恋女房

 夜中に目が覚めた甚壱は、隣の布団で眠る妻、ナマエの顔を見た。
 美人と評される顔。
 それが甚壱のナマエの容貌に対する認識だった。
 照れ隠しではなく率直な感想だ。人の美醜に興味がないのだと言うと、同情と侮蔑を器用に混ぜた言葉を投げられるから、口に出すことはない。ナマエの見た目自体は好ましく思っていて、こちらを口に出さないのは単純に照れくさいからだ。他人に容姿を褒められたナマエが嬉しそうにしないから言わない、というのは後付けの理由だ。
 興味がないだけで美醜を判別できないわけではなく、己が美男子でないことは分かっているし、造作が整っていることが有利に作用することは周囲の反応を通じて知っている。直哉が何かに付けて引き合いに出す弟の顔などその最たる例だろう。だが弟の顔にある母の面影が、弟が二次性徴を迎えて男の体を手に入れるまで、余計な災いを招いていたことも甚壱は忘れていない。
 ナマエとの出会いはありきたりな見合いだった。釣書を渡される時に、兄弟に一級術師がいるとか、写真より美人だとか気立てがいいとかの聞こえの良いことを色々聞かされたが、禪院家の当主になる芽がない、見てくれも良くない男に回ってくるからには何か難があるに違いないと、ひねくれたことを思っていた。甚壱が二十五代目当主の嫡子でありながら次代の候補に上がらないことは術式が判明した時点で決まっていて、父の次子に呪力がなかった時、後ろ暗い感情を抱かなかったと言うと嘘になる。
 実際に会ったナマエは、禪院家では見られない陽性の人間だった。気立ての良さは初回で分かるものではなかったが、甚壱がナマエの明るさに惹かれたように、ナマエの方にも甚壱に気に入る部分があったらしい。機会を設けて顔を合わせ、交際期間を経て、正式に夫婦になるに至った。
 似合いの夫婦とは呼べないと思う。かつて見た扇の結婚式は雛人形を並べたような収まりの良さだったが、自分たちが盃を交わす様子は人身御供の現場のようで、甚壱は写真を一度しか見ていない。
「何かお悩みごとですか?」
 突然掛けられた声に甚壱は驚いた。
 いつの間に目覚めていたのか、ナマエが体を横たえたまま自分を見ていた。悪意がなければ気づかないせいで、ナマエには時々こうして驚かされる。無言で背後に立つなと言えば、ゴルゴサーティーンですねと知らない単語を聞かされた。兄の漫画で読んだとナマエは笑うが、甚壱は娯楽に疎かった。
「お前が美人なことだ」
 甚壱が正直に答えると、ナマエは半覚醒らしい間を空けて、それから思わずといった風に笑った。
「珍しいご冗談」
「冗談じゃない」
 楽しそうに目を細めているナマエは、たまたま起きただけなのだろう。やがて静かに目を閉じた。
 物足りない。が、起こすほどの用はない。
 半身を起こした甚壱はそっと片手を伸ばし、掴んだナマエの敷布団をゆっくり引き寄せた。揺らさないよう気をつけているのに分かるらしく、ナマエは忍び笑いしながら寝たふりをしている。
 ナマエの布団が自分の布団と地続きになったところで、横になった甚壱はもう一度手を伸ばした。
 細工物のような指は避け、上向きに寝かされている手のひらのくぼみに差し込むように指を乗せる。壊す気でやらなければ壊れない程度に人体が丈夫なことは知っているが、ナマエの体は普段接する男たちとあまりに違うためについ慎重になる。
 ナマエに触れるのは不安が伴うのに、ナマエに触れていると安心感が得られる。矛盾した感覚だった。
 指を握られて驚いたのを、ナマエの密やかな笑い声になだめられる。
「明日は寄せて敷きますね」
「……」
 おいそれと応諾するのは躊躇われ、代わりに喉から出たのは唸り声だ。
 禪院家の独身は他にもいる。死別を含めれば、炳の半分が独身だ。家に来たナマエは他の男を見て、結婚を早まったと思わなかっただろうか。
 甚壱は自分が臆病になってることを感じながら目を閉じた。
 手だけでは物足りない。体全体でナマエを感じたかった。
 だが一度抱き締めれば腕に抱いているだけでは済まないし、今から始めれば、終わってからもう一眠りというわけにはいかないだろう。ナマエの朝は甚壱よりも早い。無理を強いて嫌われたくなかった。
 手を離そうとしたのを察したように、ナマエのもう片方の手が手の甲にかぶせられる。
 寒い時期でなくてよかったと甚壱は思った。

投稿日:2023年6月25日
夢主サイドを書く時は恋女房の対義語をタイトルにしたいです。でも禪院家の家事労働が嫌そうすぎて、夫が星5でも禪院家に嫁ぐのは嫌では…?と思ってしまう。