蛇神憑き

蘭太の術式がポケモンの技「へびにらみ」っぽいと思ったところから「蘭太が蛇なら産卵できるのに」という思考に飛躍した話です。

「蘭太、朝だ」
 甚壱の体に合わせて仕立てた布団は、十人並みの背丈の蘭太が頭まで収めても、足がはみ出ることはない。甚壱は掛け布団はめくらずに、頭の先まですっぽりと潜り込んでいる蘭太の背中を布団の上から探り当てると、ぽんぽんと軽く叩いた。
 布団の中から眠そうな返事が聞こえて、蘭太が甚壱にぺたりと体を密着させる。甚壱の足を他意なく挟み込んでくる足は温かく、甚壱は今日も自分が湯たんぽの役割を果たせたことを実感した。

 先祖に蛇神憑きがいるという蘭太の体質は、少しだけ蛇に似ている。開きっぱなしでも目が乾かず、寒さが極端に苦手で、春にしか性欲を抱かない。目については先祖返りのようなもので、蘭太の術式と相性が良いのはたまたまらしい。
 蘭太が頭まで布団をかぶる理由を、寒さから逃れるためだと知らなかった頃は、息が楽にできるようにという気遣いのつもりで、顔が出る位置まで下げてやっていた。かわいそうなことをしたという反省が半分、分かるわけがないだろうという開き直りが半分。

 甚壱はもうすっかり馴染みとなってしまった、ぎゅうと抱きついてくる蘭太の背を撫でてやってから、蘭太の体ごと上体を起こした。温もりが逃げないよう布団で蘭太の肩を包みつつ、まるで赤ん坊のように預けられた頭を見下ろす。
 布団の中に服を引き込んで着替えるのは、行儀が良くないと蘭太は言う。甚壱以外に見る者がいない場所で行儀も何もないし、往生際が悪いという視点で見れば今のやり方も大概だと思うが、布団を出る直前まで甚壱に肌を寄せる方が良いと言うのなら、甚壱とてやぶさかではなかった。
「蘭太」
「うう……おはようございます」
 もう一度呼びかけると、甚壱の胸から顔を離した蘭太は、寝ぼけ眼を瞬かせた。左側を下にして寝たと、見ただけで分かる寝癖が付いている。
「来週から暖かくなるらしい」
「本当ですか? やった」
 甚壱が蘭太を起こす前に聞いたラジオの予報を伝えると、蘭太は表情を明るくした。
「春もじきだな。お前も過ごしやすくなる」

 久しぶりにセックスができるとは、甚壱は言わなかった。
 体の形に変化があるわけではないから挿入自体はできるし、蘭太自身も構わないと言うが、行為に際した反応がまるで違うから、甚壱は春以外の肉体関係を断っている。付き合い始めた最初の一年こそ、接触に慣れれば変わるかもしれないと試行錯誤したが、蘭太に忍耐を強いただけで、努力は実を結ばなかった。案を出すだけ出して試さなかった「温室で暮らす」は、老後の楽しみの一つだ。

「春になったらお願いしたいことがあるんです」
「なんだ?」
「俺の腹を殴ってください」
 ぎょっとした甚壱に対し、蘭太はまだ夢を見ているような、ぼんやりとした顔をしている。
「去年の夏に体調を崩したんですけど、原因は卵詰まりだったんです。ひどい便秘だと思ってたから驚きました」
 驚くのはそこではないだろう。
 脈絡なく明かされた異常事態に、甚壱は困惑した。
 蘭太は男だ。寒い時期に眠っているとそのまま昏睡してしまうという奇妙な体質をさておいても、卵を造る器官はないはずだ。体調を崩していたというのも初めて聞く。術師の繁忙期である夏季に予定が合わないのは珍しいことではないために、機会を逃すと気付けない。
「どういうことだ」
 物騒な要望の詳細と、卵。甚壱はあえてどちらとも取れる聞き方をした。甚壱の顔を見上げながら、蘭太が瞬く。
「自分でやるつもりだったんですが、俺の呪力を使ってるので自傷が難しくて、忙しくて先延ばしにしているうちに休眠期間に。完全にガードを解くので――」
「待て。呪霊の仕業だということか?」
「俺は卵なんか産みませんよ!」
 蘭太は驚いた顔をした。お互いに驚いた顔を見合わせて、甚壱が分かったと頷くと、蘭太もそうでしょうと頷き返す。
「前に甚壱さん、俺が男兄弟なの気にしてたでしょう?」
「ああ」
 憑きもの筋にありがちな、女にだけ継承されることについて聞くと、蘭太は曖昧な顔で首を傾げた。蘭太は男兄弟だ。蘭太の父も同じく。祖父については知らなかったが、察した甚壱は追求をやめた。蛇神憑きを血筋に迎えた主目的である呪力の増強が果たせているなら、それでいいと思った。
「どうしても女がほしいみたいです。甚壱さんと付き合って長いのに、去年だけなった理由がナマでやったことしか思いつかないので、着けていれば大丈夫なのかもしれません」
「それでいいならいいだろう。もうする気もない」
「後が面倒でしたからね」
 呪力は腹で。その理屈で言うのなら、蘭太の呪力の源が、腹に巣くっていてもおかしくはない。殴り祓ったとして、蘭太の呪力量にどういう影響が出るかも分からない。
「じゃあなしで。変なこと頼んですみません」
 話しているうちに気合いが入ったのか、蘭太はえいやと体を離した。
 布団を背負ったまま足袋をはき、布団と寝間着を一度に脱ぐ。綿ネルの足袋すら着用したことがない甚壱からすれば、裏起毛など信じられないような代物だ。

 産んだ卵はどうしたのか。
 早回しのように手早く服を着る蘭太を見ながら、聞きそびれたことを甚壱は思った。

投稿日:2022年8月19日
産卵が好きです。コンドームによる避妊成功率は100%じゃないので、失敗して卵を産めばいいと思っています。