門出に手向ける

 四年間の一人暮らしを終えて帰ってきた杏寿郎を車に乗せ、送り出した時とは逆の道を辿りながら、就職祝いに何がほしいかと尋ねる。二人でドライブに行きたいという答えを聞いた時は、道場の門下生が減っていることを気遣われたのだろうか、と少し情けない思いをしたが、成長した息子と遠出するというのは、それはそれで心躍るものだった。出立を翌日に控えた日の夜、日帰りだから大した準備もいらないのに落ち着かない俺を見て、瑠火は誰のために行くのか分からないと苦笑した。
 自分がハンドルを握るつもりが、在学中に免許を取ったのだと言われ、おっかなびっくり任せた運転はとても滑らかだった。聞けば友人たちと出かける機会が多くあり、帰省した時にはこちらの道に慣れがてら、瑠火の買い物に付き合っていたのだという。
 杏寿郎のスマートフォンを繋げたカーステレオからは、知らない、しかし耳に心地のいい曲が流れている。沿道の桜は咲き始めているものの、満開はまだ先だ。卒業式には間に合わず、入学式には早すぎる。毎年のことだった。風が穏やかなのか、晴れた空には淡い雲が浮かんでいる。海沿いを走るには丁度いい日だ。


「父上、着きましたよ」
 揺さぶり起こされた俺は目をしばたたかせた。通っていた大学の話や、この春に赴任する予定の学校の話を聞きながら、窓の向こうに広がる海原を眺めていたはずが、いつの間にか眠っていたらしい。
「……すまない、眠ってしまった」
「それほど安心してくださるとは、運転手冥利に尽きます」
 助手席のドアを開けて手を差し伸べてくるのは、瑠火と出かける時の癖だろうか。それとも俺が知らないだけで、エスコートする相手がいるのだろうか。車の免許に限らず、家を出て地方の大学に行くと聞いたのも、瑠火の方が先だった。もし恋人がいるとしても、俺が紹介してもらえるのは結婚を決めてからなのだろうな、と拗ねた気持ちになる。
 薄暗い駐車場から自動ドアを通り抜け、ところどころ消灯しているパネルの前に立つ。
 ――ん?
「杏寿郎、ここ」
 杏寿郎は問いを遮るようにぐっと俺の手を掴んだ。液晶画面のボタンを押して、銀色の排出口にそっけなく吐き出されたカードを手に取ると、俺の手を引っ張って足早にエレベーターに乗り込む。
 息子と二人でラブホテル。想定外の事態に直面した俺は、今はフロントで鍵を貰わなくていいのか、と何の役にも立たないことを考えながら、杏寿郎の視線を追って階数表示を見た。
「最近は映画鑑賞プランなどもあるのです!」
「……そうなのか」
「そうです!」
 やましいことなど何もないと言わんばかりの語気の割に、緊張しているようだ。息子の手だから気持ち悪いとは思わないが、手首を掴む手にはじとりと汗が滲んでいる。
 今日のシャツはやけに派手な柄だなとか、車の中では帽子を脱いだらどうだとか、屋内でもサングラスは外さないんだなとか、これだからおじさんは、と言われたくなくて黙っていたことが、「変装」という言葉に集約される。教職に就くとなると休み中の素行にも気を遣うのだろうか。それなら無理にラブホテルで映画など観なくてもいいだろうに。
