一寸先の崖下で

 羽織らされた掛け布団にくるまって座り、壁のリモコンを操作する甚壱を見つめていた蘭太は、戻ってきた甚壱が向かいに膝をついて初めて、はっと気が付き目を見開いた。甚壱もつられて瞠目する。
「何の準備もしてません!」
 風呂こそ済ませていたが、タイミングも何も掴めないまま、アナルセックスに必須らしいことは何もできていない。蘭太は弱りきっていたが、甚壱は苦笑を浮かべながら布団ごと蘭太を抱き寄せた。
「心配ない」
「でも」
 無意識に甚壱の胸についた手を、やんわりと握られ外される。
「大丈夫だ、任せておけ」
 甚壱に促され、蘭太は背中を後ろに倒す。手の甲から手のひらへ、いつの間にか合わせられた甚壱の手のひらはさらりと乾いていて、まだ暖房も効いていないのに汗ばんだ自分の手とは大違いだった。
 甚壱は蘭太の頭が枕につく直前に、後頭部を撫でるようにして髪を頭上に流した。どうにか力を抜いて背中を布団に馴染ませた蘭太は、いつもと変わらぬ冷静さで注がれる瞳を間近に見上げ、いたたまれずに目を泳がせる。
 したいと言ったのは蘭太の方だ。この期に及んで待ったをかけるのは、往生際が悪いどころか支離滅裂な行動だ。しかし事前に調べていただけに、いざするとなると至らない部分が気にかかった。便意はない。だが本当にないかと言われると、自信がない。
「……気になるのなら風呂場でするか?」
「え?」
 うろたえる蘭太をなだめるように、甚壱は蘭太の額に手を置いた。
「そうすれば服を脱ぐのも自然だろう」
 蘭太は起きている時に入りそこねた、部屋付きの露天風呂のことを思い浮かべた。仲居が部屋を辞した後で、好奇心からドアを開けて見たから、湯船の他に洗い場があることは知っている。
 ――そこで、甚壱と。
 なまじ甚壱の上裸を見慣れているために、脳裏に浮かんだ映像はやたらと鮮明だった。冗談だろうと構える気持ちはもちろんあったが、甚壱の表情からは真意が読み取れない。
「……最初が風呂は……ちょっと……」
 特殊すぎるということはないが、最初は普通に布団でしたい。
 どうにか蘭太が答えを絞り出すと、
「そうか」
 甚壱はがっかりした様子もなく、本気とも冗談ともつかない真顔のまま頷いた。


 額から目蓋、そして頬へと唇が落とされる。物足りなさを感じるほどに優しい口づけは、髭が当たる感触も含めてよく知ったものだったが、これからセックスをするのだと思うと、心臓が変になりそうだった。
 甚壱が蘭太の唇にキスをするのは、蘭太がねだったときだけだ。いつだって触れさせて終わりの甚壱の唇を見様見真似で吸ってみたとき、甚壱は応えず、ただ困ったような顔をしていた。
 キスに上手下手があることは知っている。自分はどうやら下手らしい。甚壱にもっとしたいと思わせるにはどうしたらいいか。
 蘭太の課題は今日もまだ白紙だった。
 甚壱の手のひらを後頭部に感じながら、唇を塞がれる瞬間を待ち望んでいた蘭太は、最後に触れられてから思いの外長い間が空いたことに耐えきれず、伏せていた目を開けて甚壱を見た。
「甚壱さん……?」
 無言で蘭太を見つめた甚壱は、右手を蘭太の頬に当てたまま、親指で蘭太の唇をなぞった。今までにない触り方だった。
 甚壱の表情はいつもと変わらない。変わらないはずなのに確かにある違和感に、蘭太は目がそらせない。もう一度唇を撫でられたとき、寒くもないのに背筋がぞくりとした。
「……よく耐えたものだ」
 蘭太が言葉の意味を問うのを待たず、甚壱は首を傾けて口を寄せた。そっと触れて離れる感触に、もう一度と思う前に次が与えられ、唇で唇をやわく食まれる。深くなる口づけに、蘭太はどうすればいいのか分からず身頃を握りしめた。緊張から閉ざした唇の間に甚壱の唇がある。意識した途端に、下唇を舌で舐められた。
「んっ!?」
 驚き身を引こうにも、頭はしっかりと固定されている。そもそも背後は枕と布団で逃げ場はない。甚壱が笑ったらしい息を肌で感じて、蘭太は訳も分からず目を瞬かせる。
 唇を舐められ、吸われて、蘭太はこくりと空唾を飲んだ。恐る恐る、入り込んできた甚壱の舌に舌先を触れさせてみると、甚壱は蘭太の頭を撫でながら舌を軽く吸った。
「ん……っ」
 噛まれたわけでもないのに、ピリリと電気が走るような感覚がした。
 蘭太は甚壱の顔を見るが、近すぎてピントが合わない。よりどころにできるものを求めて、甚壱の首元に手を伸ばした。


