夢を見たあとで

　　　◇

　モデルＶの反応は消えたが、微弱な生命反応が残っている。
　一度目の地響きの後、オペレーターからそのことを聞いたヴァンは、刻一刻と崩壊が進んでいく基地の中を、全速力で駆け抜けていた。アッシュが基地内に入っているという情報を得ていたが、途中の分かれ道のどこかで別のルートを選んだらしく、会うことはなかった。彼女ならばきっと脱出しているはずだ、と採石場で見た強さに勝手な信頼を託す。
　戻る時間を考えるのならば、自身もそろそろ撤退すべきだった。しかし生存者がいるのなら、いつかの時のように誰かが囚われているのなら、助け出さなければならない。転送装置の用意はなかったが、知った以上、放っておくことなどできなかった。
　揺れと轟音に平衡感覚を奪われて、体勢を崩したところに飛び来る光弾。一歩踏み込み飛び上がり、標的をなぎ払う。弾が身を掠めた感覚はあったが、痛みはない。降りているのか落ちているのか、もはや分からなかった。着地してすぐのところに放たれたミサイルを撃ち落として、次弾が装填される前にイレギュラー本体を斬りつける。爆発音を背後に聞きながら、ヴァンは自らの心音に追い立てられるようにして先を急いだ。

「ここか……？」
　辿り着いた扉は、半分以上が瓦礫に埋もれていた。ロックの有無を示すランプは、既に機能していない。途切れ途切れになっていたオペレーターからの通信は、完全に沈黙している。ノイズだけを放ち続ける通信機のスイッチを、ヴァンはオフにした。
　開けるためには、壊すしかない。バスターをチャージしかけたヴァンは、扉のすぐそばにヒトがいるかもしれない可能性に思い当たり、バスターを下ろした。代わりにセイバーを構えると、ドアの向こう側を見据えて、力を込めた。

　砂礫まじりの土煙を潜り抜けた先は、思っていたよりも広い空間があった。非常灯なのか、部屋全体を包むぼんやりとした明かりが、かえって暗闇を際立たせている。
「……！　無事か！？」
　部屋の隅に人影を認めて駆け寄ったヴァンは、息を飲んだ。
「プロメテ、パンドラ……！」
　声に反応したのか、プロメテに寄りかかっていたパンドラの目が開き、ヴァンに向けられた。続いてプロメテも顔を上げる。見下ろしているせいだろうか、二人の姿は、かつて対峙したときよりも幼く見えた。
「よぉ……遅かったじゃないか」
「モデルＶは……あなたの目的はここにはないわ……」
　いつもの嘲った笑みを浮かべてみせたプロメテに、パンドラの声が続く。
「そうじゃない、そうじゃない……！」
　ヴァンは強く首を振った。感情がすっぽりと抜け落ちたような、虚ろな目をした二人の前に膝をつく。アッシュがやったのではない、アッシュがここまでするはずはない。
「何があったんだ！」
「……モデルＶが覚醒した、それだけだ」
　分からない。ヴァンの無言の訴えを退けるように、パンドラが後を継いだ。
「帰ってからあの子に聞くといいわ」
　それっきり、瞬きもせずにぼんやりと目を開いている二人を前にして、ヴァンは強く拳を握りしめた。思考がグラグラと揺れて定まらないのは、足元の揺れのためだけではなかった。
「……逃げるぞ」
　ヴァンは声をかけるが早いか、パンドラの体を抱き上げた。ようやく表情を動かしたプロメテに手を差し伸べて促すと、プロメテは不快そうに眉を寄せた。
「馬鹿か」
「いいから立て」
　怒鳴りたい気持ちを堪えて、ヴァンはプロメテが手を掴むのを待った。心臓のあたりが、いやな風にざわついている。意識はあるはずなのに、不気味なほどに無抵抗のパンドラが、今はありがたかった。
「……もう、目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだ」

