手弁当

「俺が言うのも何ですけど、見事に同じ名字ばかりですね」
 蘭太は役場から渡された地図を広げながら言った。先に渡された色あせた観光案内には、郵便番号を七桁に訂正するシールが貼られている。村で撮られた作品として紹介されている映画は、蘭太どころか甚壱が生まれるよりも前に上映されたもので、観光客の減少は、呪霊ではなく経過した年月が原因だ。
 依頼の内容は「心霊スポットとして取り沙汰されたせいで不審な人や車が通るようになった。治安面で不安があるから何とかしてほしい」というものだった。住人による呪霊の目撃があったわけではなく、単なる保全の一環として役場から打ち上げられた案件で、呪霊が関わっていると分かった時点で禪院家にお鉢が回ってきた。
 呪霊は行儀のいいことに活動を夜間に限っている。非術師の持つ幽霊のイメージが反映されているのだろう。そのために、甚壱と蘭太は一番手堅いと思われる丑の刻――午前一時から三時――になるのを待っている状態だ。
「第二次ブームと言うには小さい盛り返しですが、主演女優が老齢で他界したのをきっかけに映画が再注目されて、一時的に観光客が増えたことがありました。その時に起きた転落事故の現場付近が、いわゆる心霊スポットとされています」
「昔は今ほど安全にうるさくなかったからな」
「おじさんみたいなこと言わないでください」
「俺はおじさんだ」
 甚壱の反論にムッとした顔をした蘭太は、甚壱に続きを促され、口を尖らせたまま手帳のページをめくる。
「当時の事故は死亡事故ではありません。外部の調査ですが、負傷した方は術後半年のリハビリを経て復帰しています。ロケ地の一角が封鎖され、転落防止柵が立つ頃にはブームは終わっています。封鎖した時点でブームの終わりが早まることは予測できましたから、柵を立てないという案もあったらしいですが、行政が認めなかったそうです。それから三年ほど経過した後、村の付近で不審な車両が目撃されるようになりました。これがそのリストです」
 蘭太は今どき珍しい、わら半紙のような紙に刷られたリストを甚壱が読める向きに置いて滑らせる。覗き込んだ甚壱は一言「細かいな」と感想を述べた。リストには見かけた日付だけでなく、車種やナンバー、乗車人数までもが事細かに書かれている。宿泊先が分かった場合はそれも書かれていたが、ほとんどが車中泊だったのだろう。記載があるのはごくわずかだ。
「この村の方は人の出入りをよくご存知です」
 蘭太の言わんとするところを察して、甚壱はむっつりとした顔のまま頷いた。
「リストにある車のナンバーと、呪霊が原因とされる滑落事故を起こした車のナンバーは一致しています。乗車中でなくても起きることが特徴で、何でもない場所で転倒したのに、遺体が高所から落ちたとしか思えないほど損傷していた事例が複数報告されています」
「事故が起きるのはこの村を含む旅程が終わってからだったな。帰路には起きない」
「はい。一見無関係なせいで発覚が遅れました。最初はネット上で噂が流布したことによる呪霊の強化かと思ったんですが――」
 言葉を切った蘭太は、出入り口となっている襖に目をやると、ぱたんと手帳を閉じた。
「さて、時間まで起きているつもりでしたが、俺は一旦部屋に戻って仮眠してきます」
 わざとらしいほどに快活な声で言って、軽く一礼する蘭太を、甚壱は「おい」と小声で呼び止める。きょとんとした顔をした蘭太は、音もなくにじり寄ると、甚壱の耳元に口を寄せた。
「甚壱さんにお客様ですよ。俺を調査に出している間に随分お楽しみだったんですね」
「お前が接待を押し付けたんだろう。俺が調査でもよかった」
「俺じゃ小間使いにしか見えませんよ」
 甚壱が一人になる機会を窺っているのは、十中八九、夕食を運んできた娘だろう。他家の事情など慮る気はないが、術式の相伝を強みの一つとしている禪院家の男として、その手のもてなしなど受けられるはずもない。
 甚壱は今回の宿泊先である民家の持ち主の、値踏みしていることを隠そうともしない目を思い出す。この村の顔役でもあるらしいその男は、村長とは別の人間だ。駅に現れた男は村長の使いで迎えに来たと言っていたが、いざ紹介された村長は、甚壱や蘭太だけでなく男に対しても頭を下げていた。
 蘭太が調査に出ている間、甚壱は甚壱を退屈させまいとする男の相手をし続けた。どちらが接待役か分かったものではなかった。
「俺が何を思って耐えていたと思う」
 甚壱が離れようとする蘭太の腕を掴んでも、蘭太は事務的な表情を崩さなかった。
 甚壱の愛想のなさを埋めるように終始愛想よく振る舞っていた蘭太が、顔役の男が席を外した瞬間にふっと表情を消す。取り繕おうとしないところに甚壱への甘えが垣間見えて、茶請け代わりに蘭太の顔を眺めていると、案の定叱られた。それが腹に据えかねたわけではないだろうが、持ち場が分かれたこともあり、そこから今に至るまで蘭太の笑顔を見ていない。
「ではお断りしましょうか」
「支払いがまだだから加減しろ」
「加減」
「教えただろう。祓除さえ成せば上からうちへの支払いはあるが、依頼者が上への支払いを渋ると次が困る」
「呪いを見ることすらできないというのは不便ですね。節穴で何を測っているのか。猫に小判、猿に甚壱さんです」
「蘭太」
 赤子の機嫌取りのように抱き上げようとする甚壱の手を軽くいなして、膝立ちになった蘭太は甚壱の顔を手のひらで包む。
「いいですよ。その代わりこの仕事が終わったら、三日はお休みしてくださいね。移動日抜きでですよ」
「厳しいな。俺が嫌いになったか?」
 甚壱は心外だという顔をした蘭太の手を口元まで引き寄せると、手のひらを吸い付けた。不満顔はそのままに、足りないとばかり唇に噛み付いてくる蘭太をしばらく好きにさせてから、甚壱は降参を示すように蘭太の背をタップした。少しだけ機嫌を直したように見える蘭太と目を合わせ、襖に向かって顎をしゃくる。
「はい」
 しっかりと応えてから、蘭太は甚壱の腕の中から抜け出した。

投稿日:2021年6月27日
ちゃんと仕事をさせようと思って舞台と呪霊の設定を練ったのに形だけになってしまいました。