何番目かの女
「よくもそんなにやりたいことが出てくるな」
直毘人は感心しているのか馬鹿にしているのか分からない声音で言った。
言えと言われたから挙げたまで――と言うには少々興が乗りすぎたことを自覚していたナマエは、口をとがらせながら銚子の口を直毘人に差し向けた。直毘人が酒を手放さないことにはもう慣れっこで、もし今地震でも起きようものなら直毘人はナマエではなく酒を気遣うだろう確信すらある。
ナマエが拗ねるのはお見通しなのだろう。盃の縁すれすれまで注がれる酒を待っていた直毘人は、ついには表面張力で丸くなった水面を見ても稚気に富んだ笑みを崩さない。年の差は覆し難く、どこまで行っても手のひらの上だ。
「夫婦は二世という言葉をご存知ですか?」
「古い言葉を知っているな。俺でも使わん」
口から酒を迎えに行った直毘人は酒を一息に飲み干し、垂れた雫を拳で拭うと、もう一杯と盃を突き出した。
よくもまあ飲むものだ。男として機能することが不思議なくらい、直毘人は始終飲み通しで、ナマエは抱かれながら直毘人の息を吸うとき、射精した拍子に死んでしまいやしないかと心配になる。
「お付き合いは今生限りです。やれるだけやっておかないと」
「来世も会えるよう嫁にしてやろうか?」
「そんな気ないくせに」
そこの打ち返しだけは手早くできる。ナマエが言ったことを直毘人は否定せず、今度は定量を注がれた盃を静かに傾けた。
飲み終えて、次を注ごうとするナマエに首を振って盃を押し付けた直毘人は、ごろりと寝転がると頭をナマエの膝に乗せた。裸の腿に整髪剤で固めた硬い感触が触れる。息子のシャンプーを借りて怒られた話を聞いて買ったグレイヘア用のシャンプーは笑いをもって受け入れられたが、直毘人はいつもナマエのシャンプーを使う。
考え事をしているように見えた直毘人は、跳ね上げた口髭と並行させるように口角を上げた。
「相変わらずの眺めだな。見通しが良くて縁起がいいぞ」
「失礼ですよ!」
ナマエはからからと笑う直毘人の頬を指でつまみ、抗議の意を籠めて軽く引っ張った。年相応の顔というものが分からなかったが、笑み盛り上がってもなお肉の薄い頬は自分とは違う手触りだ。
直毘人の妻は既に亡い。ナマエに直接の面識はなく、写真を見る機会もなかったが、娘たちの容姿から胸の大きさは推して知るべし。直毘人はナマエと付き合う理由をおもしろいからだと言うが、ナマエは芸人ではない。
「いい気分だ。死ぬならここがいい」
ナマエは今度は「そんな気ないくせに」とは言わなかった。眠たげに細まる直毘人の目を見ながら、先につねった薄い頬を愛おしさを籠めて撫で、無防備にさらされた顎の下をさする。顔よりも薄い皮膚。酒に焼けて赤らんだ肌の下で、とくとくと血が流れているのを指先に感じる。
この人でも首を絞めれば死ぬのだろうか。
ナマエのふとした思いつきを読み取ったように、直毘人はにやりと笑った。
- 投稿日:2023年8月6日
- 夢主は直毘人が酒を優先すると思ってるけど直毘人は酒と女両方守れる。