年下の男

 人通りのまばらな商店街を通りながら、扇は溜め息を吐いた。シャッターが目立つのはいいとして、視界に入る開いている店の看板やのぼりは目立つことばかりを目的にしていて品がない。前に来た時はこうではなかった。往時の賑わいは失っていたし、洗練されているとはお世辞にも言えなかったが、媚びたところは微塵もなかった。
「扇」
「なんだ」
「中華がいい」
 立ち止まった甚壱の向こうには色褪せた暖簾が見えた。
 折しも店の内側からドアを開けて出てきた客は、ぎょっとした様子で甚壱を見上げると、関わり合いになることを恐れるように大げさな距離を取って避けていく。扇はすれ違いざま好奇の視線を向けられるのを感じたが、甚壱が無表情に見下ろしてくるのはいつものことだ。通りすがりの者に邪推されるようなことは何もない。
 入り口の横に据えられたガラスケースに並ぶサンプルは、遠目に見ても埃っぽい。それに、中華料理というものをあまり好きではない。
「……」
 用は済んでいる。揃って飯を食わなければならない道理はない。
 扇は余程そう言ってやろうかと思ったが、店を決めないまま成り行き任せに歩いてきたのは自分も同じだった。甚壱が断定形で言ったのならば撥ね付ける気も起きただろう。子供のように裁定を待っている甚壱を見返して、扇は承諾の意を込めて中華料理屋へと足を向けた。

 掃除はしているのだろうが何となくべたついた感じのする床とテーブル。注がれた水が冷たいからというだけでなく、繰り返し使われてできた細かな傷によって曇ったガラスコップ。出された天津飯の器には店名が入っていたが、それも端の方は消えかかっていた。
 散蓮華を口に運びながら、扇は料理のひしめいたテーブルを見るともなしに見る。ちゃんぽん麺と麻婆丼を同時に頼む意味が分からないし、酢の物だろうがくらげに栄養はほとんどない。唐揚げは鶏と海老のどちらか片方でいいはずだ。麺を啜り上げた甚壱が興味深げに見ている壁に何があるのかを、振り返ってまで確かめる気はなかったが、どうせメニューが貼られているのだろう。もういい年だろうに、いつまで成長期のつもりなんだ。
「……唐揚げいるか?」
「いらん」
 そんなさもしい理由で見ているのではない。無論自分が全額持つことになる支払いが、食べた倍以上になることを気にしている訳でもない。扇は眉間に込めた力を緩めることなく、一杯だけ付き合えと返事を待たずに注がれたビールを口にした。酒をうまいと思ったことはない。飲むたびに、二番目の兄である直毘人の顔が思い浮かぶのだ。舌を刺し、喉を滑り落ちていく感覚と併せてただただ不快だった。

 ふと、甚壱が何かに気づいたような素振りを見せる。常住坐臥、呪力の探知を怠ったことはない。脅威はもちろん、知己も近くにはいないはずだった。
 警戒を表に出さないよう、扇は努めて冷静に甚壱に目をやった。
 甚壱は珍しく目を泳がせる。無表情が常の男だ。一体何があるというのか。扇の疑問を汲み取ったか、甚壱は目を逸らしたまま口を開く。
「……知っている曲だった」
 店員も含めて年季の入った店には似つかわしくなく、流れている曲は近頃の流行らしい聞き慣れないものばかりだ。甚壱の言葉を受けてしばらく耳を傾けるが、歌詞は聞き取れないし曲調にも惹かれるものはない。有り体に言って、若者向けの代わり映えしない音楽の一つにしか思えなかった。
「若い者の趣味は分からん」
「俺もだ」
 いつの間に食べ終えたのか、甚壱は皿の位置を入れ替えた。
「蘭太の好きな歌手だ」
「……一度聞こうと思っていたが、あの子供はなんだ」
 炳の銘打ち条件に適う力があることは知っている。だがそれだけだ。目を掛けるべき特異な才があるとは聞いていない。どれだけ人品が卑しかろうと、才能があれば耳目を引くものだというのに、甚壱の後をついて回っているという程度の認識しかない。その程度だと片付けていいのか、それとも若者向けの音楽が分からないように己が見誤っているのか。
「子供じゃない。蘭太は一廉の男だ」
 平坦な声。その後に蘭太についての説明を続けるのだろうという扇の予想を裏切って、甚壱は黙々と料理を腹に収めていく。もう一度尋ねるほど興味があるわけではなかったが、据わりが悪い。扇は玉子スープに散蓮華を浸す。
 扇が甚壱は会話を途中で打ち切るような男ではなかったという回想に浸る前に、甚壱は追加で頼んでいた酢豚を受け取ると、箸をつける前に言った。
「蘭太とは付き合って半年になる」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。俺が蘭太と個人的な交際を始めて半年が経った」
「馬鹿を言うな」
「分かっている。俺の責任だ。蘭太には何も言わないでくれ」
「……男だと言うのなら責めを負うべきだと思うがな」
 扇が言うと、余人がするような分かりやすさはなかったが、甚壱は笑った。小皿の上に豚と人参、タケノコ、ピーマンを並べ、扇の側に置く。
「年上ぶりたいんだ。分かるだろう」

投稿日:2021年12月17日
甥っ子の甚壱君ってなんだか良い。扇は三兄弟の末っ子、甚壱は長男(従兄姉弟妹で一番上)というのに更に良さを感じます。
更新日:2023年3月1日
改題(旧題:中華料理店)