童貞をやりたい

 行為の後の気だるさと充足感。穏やかに引いていく熱と共に訪れる、心地の良い眠気。汗を拭い終えた肌の感触を確かめるように抱き合っている時に、それはふわと胸に浮かんだ。
「……俺の童貞も蘭太にやりたかった」
 頭は蘭太の上腕に、腕は蘭太の腰にある。受け入れられているという実感から来る甘えが、思ったままを口に出させた。予想に違わず、甚壱の頭を抱いた蘭太の呼気に笑いが交じる。
「甚壱さんはなんでもくれようとする。これじゃ永久に返せませんよ」
「俺の方こそもらってばかりだ」
「そんなことないですよ」
 今度は声を立てて笑った蘭太が、マッサージするように甚壱の耳を摘んで軽く引く。全くの嘘だとまでは言わないが、過剰に盛った言い方だと思っている――そんな声色だった。だが甚壱からすれば蘭太は人生ひとつ、丸ごとくれたようなものだった。価値の釣り合いが取れるとは思えないが、差し出されたものに何かしらで報いたい。どうしたら本気と伝わるのか。
「じゃあこうしましょう」
 甚壱が答えを出す前に、蘭太は甚壱の頭をそっと枕の上に移した。一緒に作りに行った枕の寝心地は文句なしに快適だったが、ぬくもりを失った不満の方が大きくて、甚壱は蘭太に向ける目に恨めしさを込める。視線を受けた蘭太は笑いながら、甚壱の前髪を撫で付けるように手を滑らせると、身を屈めて額の傷のあたりに唇を落とした。
「甚壱さんは今から初めてセックスします。俺がリードしてあげますね」
 身を起こした蘭太は甚壱と目を合わせ、任せておけとばかりに頷く。蘭太の思い切りの良さは今に始まったことではなかったが、甚壱の返事を待たずに体をひねり、枕元に置いたペットボトルに手を伸ばす姿には、先程まであった柔らかい空気は少しも残っていない。
「……待て蘭太」
「はい?」
「俺が童貞なのにお前は誰としたんだ」
「そこ詰めます? 参ったな……」
 蘭太は水を一口飲んでボトルを置き、神妙な顔で腕組みをする。口を尖らせ虚空を睨み、二度、三度と瞬きをしてから甚壱に視線を戻した。
「……タイムトラベルでどうでしょう? 今の俺が、童貞だった頃の甚壱さんのところに行くんです。そしたらお互いが初めてになってハッピーエンドです」
「無理があるだろう」
 出された妙ちきりんな設定に、甚壱が間髪入れずにダメ出しすると、蘭太は表情を崩して吹き出した。
「そりゃあ無理ですよ。でも俺も初めて、甚壱さんも初めてじゃ大変じゃないですか」
「それはそうだな」
「ね。案ずるより産むが易しです」
「俺が童貞を捨てたのは十代の時だ。付き合えるか?」
 言ってから甚壱は、年の差が今より小さくなることに気付いて顔をしかめたが、
「技術がないだけ今より楽でしょう」
 思ってもみなかった方面から攻撃を加えられて、情けない顔をした。甚壱の表情の変化に気付いた蘭太は、何が悪かったのか分かっていない、きょとんとした顔で甚壱を見返す。
「衰えた気でいます?」
「いや……」
「ですよね」
 真顔で頷いた蘭太は、晴れない甚壱の顔をしばらく眺めてから、自分の発言を反復しなおしたらしい。合点がいったという風に再度頷いた。
「俺のじいちゃん分かります?」
「ああ」
「俺が行くと未だにお菓子をくれるんです。小さい頃なんかは好きなおかずも分けてくれて、食べないのか聞くと見てるだけでお腹いっぱいだって。そんなはずないのに変なのって思ってました」
「大事にされているんだな」
「はい。甚壱さんもそういうところありますよね」
 可愛がっている自覚はあるが、祖父を引き合いに出されるのとは意味合いが異なる。納得がいかない顔をした甚壱を見て、蘭太は人の悪い笑みを浮かべた。
「俺が気持ちよければいいって、自分のこと二の次にしますよね。俺だって甚壱さんに気持ちよくなってほしいし、よくなってるところが見たいのに」
「……」
 心当たりはある。一歩部屋を出れば閨事など知らないような顔をする蘭太が、自分の前でだけ見せる表情、態度。それが見たくて、もっと欲しくて、快感に押し流されて抑制を失い、甚壱でなければ骨が折れているような強さでしがみついてくるのを更に追い詰める、そういうやり方をしたのも一度や二度ではなかった。
「甚壱さんは童貞だから、俺の体のどこがいいのか知らないんです」
 蘭太はゆっくりと甚壱に向かって手を伸ばし、頬に触れた。術式を使う気ではないのだろうが、じっと視線を注いでくる顔は、分かりやすく何かを企んでいる顔だった。
「もちろん挿れていいです。でもその前に、いっぱい気持ちよくなりましょう」

