ヒゲ剃り

「はぁ……」
 洗面台から顔を上げたシライは、鏡に写った自分の顔を見てもう一度ため息をついた。
 ひどい顔だ。任務明けだってここまでひどい顔にはならない。なんせ任務中の体というのは知覚している時間通りの時間を経ているわけではないのだから、こんな風に無精丸出しにヒゲが生えるということはない。
 九時三〇分からミーティング。
 クロホンに言われるまで完全に忘れていた。
 年度末だ。顔を合わせる全員が似たような状況だろうが、だからこそこの顔で出席するわけにはいかない。ゴローに何を言われるか分からない――と言いたいところだが、言われることは容易く想像できた。
 頭の中でゴローの小言を再生しかけたシライは、手に取ったシェービング剤の缶を力いっぱい振った。

「脱毛した」
「は?」
「うちの服装規定がゆるいのは、他の部署と関わらない時だけだ」
 シライは現場に出なくなっても継続しているパーカー&スニーカースタイルのことを言われているのだと気づいたが、無視した。ヒゲ剃りの面倒臭さを軽減する方法を知りたくて話したのだ。ヒトの記憶には限りがある。不要な情報は入れないに限る。
「人相が変わるレベルで生やすとなると時間が掛かるからな。現場に出る機会が減った時に割り切った」
「……頭もか?」
「馬鹿か」
 部下への暴言は減点対象だろう。シライは隣を歩くゴローをジト目で見上げたが、ゴローはどこ吹く風だ。シライはため息をつく。寝不足と慢性疲労のせいで、今日は息が吸えていない気がする。
「仕事のために脱毛までするとは。脱帽だぜ」
「違う、プライベートのためだ。支度に掛ける時間が減ると、他のことに使える時間が増える。……刃物の手入れは嫌いじゃないだろう。電動シェーバーでもいいんじゃないか?」
「充電がな」
「クロホンに見てもらえ」
「コードありで使えるものなら充電が切れても使えるし、五分の充電で一回のヒゲ剃りが可能になるものもあるぜ。全自動洗浄機付きなら手間いらずだ」
 ゴローの声に反応して、ポケットの中からクロホンが言う。シライはクロホンに対して「おまえはおれのだろう」と思ったが、口には出さなかった。
「ボスは」
「脱毛する前はそうしていた」
「……」
 二度目を聞くのは野暮だろう。そう思ったシライが口をつぐむと、前を見たままゴローが言った。
「頭もだ」

投稿日:2024年5月6日