体だけでいい

 行為を終えた後、布団から出た蘭太は衣服を整え辞儀をする。昼間に見るのと同じ折り目正しさの中には、最中の乱れようは影すら見出だせない。
 感に堪えない様子で甚壱にすがり、悦楽に震える蘭太の口から漏れる睦言は、拙いからこそ真摯に聞こえて胸に響く。蘭太の求めに応じる形で始めた関係だったが、今や甚壱の方が夢中で、叶うのならば朝まで抱いて寝たかった。
「蘭太」
「はい!」
「お前はこの布団が何のためにあると思っている?」
 甚壱は自分の背後にある布団を顎でしゃくった。
 甚壱は蘭太を呼ぶ時、布団を二組敷かせている。甚壱が座っている方は今しがたの交合のために大変な有様だったが、もう一組は掛け布団の乱れこそあれど概ね無事で、そしてそれは今日に限ったことではない。
「甚壱さんがお休みの際にお使いになるのだと思ってます。……が、もしかして」
 甚壱は蘭太の想像を頷くことで肯定した。蘭太も合わせて頷く。
「それは失礼をいたしました」
「構わん。それで、今日も帰るのか?」
 蘭太は困惑した様子で眉を寄せ、短い思案の後に甚壱を上目遣いに見た。
「俺、寝相が悪いんですよ、すごく」
 実質断りと言える言葉を聞いて、甚壱は頷く代わりに視線を下げた。
「無理にとは言わん。一人の方がよく眠れるしな」
 最初の夜に蘭太を帰したのがまずかった。謝辞を述べて帰ろうとする蘭太をあえて留める理由はなく、深い考えもなく帰したが、後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
「申し訳ありません」
 頭を下げた蘭太に、甚壱は見えていないと知りながら首を振った。
「また相手をしてくれ。ご苦労だった」
「……よろしければ今度出かけませんか? 俺ももっと一緒にいたいです」
 部屋を去ると思った蘭太の提案を聞いて、甚壱は呆気にとられた。朝まで付き合えというのは、そういう意味に取れるのか。新鮮な驚きだった。
「そうだな」
 勘案すべき点は多いが話自体は検討の余地がある。甚壱はひとまず賛成の意を強く含めた返事をした。蘭太は顔を輝かせ、喜びを発散するように素早く頭を下げた。
「ありがとうございます。どうかごゆっくりお休みください」

   ◇

「今日は一段と暑いですね」
 甚壱の部屋の縁側に腰掛けた蘭太は、持ち込んだ氷菓子の蓋をパリリと開けた。かち割り氷がカップいっぱいに詰められた代物で、前に割り物として持ってきたこともある。
 蘭太に呼ばれて縁まで出てきた甚壱は、渡された氷菓子を未開封のまま脇に置いた。酒と共に出された時は口にしたが、素面で食べつけないものを食うのは苦手だった。手拭いを出すのも面倒で、手を濡らした結露をあぐらの膝で拭う。
 蘭太は走ってきた帰りらしくジャージ姿で、首にはタオルを掛けている。無言で庭を見ながら氷を噛む音をさせていたが、体をひねって甚壱の方を向いた。用があって訪ねて来たくせに、自然な話の運びを思いつかなかったらしい。
「京都タワーにのぼったことありますか?」
「ない」
「ですよね! のぼってみませんか?」
「あれにか?」
「あれにです。案外良いらしいですよ」
 出かける話が出たのは春先で、具体案を出さないうちに繁忙期に入った。その間も床は共にしているのだから世話はない。蘭太は相変わらず終われば部屋を辞するが、体は疲れているのに気が昂ぶって眠れない夜など却って都合が良かった。蘭太が自分に向ける思慕を良いように使っている自覚はある。
「デートの誘いか?」
「俺にとっては。甚壱さんは付き合いでも散歩でも何でも」
 鎌を掛けるつもりで言うと、蘭太は正直に答えた。
「寝相は悪くないんだろう」
「俺は寝てますからね、確かめようがありません」
 悪びれもせずに蘭太は言う。
 蘭太のことを思うのなら、抱いてほしいという頼みを受け入れるべきではなかった。甚壱を受け入れられることが不思議なくらい蘭太の性感帯は未発達で、蘭太がそういう人間でないことは分かっていたのに、願いを聞いてやるつもりで道理を外れた。蘭太の思いに応えられないくせに、己好みに仕込んだ体を今さら手放せない。これを蘭太の策とするのは責任転嫁だろう。
 汗か水か、甚壱は蘭太が無頓着に肌に張り付かせているTシャツから目をそらした。いくら缶詰状態が続いているとはいえ、日が高いうちに考えることではなかった。
「ちなみに氷を入れた口でしゃぶられるの気持ちいいらしいですよ」
 ぎょっとした甚壱の前で、蘭太は飲みかけのカップを揺らして見せる。声の調子は京都タワーの話をしている時と同じで、薄いプラスチックのカップの中で氷が擦れ合うシャラシャラという音がする。
「気分転換にいかがですか?」
「……蘭太」
「はい」
「そんなことまでしなくていい」
 甚壱が眉間にしわを刻んで言うと、蘭太は浮かべていた笑顔を苦笑に変えた。
 カップを下ろし、表情を隠すように前を向く。
「お力になりたいのは本心です」
「京都タワーに行く。気分転換はそれで十分だ」
 蘭太が抱いているものを恋情とするのなら、自分のものは欲が絡みすぎている。本当は今すぐ抱きたいところを、甚壱は拳を握ることで堪えた。

投稿日:2023年6月11日
蘭太はアイスボックスが似合うと思う。