恋じゃないから

「こちらはお持ちになりませんか? 奥様とか」
 お客様からの手土産を渡してきた甚壱さんに、私は思い切って話しかけた。
 手土産としていただくのは圧倒的に和菓子が多い。お客様のお相手をしていた人が持ち帰るか、分けておいてくれと渡されるのが基本で、禪院家が大所帯なことを知っている人は数の多いものを選んでくれるけど、それでも全員には行き渡らない。
 真っ白な箱に金色の文字。可愛いよりきれいという言葉が似合うデザインで、これで和菓子ということはないだろう。小箱とは別に大箱のお菓子もいただいていて、そちらは見たことのあるお店のもの。となるとこの小さな箱は明らかに甚壱さん個人宛だ。
「俺は独り身だ」
「……!」
「向こうもそのつもりだったんだろうな」
 あっと思った直後に、甚壱さんの独り言みたいな言葉が続いた。表情が変わらないから分からないけど、奥さんがいて当然という先入観に気を悪くしたわけではなさそう。謝ったら逆に失礼だったかもしれないから、何も言わずに済んでよかった。
 分けるときは不公平にならないように気を遣う。幸い私は言われた通りに持っていくだけだけど、従姉ねえさんが「普段は知らぬ存ぜぬのくせにそんなところばかり目ざといのよ」と言っていたのには共感できる。どこで見ているのか、男の人から「この間のお菓子ってどこに配ったの?」と言われて答えに困ったことがある。
 小さな箱にいくつ入ってるか分からないけど、台所に持って帰って、そこからどうにかして分けないといけない。私達で食べられたらラッキーだけど、たぶんそうはならない。個包装じゃなかったらお皿が必要になってくる。ぽんと置いて一個ずつ取ってもらうなんて約束は守ってもらえない。
 甚壱さんが食べるのが一番簡単なのに。それにこれは甚壱さんのためのものなのに。
「持ち帰ると何か不都合があるのか?」
「いえ!」
 悩んでいるのが顔に出てたんだろう。甚壱さんが聞いてくる。私は甚壱さんがそんなことを気にする人だと思わなかったから驚いて、大きな声で答えてしまった。
「この部屋で食って行っていいぞ」
 甚壱さんは自分の部屋を顎でしゃくった。
 私はびっくりした。手の中にある小箱に目を落として、もう一度甚壱さんを見る。
 まさかこれを報告もせずに一人で食べるなんて! 絶対誰かに言っちゃうよ! 罪の意識に耐えられないよ! しかも一度に全部って、やっていいことなの!?
「甚壱さんも召し上がりませんか?」
 甚壱さんは驚いた顔をしたけど、言った私もびっくりした。

