茶番
「おーい、どうした蘭太?」
疲れたような足取りでとぼとぼと廊下を渡っていく蘭太を呼び止めると、普段なら浮かべる表情だけで若さを感じる顔がどんよりと曇っていた。庭と縁側という大したことのない距離だったが、大声を出すのもつらそうな様子に、信朗は隊員にそのまま続けるように指示を出し、縁側のすぐそばまで歩いていく。蘭太は信朗を見下ろすことに慣れないようで、戸惑うように視線を左右に振ったが、そのまま話し始めた。
「甚壱さんが……」
「おお、傷の具合はどうだい?」
「快方に向かっています。でもまだ安静にしていないといけないって言われてるのに、甚壱さん、全然大人しくしててくれないんです」
「一日休めばーってやつか。らしいっちゃらしいや」
特別一級術師である甚壱が、一級呪霊に後れを取るはずがない。詳細な情報は信朗のところまで降りてこなかったが、恐らく人間が噛んでいる案件だったと想像がつく。その人間が呪詛師ではなく、ましてや呪術師でもない場合、事態は面倒なことになる。甚壱が帰還する前に、交渉事が好きという平時には関わりたくないタイプの人員が動いている気配はあった。つまりそういうことだ。
「気持ちは分かりますけど、まずは治さないと。信朗さんからも言ってください」
「頼ってくれるのは嬉しいけどよ、俺のが立場下だからな」
蘭太が言って聞かないことを、自分が言って聞くとは思えない。家での立場が上の人間か、せめて年長者に頼んで言ってもらった方が可能性があると、信朗は直毘人や扇、長寿郎の顔を思い浮かべる。
眉を下げながら信朗を見ていた蘭太は、少し目を逸らしてから、表情をふっと消した。
「言ってこい信朗」
「そうじゃない。いやそれでもいいんだけどよ」
甚壱の部屋がある方角に向かって顎をしゃくられ、信朗は首を振った。術式がなく、術師としての実力も下の自分を年上だというだけで立ててくれる蘭太のことを、とてもいい子だと信朗は思っている。冷たく言われるのはそれだけで堪える。一方で、たまにはこういうのも悪くないかもとも思ってしまう。疲れているのだと信朗はもう一度、先ほどよりも強く首を振った。
「冗談です。でも甚壱さんは上下関係がどうって人じゃないですよ。俺のお願いは子供の頃から聞いてくれましたし」
「ガキの頃からってのはあれだよ、愛だよ」
「じゃあ……聞いてくれない甚壱さんは、もう俺を愛してないってことですか?」
「残念だけど……そうなっちまうな……」
信朗がわざとらしく肩を落とすと、蘭太も芝居がかった仕草で口元を手で覆った。
「俺、確かめてきます!」
「おう、行ってらっしゃい」
来た道を駆け戻っていく蘭太に手を振って、信朗は訓練中の隊員達に向き直る。耳をそばだてているのは分かっている。蘭太が甚壱と付き合っているのは周知の事実だ。芸能人のゴシップよりずっと近い、近所の噂話みたいなものだ。
「ほらほら崩れてんぞ、気合い入れてけよ!」
新米の奴らは知らないだろうけどな、この後、走っていく蘭太を必死の形相で追いかける甚壱ってのが見られるから覚悟しとけよ。運が悪ければそこの廊下を檜舞台に愁嘆場が繰り広げられるからな。
そう心の中で呼びかけた信朗は、今度は演技ではなく、本心から肩を落とした。
- 投稿日:2021年7月31日