 子供のように手を引かれ、連れてこられた部屋は、紺や茶といった落ち着いた色を基調とした部屋だった。やたら淫靡な部屋だったらどうしようと思っていたから、自然な色をした照明にホッとする。やっと放してもらえた手をさすりながら、家のリビングにあるものより大きいテレビを見て、映画鑑賞という言葉にも合点がいった。防音は、そりゃあ、ちゃんとしているのだろうし。
「何を観るんだ?」
 ローテーブルの上に置かれている、読んでも操作が分かる気がしないリモコンの説明書を覗いてから振り返ると、杏寿郎は肩にかけていたデイパックを下ろし、帽子に収めていた髪を片手でわしわしと掻き混ぜ戻していた。落ち着きぶりに何となく、ラブホテルという場所への慣れを感じて、気まずくなって目をそらす。
 場所柄テレビはベッド寄りにあるが、座るのはベッドとソファのどちらになるのだろう。どちらでも問題はないが、息子と同じ布団で寝るのは小学生の頃以来だから、ベッドは照れくさい気もする。そういえば杏寿郎と映画を観るのはいつぶりだろうか。映画館はもちろんのこと、杏寿郎が家を出たこともあって、リビングで観るというのすら長い間していない。
「……映画鑑賞というのは嘘です」
「うん?」
「父上、俺とセックスしてください!」
「……は?」
「セックスです。明け透けな言い方になりますが、父上の肛門に俺の――」
「やめろ! 皆まで言うな! ……ちょっとそこに、いや……ソファに座りなさい」
 この部屋には椅子というものがない。杏寿郎の立ち位置がベッドに近かったことから、ソファに案内し直して、俺はローテーブル越しに前に立った。
「……知っていると思うが、俺は既婚者だ。お前たちの父である前に、瑠火の夫だ」
「存じております」
「どうしてそう思ったのかは聞かん。どうせ理解できん。だが俺はお前とセッ……性行為をすることはできない。それは不貞行為だ」
「そうおっしゃると思って母上には事前に許可を取りました。ホテル代は俺の就職祝いとして、我が家の家計から出ます」
「なんだと!?」
「お疑いになるならどうぞ確かめてください」
 ポケットから出したスマートフォンを操作し、俺に差し出す。後は発信ボタンを押すのみとなった画面に表示されているのは、間違いなく瑠火の番号だ。
「……瑠火は、いいと言ったのか」
「父上、そんな顔をなさらないでください。俺が頼み込んだのです。母上はいいとはおっしゃいませんでした。父上の判断にお任せするとのことです。……結果は知りたくないとも」
 俺の判断に任せるとは、それはずるいんじゃないか、と心の中で妻に呼びかける。断ってほしかった。俺は君のものだと言ってほしかった。すっかり甘えることがなくなった息子の頼みだ。何だって聞いてやりたいが、流石にこれはどうだ。
「……杏寿郎」
「はい」
「俺は、もし、お前が瑠火を抱きたいと言っても、絶対に許可は出さない。たとえ瑠火が構わないと言ったとしてもだ」
 分かっている、と杏寿郎が頭を下げるように頷く。
 もしそうなったとき、杏寿郎を、瑠火を、一個の人間として認めるのなら、きっと瑠火がしたように答えるのが正解なのだろう。分かっていてもできそうにない。もしかして、という考えを俺は首を振って打ち消した。
「……俺からも言っておく。瑠火には……いや、誰にも言うな。ここでのことは墓まで持って行け」