 今まで取ったスキンシップは何だったのかと思うほど、甚壱に体をまさぐられるのは気持ちがよかった。
 散々焦らされた後に乳首を口に含まれて、蘭太は上げそうになった声を手でせき止めた。一度声を出したが最後、二度と抑えられない予感がする。煽り立てられる性感と、それ以上に積もっていく羞恥心に、逃げ出さないようにするのが精一杯だ。
 ぬるりとして熱い舌が、存在を意識したこともない部分を撫でるように舐める。乳輪の中から乳首を浮き立たせるように舌を往復させられ、もう片方の乳首も指の腹で優しくさすられて、蘭太は股間に熱が集まるのを感じた。
「うっ……んぅっ……!」
「蘭太」
「は、あッ!」
 つい返事をした蘭太が口を閉じるより先に、甚壱が形作るように乳首を吸い上げた。
「あっ、やあっ……あぁっ!」
 同時に、甚壱は蘭太のうずきを見透かしたように下着越しの股間を手で探った。
 浴衣はまだ羽織っていたが、帯は取り去られ、前は完全に開かれている。触られる前から質量を増していた膨らみに刺激を与えられて、蘭太は手で顔を覆った。甚壱の頭は胸元にあり、表情を見られることはない。だがそんなことは湧き上がる羞恥の前には関係がなかった。
「勃っているな」
「……はい……っ」
「気持ちいいか?」
 蘭太は躊躇いつつも縦に首を振った。知った刺激の安心感。布越しに陰茎の輪郭をすりすりと擦り上げてくる手に、なりふりかまわず腰を押し付けそうだった。
 陰茎から離れた甚壱の手が、蘭太の下着をずり下げる。密かに望んでいたことだったが、蘭太は慌てた。今さらながら、甚壱に男性器を握らせる抵抗感が湧き出す。
「待っ……」
「ちゃんとよくしてやる」
 蘭太が拒む前に、甚壱は蘭太の陰茎を手中に収めた。
 生身で触れた外気に感慨を抱くより先に、甚壱の手が動き始める。指で作った輪をしゅこしゅこと上下させ、蘭太の腰の奥にある熱を引き出していく。当然だが、自分の手とは感触も握る強さも違う。
「う……くっ……ふぅっ……!」
 身の置き所がない。それに、自分も甚壱に何かしたい。陰茎の快感に集中しているときに乳頭を口に含まれて、乳首の存在を再認識させられた蘭太は、それ以上思考することもできず体をびくつかせた。ただでさえ閾値を超えそうなところを、強さもペースも緩まることのない手淫に追い詰められていく。
「ふっ……うぁ……んっ……」
 口寂しい。もう一度キスがしたい。
 無意識に指を吸っている自分に気づいた蘭太は、赤ん坊のような行動を恥じながら、今は喉仏に舌を這わせている甚壱の頭に手で触れた。口を離した甚壱と目が合い、言う前から欲を見透かされているような気がして、頬がかっと熱くなる。
 今まで効かなかっただけに、言葉で伝えられる自信がない。蘭太は陰茎をしごき続けているくせに、何もしていないような顔で「どうした」と尋ねる甚壱の頬に手を添えて、喘ぎ喘ぎ首を起こした。
「ん……っ」
 何とか合わせた唇を、いつかしたように軽く吸いつける。今回も音は上手く鳴らせなかった。
「キスしてほしいです」
 返事の代わりに口を塞がれて、差し込まれた厚い舌で口腔をまさぐられる。歯の裏を舐める舌を舌で探り返すと、表面をこすり合わせるようにぬるりと舌を絡められた。
 もっと甚壱がほしい。蘭太は甚壱の首の後ろに手を回し、口の中に満ちた唾を飲み込んだ。息継ぎの合間に甚壱の吐息を吸うと、快感と息苦しさがないまぜになり、目の前がちかちかする。
「ぁっ……はぁ……っ……甚壱さんっ……」
「蘭太……ッ」
 陰茎の裏側に、手とは異なる硬いものが押し付けられる。自分の脈に合わない脈動と熱さに、蘭太はそれが甚壱の男根だと理解した。
 蘭太は右手を下ろし、蘭太のものと諸共に陰茎を握る甚壱の手に触れ、目配せをして代わりたいと乞い願う。甚壱は手を離し、蘭太の手ごと陰茎を掴み直した。
 直に触れる甚壱の陰茎は想像した以上に硬く太い。受けた衝撃を収めきる前に、甚壱のものと自分のもの、まとめてしごき上げさせられる。自分の手なのに自分のものでないような、未知の感覚だった。
「あっ……うぁッ……あぁっ! んぅうっ……!」
 強制的に絶頂まで引き上げられる。押さえていたことを忘れて上げた喘ぎ声は、合わせられた甚壱の口に飲み込まれた。出せない声の代わりのように、白濁が手の中で弾ける。
 吸われていた口を解放され、蘭太は大きく息を吐いた。呼吸を整えながら、まつげが触れそうな距離にある甚壱の顔を呆然と見上げる。
 甚壱は蘭太の手に自身の陰茎を握らせたまま、ぐっと眉間に皺を寄せた。どこか後ろめたそうに、密やかに行われる反復運動。吐かれた息と手のひらの感覚から、蘭太は甚壱が果てたことを知った。


