなく煽られて、体を走った予兆にセージは苦笑した。含まれた親指に人差し指も加えて絡みついてくる舌に応えてやると、乳を求める赤子のようにちゅうちゅうと吸い付かれる。その間にもマニゴルドの手はセージの陰茎を擦るのを止めず、それどころか高まる興奮に同調させるように緩急をつけてくるのだ。
「まったく、余計なことばかり巧くなりおって……」
「っは、余計ではないだろ。――な、お師匠、そろそろ」
じっと期待を込めて見つめてくる瞳を見返して、セージはもう一度溜息を吐いた。
「マニゴルドよ、私はどこで誤ったのだろうか」
その場で膝に跨りかねないマニゴルドを宥めすかして移動した寝室で、法衣に身を包んだまま寝台に腰掛けたセージは、憂いを含んだ目でマニゴルドを見た。ぽんぽんと膝を叩き、マニゴルドが次に取るべき行動を示す。続きをすると信じてついて来たマニゴルドは、してやられたという顔で目を泳がせた。
「お師匠、俺殴られる方がいいんだけど」
「そうか……私はそんなにもお前の嗜好を歪めてしまったのか……」
「違う! 違うから!」
「ならば大人しく罰を受けるがよい」
マニゴルドの焦りを受け流し、セージはけろりとした顔で再び膝を叩いた。駄々をこねたくらいで決定が覆らないことは知っているだろうに、いつまで経っても嫌なことは早く済ませてしまった方が良いと考えるようにはならないらしい。
「さっきの仕事は急ぎじゃなかっただろ。仕事の息抜きに別の仕事って」
「マニゴルド」
「……っくそ!」
ようよう諦めて膝の上に身を屈めようとするマニゴルドに、セージはきちんと下穿きまで脱ぐように言いつけた。
「お前は今年でいくつになった?」
剥き出しさせた尻を撫で、叩くのに丁度良い位置を確かめる。ビクつく尻の見えない側がどうなっているか知らないではないが、それはそれ、これはこれだ。
「に、二十二だけど」
「では二十二回だな」
「そんなに叩いたらお師匠の手が痛くなるぜ!?」
「元より承知の上よ。お前の咎は私の責任でもある。お前一人に辛い思いはさせぬ」
無意識か、セージの動きにいちいち反応して、そわそわと何度も握り直される手を見てセージは微笑った。ぐっと突き出された筋肉質な尻の谷間に降りる一歩手前、尾てい骨のくぼみに指で触れる。小さく声を漏らしたマニゴルドは、それでも俯せたまま動かない。髪の間から覗き見える耳は真っ赤に染まっていた。
「……とは言え、止めなかった私がお前を罰するのは道理に合わないやもしれぬな。さて、マニゴルドよ。どうしようか?」
マニゴルドがよからぬ悪戯を覚えてくるのも、それによって仕事を妨げられるのも、大した問題ではない。一番やっかいなのは、この状況を楽しいと感じてしまう自分自身なのだ。
- 投稿日:2014年2月14日