童貞ごっこ

 童貞の甚壱を不安にさせないために、慣れた風を装っている。
 甚壱が挿入しやすいように両脚を抱え上げた蘭太が、たった一瞬だけ浮かべた恥じらいを捉えた頭が編み出した説に、甚壱は笑いそうになった。タイムマシンを発明するよりも、自分が今の年齢まで童貞でいたという方が無理がないのは確かだが、蘭太のタイムトラベル案に引きずられ過ぎだった。
 蘭太が性交に慣れているのは、記憶に誓って間違いない事実だ。事実を裏付けるように、蘭太は表情をすっかり戻して、潤滑ゼリーを塗り込めた穴を甚壱に差し出している。甚壱に触らせなかったくせにゆるく勃ち上がっている股間が、状況への興奮を物語っていた。
 甚壱は表情を取り繕い、蘭太の手でコンドームを装着された先端を、眼前に晒された窄まりに押し当てた。性器の役割を担わされ慣れた肛門は、さっきまで交わっていたこともあり、柔らかにほぐれている。甚壱が本当に童貞だったとしても、挿入を失敗することはなかっただろう。
「ゆっくり入れてださい」
 落ち着いた口調で蘭太は言うが、顔には「早く挿れてください」と書いてある。甚壱がじっと見ると、蘭太も自分の焦れを自覚しているのか、舞台袖から指示を出すように首を振った。お互いロールプレイには向いていない。
 軽く体重を掛けて、言われた通りに少しずつ、自身を蘭太の中に飲み込ませていく。そこを擦ればいい反応をすると分かっているところを、知らないふりで素通りする。カリ首が通り過ぎる一度をやり過ごした蘭太の緊張が緩むのを感じて、信用しろという意を込めて目を見ると、蘭太から苦笑が返された。
「甚壱さん」
 全長のうち、とりあえずここまでと認識している部分まで収めたところで、歌うような軽やかさで呼びかけられる。顔を上げると、蘭太が子供に向けているのを見たことがある、慈しむような表情が向けられていた。そんな顔を自分に向けるのかと、甚壱はむず痒いような感覚を胸に覚えた。
「童貞卒業おめでとうございます。初めての中のご感想は?」
「……気持ちいい」
「光栄です。俺も気持ちいいです」
 蘭太は抱えていた脚を放すと、甚壱の膝を手探りで撫でた。
「動いていいですよ。好きにしてください」
「いや……まだいい」
「我慢しなくていいのに」
 蘭太は甚壱がいつもこの状態で待つ理由に、甚壱自身は待つ必要がないことに気付いているらしい。甚壱の童貞らしからぬ行動を是正しようとはしなかった。
 目を伏せた蘭太の呼吸と、連動して沈む胸と腹。包み込んでくる肉の感触。甚壱が測ったのと同じタイミングで、蘭太が目を上げる。ぱちりと絡んだ視線に、時計が時刻丁度を指す瞬間を見たような、組木細工がはまったような、肉体由来の快感とは別の心地よさを感じる。動き始めるタイミングは今でよかったのかと、童貞だという設定にかこつけて聞いてしまいたい気がした。
「これ、甚壱さんのタイミングなんですよ」
 心が読めるわけではあるまいが、甚壱の疑問そのものずばりに対する答えを口にして、蘭太は照れたように笑った。
「甚壱さんがいつもこれくらいで動くから、今くらいのとこが馴染んでるってことなんだろうなって。俺自分の体なのに全然分かってないんです。……設定のつじつまが合わなくなるので内緒ですよ」
「……つらくないか?」
 落胆はしていない。だがそれだけは聞いておきたかった。
「全然。入れた時点で言ったじゃないですか、動いていいって」
 腰を起こして、奥へ。進めた甚壱をさらに招き入れるように中が蠢く。甚壱が脇についた腕をさすって、蘭太は「もう少し」と息だけで言った。誘われるままに押し込むと、蘭太は苦しそうな息を吐いた。入るのは分かっている。だが。
 甚壱の懸念を払拭するためか、蘭太は息を整えると、甚壱を見上げて目を細めた。
「奥まで入ってるの好きです」
「そうか」
「はい。でも苦しいのは苦しいですよ。うってなります」
 自分の発言を引き金にして、万に一つも甚壱が腰を引いてしまわないようにか、甚壱の目を見据える蘭太の目は真剣そのものだ。甚壱が腰を押し付けて応えると、蘭太は薄く笑った。
「甚壱さんが知らないことを教えてあげます」
 ちょいちょいと招かれる。真っ最中に勢いで潰すことはあるが、ここまで正気を保って蘭太の体を屈させるのは初めてだった。案の定、肌で感じる蘭太の息に、呼吸が阻害されているらしい不自然さが混じる。
 蘭太は甚壱の耳元に口を寄せた。
「甚壱さんにされること、全部好きですよ」

投稿日:2022年4月23日
童貞をやりたい
投稿日:2022年5月2日
童貞ごっこ
更新日:2023年3月1日
サイト改装に伴い合体させました。二作の間にあるはずの蘭太の頑張りは力及ばず書けませんでした。面目ない。