   ◇


 すっかり疲れ切ってソファに座り込み、サービスとして置かれたペットボトルの水に手を伸ばす。予行演習とでも思ってください、と言われたが、将来介護が必要になった時、息子たちの手を煩わせたくないという話を瑠火としたばかりだ。それにもしそうなっても、尻の中まで洗うことはないだろう。ましてやローションまみれにしてほぐすなど。
 背もたれに頭を預け、ずりずりとだらしなく腰をずらすと、洗い込んだバスローブの硬い感触が肌にこすれる。このまま寝たら夢だったことにならないか、と車の中で眠ったせいで、疲労感の割に訪れる気配のない眠気に思いを馳せる。
「父上、よろしいでしょうか」
 ほどなくしてバスルームから戻ってきた杏寿郎の声に、よろしいわけあるか、と言いたいのをぐっと堪えて立ち上がる。未開封のペットボトルを取って押し付けると、「ありがとうございます!」と無闇に快活な返事があった。
 ベッドの脇でバスローブの紐を解いていると、後ろから「あっ」と声が上がる。
「なんだ?」
「いえ、脱がせたかったので」
「……残念だったな」
 気持ちが分かるだけに居たたまれない。この際後にしてもいいだろうに、掛けてくると言うので、脱いだバスローブを任せてベッドに上がる。どんな顔をして迎えればいいか分からず、近づくスリッパの音に顔を背けた。座っている場所とは反対側からの揺れと、シーツを擦る音。息苦しさを感じる沈黙。
「父上」
 顔を向けると、息子が真剣な顔で正座していた。風呂場から思っていたことだが、髪を一つに束ねていると短髪に見える。実際に短髪だった子供の頃と比べて、立派な青年に育ったものだとしみじみと実感する。杏寿郎は俺の視線で髪を解き忘れたことに気付いたのか、困った顔で髪を解いた。
「母上から言伝を預かっています」
「……なんだ?」
「指輪を外さないでほしい、と。……俺への戒めかと思ったのですが、父上はうっかりなさることがあるからと」
 指輪の紛失には思い当たる節があるからぐうの音も出ない。
「俺からも一つ。どうか、嫌なときは嫌だとおっしゃってください」
「それはこの行為を断ってもいいという意味か?」
「いえ、それは……」
「冗談だ。俺は既に承諾した。……来なさい」
「ありがとうございます」
 深々と下げられた頭にため息をつく。奇妙な甘え方だが、たかが中年男の尻の一つ、そこまで必死になるものではあるまい。俺はまだ下げられている杏寿郎の顎に手を添え、顔を上げさせる。
 口づけはするべきか、しないべきか。
 俺の迷いを見透かしたように、杏寿郎は「始めましょう」と言った。


   ◇


 コンドームの着け方が分からないという見え透いた嘘に騙されてやった俺は、大概息子に甘いと思う。回復力は流石の二十代、二度目のためにさっさと自分で着けるのを、俺がジト目で見ていることに気付いた杏寿郎は、父上のご指導の賜物です、といけしゃあしゃあと言ってのけた。杏寿郎が用意してきた物は六個入り。尻をほぐす時に一個使ったから、あと三個か。追加購入は遠慮したいものだ。
 俺は違和感の残る腰を動かしてうつ伏せになり、頭に敷いていたクッションを胸の下に引き寄せ膝を折る。もうどうにでもなれ、という気分だった。
「父上、仰向けで寝てくださいませんか」
「……本気で言ってるのか?」
「はい。お顔を見ながらしたいです」
 言われるまま仰向けに寝直すと、杏寿郎は手を伸ばしてクッションを取り、ひと声かけて俺の腰の下に入れた。まな板の上の鯉。服従した犬。思い浮かぶ単語に苛まれながら、見慣れない天井を眺める。自分のために照明を落としたいと思うのは初めてだ。
「……言いそびれたが、俺のことは気にするな」
 俺の膝を押しながら、照準を定めていた杏寿郎の目がこちらを向く。開いた脚の間からそれを見返しながら、俺は二重の情けなさを堪える。こんなに息子が大きくなったんだ、仕方のないことだ。
「一度出すとかなり疲れるんだ。まだするつもりなら触るな」
「お疲れでしたら一旦休憩されますか」
「……それはいい」
 たった一度しただけだというのに、どうしたことか、俺の体は杏寿郎のものを受け入れる気満々だ。今はつんと軽く触れているだけの先端を、早く中に入れてほしくて仕方がない。このまま置いておかれたら自ら腰を押し付けてしまいそうだ。
 相手への気遣いから躊躇う男に、どう言えば望みが叶うか、同じ男なだけによく分かる。簡単で単純な一言だ。しかし自分が、それも息子を相手に言う恥ずかしさに耐えきれず、俺は片腕で顔を覆った。
「父上?」
「いいから、早く入れてくれ……」


