テレビの内容が頭に入らない。美しい女優の頬を濡らす涙が嘘くさく思える。事実演技なのだが、普段はそんなこと気にしてもいないのに、気になって仕方がない。
――いや、本当に気になっているのは別のことだ。
隣に座るロマーノを盗み見ると、いつもと何一つ変わらない様子でテレビを見ている。
あの女優は彼のお気に入りなのだろうか。こちらに来るとよく見ているような気がする。遊びに来られる曜日とドラマの放映日が被っているだけかもしれなかったが、合わせて来ている可能性も否定しきれない。
――しかし、実はそれもどうでもいい。
スペインは大声で神の名を叫びたくなった。
どうして我慢してしまったのだろうか。どうせ逃れられないなら、もっと早くに諦めて、少量で済ませればよかったのだ。今なら、魔女に食べられる日を待つ子供の気持ちが分かる。悪いドラゴンに浚われた姫でもいい。楽しいことを考えて逃避しようにも、現実がそれを許さないのだ。
「ロマーノ」
ドラマはきっといいところだ。山場だ。クライマックスだ。目を離すべきではない。聞こえなくてもいいという気持ちで声をかけたのに、ロマーノは耳聡く拾って、躊躇いもなくテレビを消した。
「……したい」
初夜の生娘のごとく慎ましやかに、スペインは尿意を伝えた。
ロマーノは一度も、「飲ませてくれなければどうする」という、脅迫めいた強要はしなかった。時にはトイレで待ち構え、時には尿瓶代わりにと申し出る大胆さの割に、最後までスペインの自主性を重んじた。
逆にスペインも、奇行ともいえるロマーノの行動に対して、涙声で諫め腕力で押しとどめる以上のことはしなかった。この程度で交際に終止符を打つには、哀しいかな、共に過ごした年月は愛おしすぎた。
そう、別れることと比べるのならば、「この程度」と言ってしまえるのだ。時として卑怯な、ごくまれに力任せの手段に訴えることになっても、「絶縁」というカードを場に出すことはなかった。
「気になるなら目隠しでもするか?」
足元に跪いたロマーノに言われて初めて、スペインは顔を背けていたことに気づいた。
「ロマーノが?」
「俺がしてどうするんだよ。それに、前に目ぇつぶったら逃げただろ」
どうする? とロマーノは眼差しを上げた。
不安は映さず、期待のみを湛えた瞳。その澄んだ色が、状況からの離脱を考えていたスペインの胸中を染めていく。この瞳を裏切れるだろうか。再びの失望を与えられるだろうか。
スペインは泣きそうな顔で首を振って、ロマーノを見据えた。
ロマーノは前傾させた体を床についた右手で支え、左手はスペインの太股に添えている。便器や水面を叩く水音は聞こえず、その代わりに与えられるのは、口腔の温かさと自分の小便の温度。飲みきれずにこぼれた小便が伝い落ち、シャツの白を淡い黄色に汚していく。
小便を飲み下すロマーノの表情は、決しておいしそうとは言えなくて、精液を飲み込ませたときのそれと似ていた。
目の前のものをじっと見て、目には見えないものを想像してみる。ごくごく鳴るロマーノの喉を今、自分の小便が通っている。そして胃の中に収まり、ロマーノのものとして排尿されるのだ。それまでの間に、ロマーノの体に吸収されるのはどの程度だろうか。
耐えに耐えてやっと満たされた排泄欲が、ロマーノに小便を飲まれることへの快感にすり替えられそうになった。それだけはいけない、とスペインは奥歯を強く噛んだ。
ふっとロマーノの目の色が変わった。ぐっと喉を締めて、苦しげに顔をしかめる。太股に当てられた手に力が籠もった。ロマーノはスペインのペニスを吐き出した直後、大きく咳き込んだ。
反射的に下げられたロマーノの頭に、まだ勢いの衰えていない小便が降りかかる。慌てて方向を逸らし尿道を締めたスペインの手に、ロマーノの手が伸びた。
「全部出せ」
咳き込みながら、掠れた声でロマーノは命じた。咳をするたびに、縋るように指先に力が入る。
濡れた肌の温かさの元が、自分の小便なのかロマーノの体温なのかは判らないが、顔を打つ小便を避けるように細められた目が、実は恍惚に浸っていることは確かだった。
何もかもすっかり洗ったスペインは、ソファーでコーヒーを飲みながら寛ぐロマーノに思い切り抱きついた。小便を飲ませると約束してしまってから、気まずくてスキンシップはおろか、会話にすら二の足を踏んでいたのだ。興奮しきったロマーノと、風呂場で行為に及んだくらいでは物足りない。
ロマーノの興奮ぶりはいっそ発情と言ってもいいくらいで、スペインが尿の成分を疑ったほどだった。体を洗ってからにしたかったが、ペニスは既にロマーノの手中にあり、半ば押し倒される形で開始した。臭いはともかく具合自体はいつも以上で、犯されていると錯覚するような上乗りにも興奮したが、穏やかに体温と時間を分かち合うことで得られる満足感はまた別だ。
ロマーノが自分と同じ匂いをさせていることにさらに気分をよくして、スペインは頬に口付けた。胸に痛みを覚えながらも、ロマーノが口をゆすぐまでキスは拒否したから、顔に唇を触れさせるのは随分と久しぶりな気がする。唇に口付けても、当然ながらコーヒーの味しかしない。
「なあ、どんな味なん?」
好奇心だけで尋ねると、ロマーノは睨んでいるのか悩んでいるのか判りづらい顔をした。
「……あ、ええわ」
ぽん、とスペインは手のひらを拳で叩いた。
「ロマーノの飲んだら分かるやん」
「はっ? 駄目に決まってるだろうが!」
「なんでやねん、ロマーノは俺の飲んだやんか。あかんことあらへんやろ」
「俺が嫌だ。しょっぱくて後味くさい。これでいいだろ」
だから駄目だ、としかめ面のロマーノは、犬でもを追い払うように手を振った。
なるほど素面だと不味いのか。スペインが言うよりも早くコーヒーを淹れたのは、口直しのためだったらしい。セックスの後にあまりは目を合わせてくれないのはいつものことだったが、冗談で言ったのに本気で嫌がるロマーノを見て、スペインはいたずら心を起こした。
「いけず言わんと。ロマーノのおしっこ飲ませたってぇ」
これは癖になるかもしれない。そう思って調子に乗ってみたスペインは凍り付いた。
「うんこ食わせて……いや、目の前でして、くれたら考えてやってもいい」