願掛け
短時間の睡眠で十全に動けるのは昔からだったが、朝日が差すより前に目が覚めるようになったのは年のせいかもしれない。
目を覚ました甚壱はひとつ深呼吸をしてから、隣で眠る蘭太を見た。
蘭太には、人がいる側を向いて眠るという奇妙な癖がある。本人に言ったことはない。実際には寝返りを打っているのだろうし、気づけばいつもこちらを向いていることを、甚壱はただ不思議に思っているだけだ。
顔にかぶさっている髪を後ろに除けてやると、子供の頃とまるで変わらない寝顔が現れる。蘭太の術式は敵を視認するという意味以上に視覚を必要とする。髪を伸ばしていては邪魔になるのではないかと尋ねると、願掛けですと返された。暗に示された「切る気はない」という意思は万事に従順な蘭太には珍しい反応で、別段散髪を強いる気もなかった甚壱は、せめて束ねておけと言った。
一度、蘭太に髪紐を与えたことがある。甚壱が持つ羽織紐の中で、蘭太が特に気に入っているものに似せて作らせた。しまい込むなと念を押せば、お会いする時に使いますという返事があった。言葉通り、会うときには必ず髪を飾っている紐を見ても、甚壱は「使っている」としか思っていなかったが、ある日信朗に「蘭太の髪紐見てお前の部屋に注進に行く時の心構えができるって、下の連中がありがたがってたぞ」と言われて、そういう意味の目印になっていると知った。それでもいいと、これも蘭太には告げていない。
穏やかな寝息を聞いていると、釣られてもう一度眠れそうな気がしてくる。今起きてしまうと、蘭太が慌てて支度に走ってしまうから、まだ寝かしておいてやりたい甚壱としては好都合だった。
「……願いはまだ叶わないのか?」
若干動きがぎこちない他には余韻も何もなく、今から立ち合いを始めるような勢いで朝の挨拶をした蘭太に、甚壱は自分の髪を手に取って意図を補足する。
「ああ、はい。まだまだです!」
照れているような、それでいて嬉しそうな顔で蘭太は笑った。甚壱の動きを真似るように、解いたままの自分の髪に触れる。
「俺、甚壱さんみたいになりたくて髪を伸ばし始めたんです。同じ長さになる頃には――って。でも本当に全然追いつかなくて……甚壱さんはすごいです」
初めて明かされた話だったが、信朗から聞いていた予測そのままで、躯倶留隊の隊長を務めるだけあってよく見ていると舌を巻く。噂好きなのは困ったものだが、人の多い禪院家では信朗の耳の早さが役立つ場面も少なからずある。
束ねていることが習慣になっているから解いていると落ち着かないのだろう。蘭太は枕元に置いたはずの髪紐を探している。日頃丸出しの首筋だったが、見えていない今の方が却って気になって、甚壱は何の気なしに目で追った。
「猶予がほしいなら俺も伸ばしてやろうか?」
「そんなの永遠に追いつかなくなるじゃないですか!」
「お前に易々追いつかれる気はない」
「それはそうでしょうけど! そうでしょうけど……!」
控えめながらも憤りを露わにする蘭太は朝日の中で見るに相応しい健全さで、本当に昨夜嬌態を見せたのと同じ人間かと首を傾げたくなる。
「いつか甚壱さんにとって、いなくてはならない男になってみせますから!」
「……楽しみにしている」
称賛に満足して成長を止めるタイプではないと知っているが、とっくになっているとは言ってやれない。経験を積むことによる伸びしろが望める限り、まだまだ頑張ってもらわなければ。
素直に激励と受け取り意気込む蘭太を見て、甚壱は口元をわずかに緩めた。
- 投稿日:2021年6月6日