傷の舐め合い

「なんで俺なんですか。直哉さんなら誰にだって歓迎されたでしょうに」
 蘭太は最終確認を終えたスマートフォンを畳に伏せた。直哉のおかげで履歴は最悪の状態だ。人に覗かれたら死にたくなるかもしれない。すぐに使えるようにコンドームのパウチを一つ切り離し、ローションのボトルの横に置く。直哉の準備ができているかは、背中合わせの状態では分からなかった。
「この家ろくなんがおらんやん」
「お眼鏡に適って光栄です。でもそれは直哉さんが人と関わらないからですよ。下の子達なら俺よりもっと」
「そんな目で見てんの」
「見てません」
 こうして話をするのは子供の頃以来、部屋で二人きりでとなると初めてかもしれないくらいだった。女とセックスした経験はあったが、男の誘い方など知りはしなかったし、直哉の琴線も分からない。どうやって始めたものかと、自分の部屋とは違って装飾性の高い欄間を眺める。
「蘭太君は慣れてそうやん。ほら、甚壱君と」
 からかいのつもりなのだろう、わざとらしく歪めた調子で言った直哉に、蘭太は笑い声を返した。
「甚壱さんはそういう人じゃありませんよ。俺はこういうの、初めてです」
「そうなん。それでよぉ受けたな」
「断れたんですか?」
「……そら」
「断りませんよ。当主の息子で炳の筆頭で、しかも次期当主と目される直哉さんに選んでいただけるのは光栄ですから」
 事実を並べただけでも当てこすりとしては機能するらしい。蘭太は肩越しに振り返り、同じく振り返っている直哉に笑顔を向けた。
「責任は感じなくていいですよ。俺も男なんで」
 合わせた顔を背け直すには間が悪く、いい加減に始めなければという義務感から、お互いに向き直る。コンドームの封を切ろうとする蘭太に、直哉は寄越せと手を伸ばした。
「助かります」
 直哉にコンドームを渡した蘭太は、ローションのボトルを開けて中身を手のひらに出し、部屋に来る前に解しておいた自分の体の仕上げにかかった。性感は得られなくていい。陰茎の挿入ができる程度に弛緩させさえすればいいから、勃起を持続させなければならない直哉よりは楽な役割だった。
「……言うたん昨日の晩やで。そんなすぐいけるもんなん」
「俺の術式は筋肉に作用しますから、硬直させる以外にもまあそれなりに。自分の体の中だと呪力も回しやすいですしね」
「ふぅん」
 信じていない風な相槌だったが、それでも構わなかった。セックスは相手を知る手段にもなる――というのは蘭太に手ほどきをした女の言だったが、蘭太は別に直哉を知りたいとは思っていない。この話を持ちかけた直哉だってそうだろう。
 蘭太はティッシュで手を拭い、直哉に目配せしてから布団に伏せた。
「甚壱君、言うたらいけるやろ」
「だから駄目なんですよ。甚壱さんは情に厚いから、慕う人間を捨てられません。……兄弟なのに違うものですね」
 これ以上踏み込むなという牽制で、蘭太は禪院家の暗黙の了解ギリギリのところを口にした。揺らぎもしない空気が癇に障り、もう一つ、無駄口を叩く。
「俺はいいけど、直哉さんこそいいんですか?」
「何がやねん」
「……抱かれるほうがやりたかったんじゃないかと思って」

投稿日:2021年8月2日
甚壱より先に直哉が目に入っているはずなのに、蘭太は直哉を完全に無視して報告するので、普段あまり仲良くないと思います。