　浮力による助けを失った体は、ひたすらに重かった。海中からプロメテとパンドラを引き上げたヴァンは、久しぶりの空気を胸いっぱいに吸い込んで、ホッと息を吐いた。直後、背後で何かが倒れる音を聞いて、目を見開く。
「おい、大丈夫か！？」
　ヴァンはぐったりと倒れ伏したプロメテの体を助け起こして、顔を覗き込んだ。
「……残念だったな。お前はただ先伸ばしにしたに過ぎないんだよ」
　吐かれた言葉の強さとは裏腹に、瞳に宿る光は弱い。蓄積されたダメージが、影響を及ぼしていることは明らかだった。
　途中で何度か無理やりライフエネルギーを受け取らせたはずだった。それなのに、なぜ。
「どうして」
　ヴァンの問いに、プロメテは一瞬躊躇う様子を見せてから、口を開いた。
「何のことはない。ただのオーバーヒートだ」
　オーバーヒートによる、エネルギー転換機関の損傷。プロメテから聞かされた体内の状況は、むしろよくここまで付き合ってくれたと言えるものだった。このままではガーディアンベースに連れて行くどころか、一番近くのトランスサーバーに辿り着けるかすら分からない。唯一とも言える回復手段が使えない以上、打てる手はなかった。それでもヴァンは、手応えのない暗闇を探らずにはいられなかった。
「……方法はあるわ」
　祈るような思いで通信機のスイッチを入れようとしたヴァンの耳に、静かに、しかしはっきりとしたパンドラの声が滑り込んだ。はっと顔を上げたヴァンは、パンドラの人形めいた表情が、不安そうに揺れるところを確かに見た。胸の前で組まれた両の手が、ぎゅうと握りしめられる。
「おい」
「イヤ」
　パンドラが言おうとした何事かを、制止しようとしたらしいプロメテは、パンドラが首を横に振ったのを見て、苦々しく息を吐いた。勝手にしろとばかりにそっぽを向いたしかめ面から、動けるものならこの場から去っていただろうことが容易に想像できる。
　パンドラは不機嫌さを隠そうともしないプロメテから目を離すと、再びヴァンを見た。

　　　◇

　三日と開けずにシリュールにどやされていたアンギーユは、今やガーディアンの中核を担う技術者となり、青年型となったサルディーヌは頼りになる先輩と慕われている。隊員の顔ぶれだけでなくガーディアンベース自身も艤装の変更を繰り返して様変わりしている今、変わらないのはプレリーと動力炉くらいなものだった。
　皆に出会った日のことは昨日のことのように思い出せるのに、思い出す光景のどれもが、吹き替え映画のように奇妙にズレている。年を取ったと実感できるまで生きられたことは単に運がよかったのだ、とヴァンは思った。モデルＶの破壊によりイレギュラーの発生こそ抑えられたものの、相変わらず世界の情勢は不安定で、人口や可住領域は緩やかな減少を続けている。
　イレギュラーが発生しなくなれば、悲しいことは何も起きなくなるんじゃなかったのか。そう言って胸の奥を叩いていた少年の声は、近頃ではあまり聞こえなくなっている。かつて少しは考えてから行動しろと叱ってくれたヒトは、余計なことを考えてばかりの今の自分を見れば何と言うだろう。無意識に吐いた溜め息は、思いの外重く響いた。
　ヴァンは首を傾けて、隣に横たわるプロメテを見た。
　自力でエネルギーを補完できないプロメテに、体を繋げて分け与える。最初の一回こそ人命救助の名の下で乗り切ったが、その後も定期的に必要になる行為を割り切ることができず、プロメテはエネルギーの節約のためにほとんどの時間を眠って過ごしている。プロメテのことが好きなのだと自分を騙すことは早々に失敗して、「そろそろ潮時じゃないか」と言われた時はムキになって反論したが、自慰行為だと言われたことは受け入れかけていた。
　ヴァンの視線に気づいたプロメテが、ヴァンの方を向いた。
「どうした。もう一度するか？」
「分かっていて聞かないでくれ……」
　返事の代わりに薄ら笑いを浮かべたプロメテは、何も言わずに首を戻した。眠ってしまえば次に起こすまで目覚めることはない。意識のある時間に名残惜しさを感じているわけではないだろうが、見るともなしに天井を眺め時折瞬きをするプロメテに、眠ろうという気配はなかった。
「……少し、話さないか」
　ヴァンが呼びかけると、プロメテはもう一度顔をヴァンに向けて、それから寝返りを打った。布団の下にあった暖かい空気が、ふわと顎に触れる。まさか応じられるとは思っていなかったヴァンは、プロメテと見つめ合う。まるで待っているような間が、真実何か言うのを待っているのだと気づくには時間が必要だった。
「――」
　口を開いた途端に、話そうとしていたことが喉につかえる。視線を彷徨わせるヴァンの反応を見越していたように、プロメテは起き上がり手を伸ばす。ヴァンはその手を拒むことができなかった。