   ◇

「今日は何もないぞ」
「違います!」
 甚壱さんは障子を開けた私の顔を見るなり、懐いた野良猫に言うみたいなことを言った。
 私はうっかり反射的に声を上げたが、すぐに何をしに来たのかを思い出した。まず膝の上で手を揃え、「背筋を伸ばしたまま」を意識しながら頭を下げる。
「私の軽率な行動で甚壱さんにご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます」
「……何をした?」
 本気で分からないという声だった。私は頭を下げたまま、自らの反省すべき行いを口にする。
「甚壱さんのお部屋でお菓子をいただきました」
「それは俺がいいと言った」
 それはそう。甚壱さんがいいと言ったのだから、私は悪くない。
 ほらね、と思ったけど、そういうものじゃないらしい。
 でも、もしかしたら、甚壱さんの耳には叔母さんか聞いたという噂が届いていないのかもしれない。
 私はいつまで頭を下げていればいいのか分からず、下げたままで考える。もし噂を知らないのだとしたら、本人に言うのはよくないだろう。私もちゃんと内容を知らないし。でも言わないと謝りに来た経緯が説明できない。
 仕方なく、私は知っていることだけを言うことにした。
「……噂になっていると聞きました」
「あぁ、俺がお前を餌付けしているとかいう」
 そんな噂なの!?
 ぱっと顔を上げると、甚壱さんはいつもと全く同じ顔をしていた。今の発言が冗談なのか本気なのか全然分からない。甚壱さんが笑うことはあるんだろうか。この間見た驚いた顔も相当レアな気がする。
「たった二度だ。子供に菓子をやるくらいで何だ」
「三度です。それに私はもう十六です。子供じゃありません」
 とっさに私は反論したけど、これは今言わなくてよかったやつだ。いくらうちでも今どき十六で結婚はしないし、私の誕生日もまだまだ先だ。伯母さんが「あなたの年の頃には結婚相手が決まってたのよ」と言ったのに引っ張られてる。どうせ甚壱さんは私の誕生日を知らないからいいけど。
 甚壱さんは呆れた風な溜め息をついた。
「それなら俺は嫁入り前の娘を部屋に連れ込んでいることになるな」
「え!?」
「そうだろう。勘ぐりはもっともだということだ。……障子は開けておけ」
 冗談だと思っていたら甚壱さんが催促するみたいにじっと見るから、私は慌てて立ち上がった。開けるのはもちろん廊下側の障子だ。甚壱さんがしてもいいのに、と思いながらやけになって全開にすると、開放感とは逆に気まずさが増した。内緒話をしにきた訳じゃないけど、外から丸見えだと何となく居づらい。かといって閉めるわけにもいかなくて、諦めて座り直す。
「姉だの母親だのに言われたのではなく、お前が自分で謝りに来たんだろう?」
「……そうです」
 母さんに叱られて、よくなかったんだと思って謝りに来たのだ。
 叔母さんから聞いたと言って私と甚壱さんの関わりを聞いてきた時の母さんは、普段の様子からは信じられないくらい真剣だった。お部屋でお菓子をいただいたことを言うと「ご迷惑になるからやめなさい」と厳しい声で言われた。ついでにお客様の手土産を一人で――甚壱さんも食べたけど――食べちゃったことも謝ったら「それくらい母さんもあるわよ」と言われて気持ちが軽くなった。大叔父さんがくれたんだって。甚壱さんはだめなのに違いが分からない。みんな親戚だよ。
 そこからの母さんはいつも通り。叔母さんから何を聞いたかも教えてくれなかった。
 母さんがあんな風に言うくらいだから、正直もっと違う話だと思ってた。餌付けって、野良猫やスズメじゃあるまいし。拍子抜けだ。真希ちゃんとか真依ちゃんみたいなきれいな子じゃないと噂話をする甲斐がないのかもしれない。……あの二人の噂は気持ち悪いくらいあって可哀想だけど。
 甚壱さんに名前を呼ばれる。私の名前を覚えていると思ってなかったからちょっと驚いた。
「俺がやったからお前は食っただけだ。お前の年なら謝罪の必要があれば誰か言う。それまで動くな」
「でも私は、謝るべきだと思ったんです」
「それを人に言ったか?」
「いいえ」
 言ったら止められる。そんな気がしたから言っていない。
 甚壱さんはもう一度溜め息をついた。分かってるじゃないか、と言われた気がした。

   ◇

 それから一度も甚壱さんの部屋に行っていない。急な来客もあるはずなのに、全然当たらないというのは変な感じだ。事情は何となく分かる。母さんが何か言って、従姉さん達が気を回しているんだろう。
 噂は本当に「餌付け」だったのかな。甚壱さんが独身の理由をそれとなく探ってみたけど、甚壱さんみたいな人が好きなのかって、混ぜ返すみたいにしか話してもらえなかった。従姉さんの一人なんか「甚壱さんがこう来たら引いちゃうでしょう」と抱きつくジェスチャーをしてきた。想像したら怖かったけど、甚壱さんはそういうことしないから大丈夫なのに。
 別に甚壱さんが好きなわけじゃないし、お菓子がほしいわけでもない。見た目ほど怖い人じゃないと分かったところだったから、名残惜しいだけだ。あんなに嫌そうな顔でチョコレートを食べる人は初めてで、あの時もしもう一つ食べさせてたらって想像するとおかしくなってくる。手が大きいと箱から取るのにも気を使うみたいで、いっそ食べさせてあげたらよかったかもしれない。きっとまた目を見張って驚くんだ。
 もっと話してみたかったな。

投稿日:2023年4月29日
減点発言がないだけプラスになってる甚壱ってのはいないでしょうか。
嫁入り前発言のために15歳に設定したけど、15歳の考えと口調が分からない……。だからいつも具体的な年齢を書かないんだよって気持ちです。