 甚壱がいつ服を脱いだのか記憶は定かでなかったが、日頃から脱いでいる甚壱のことだ。不思議はなかった。
 体を起こす甚壱について起きた蘭太は、甚壱に拭われる自分の手を見ていたが、その向こうにある甚壱の股間にこっそりと視線を移した。吐精した後ながらも萎えきっていない陰茎は、風呂で盗み見たときよりも大きい。
「平気か?」
「はい」
「今俺に触られて気分は悪くないか?」
「もちろんです」
 甚壱の指先はさりげなく蘭太の手首に触れている。騙そうとしてできないことはなかったが、嘘をつく必要がない。脈に不自然なところはないはずだった。
 蘭太は再び横たわる甚壱に招かれて、腕の中に収まった。顔を間近に見るのは気恥ずかしかったが、腰に回される腕に含意をすいさずにはいられない。
 甚壱の胸に頭を寄せて、さっき見たばかりのものを瞼の裏に思い描く。触れられたい場所を何と言って伝えればいいのか。そもそも排泄に使う場所だ。甚壱に触らせていいものなのか。
「ひゃっ!」
 思考に没頭しかけたところで、無防備な背中を甚壱の指がなぞった。裏返った声を笑われて、恥ずかしさをごまかすために顔をぎゅうと押し付ける。
「緊張しなくていい。今日は挿れない」
 思いもよらない言葉を聞いて、蘭太は甚壱に抱きついたまま目を見開いた。
 しがみついているために甚壱の顔は見えないし、甚壱からも蘭太の顔は見えないのだろう。甚壱は蘭太が怖がっているとでも思ったのか、蘭太の背中をあやすように叩いた。
 蘭太は身を引いて甚壱の顔を見た。
「あの」
「どうした」
「……触って欲しいです」
 どこと言う代わりに、蘭太は背中にある甚壱の手を捉えて自らの臀部に導いた。肛門そのものに触れさせるのは躊躇われ、尻たぶの上で止めて甚壱の手に肉を掴ませる。甚壱の手に重ねた手が、恥ずかしさで震えた。
「甚壱さんとするのを想像して、指を入れたこともあるんです」
 だめ押しの告白だった。甚壱は自分に興奮できる。実証されたばかりの事実が、蘭太に思い切らせた。
 甚壱の瞳が揺れた。許容と拒絶、心情がどちらに傾いてのことか蘭太には分からない。
「いけませんでしたか?」
「いや……」
 珍しく口ごもった甚壱は深々と溜め息を吐いた。蘭太の尻から手を離すと、両腕で蘭太を抱き直す。
「蘭太」
「はい」
「……俺はお前を大事にしたい」
「知っています。十分、してくださってます」
「またしたいと思ってほしい」
「もうしたくなりました」
 蘭太は頬を擦り寄せた。
 次があってほしいと願うのは蘭太も同じだ。だが、性器でない場所を使う自分はさて置いても、そこに入れた甚壱が気持ちよくなれるのか、覚悟だけでは心許なかった。
「甚壱さんが気持ちよくなれないかもしれません」
 不安を吐き出すと、甚壱は尻のあわいに指先を滑り込ませた。蘭太は反射的に体を固くしたが、そろりと力を抜く。甚壱の指が触れている。期待に胸が高鳴った。
「ここに入れるんだ。よくないはずがない」
 断言する甚壱におかしさを感じながら、蘭太はこくりと頷いた。
 甚壱は蘭太を抱きしめながら寝返りを打った。腿に手をかけ、蘭太に自分の体をまたがせる。
 布団に膝をついて体重を逃した蘭太は、組み敷くような形になった甚壱の顔を見下ろした。
 甚壱は一度目をそらしてから蘭太を見て、いくらか気まずそうに口を開いた。
「指は何本入るんだ?」

投稿日:2023年1月24日
入れてみただけでやめてしまった蘭太と、甚壱の太さを想定して慣らしが済んでる蘭太、どっちにするか決めかねています。