 腿を押さえる手と、あらぬ場所をギチギチと拡げてくるたくましい感触。持ち主が誰であるのかという答えを目の前に見ていてもなお、体は息苦しさの中に時折ちらつく快感を拾うのをやめない。
 俺はすぐに詰めてしまう息を逃がそうと呼吸を深めた。タイミングを間違えると声が出てしまうから、杏寿郎の動きを意識せざるを得ず、一層頭の中が挿し込まれているもののことでいっぱいになる。かなりやっかいだ。
「あの、父上」
「…………ん?」
「俺は、少しは父上を……気持ちよくできているでしょうか?」
 聞かないでくれ。そう声を大にして言いたい。だが聞きたい気持ちは痛いほどに分かる。俺も結婚したての頃は瑠火の表情の変化が今ほど分からなかったし、そんな余裕もなかった。できれば言葉にしてほしい――助平心も手伝って、そう思ったものだ。
 話せるタイミングを読もうと探るが、断続的な動きの中に声を乱さずに答えられるほどの隙はない。止まってくれと言えば止まることが分かっているからこそ、言いたくない。腰を振っている真っ最中に止まるとは、一体どういう自制心をしているんだ。
 悩んだ末にちょいちょいと手招きすると、身を乗り出した杏寿郎が、招いた俺の手を取り口づける。そういうのはよそでやりなさい、よそで。俺が恥ずかしくなるだけでお前に何の得もないだろう。
 動いたせいで深まった結合と、腹が潰れる苦しさを、なるべく意識の外側にやりながら、首に手をかけ抱き寄せる。顔を見る限り変わらないように見えたが、髪の毛越しに触れる首筋はうっすらと汗ばんでいた。腰――尻か? を足で挟むようにすると、杏寿郎が動きを止める。よし。
「ちゃんと気持ちいい。心配するな」
 ついでに頭を撫でて、俺は大きく息を吐いた。思えば杏寿郎には心配ばかりかけている。父親のくせに情けない話だ。いっそ思い切り喘ぎ声でも上げればいいのかもしれないが、それは俺が嫌だし、杏寿郎だって嫌だろう。
「……杏寿郎?」
「いえ……」
 萎えたかと思ったがそんなことはなさそうだ。むしろ元気になった感すらある。男子三日会わざればというやつか、近頃ほとんど会っていなかったせいで、何が琴線に触れるのかが分からん。
「このまま動いても構いませんか?」
「ああ、好きにしなさい」
 了承してから、俺は脇から覗き込むようにして自分が置かれている状況を確認した。このままとは、今のこの、今までで一番深く入った状態でか。視線を戻すと、手招く前とは違って正面にいる杏寿郎と目が合った。
 嫌とは言うまい。俺が口を噤むと、鏡写しのように杏寿郎は笑った。
「ゆっくり動きますから」
 言葉通りにゆっくりと、中のものが引き抜かれていく。排泄に似た感覚、それに少しの寂寥感。追いかけそうになる腰を引き留める前に、再びゆっくりと尻の中へと戻される。押し出されるように吐いた息を、杏寿郎に見守られながら吸い込む。期待の籠もった瞳から、何を言いたいかが伝わってくる。
「……あのな、俺がアンアン喘いだら、変だろう」
「聞いたことがないので判断しかねます」
 試しに声を出してやろうかと考えたが、想像するだけで胸が痒くなる。息子のためと自分を励ましても、息を吸って、そこで止めてしまう。その間に杏寿郎が腰を引き、また戻す。ゆっくり、ゆっくり繰り返す。単調とも、堅実とも言える動きが、一度止まったおかげで落ち着きをみせていた熱を緩やかに高めていく。
「……ちょっと、思い切り突いてみてくれないか」
「お断りします!」
 とんでもないことだ、という顔で――言った俺もそう思うが――杏寿郎は俺を見た。そこを何とかとは流石に言わん。そう意を込めて頷くと、杏寿郎はふっと懐かしむように目を緩めた。
「夜行で家に戻った朝、誰もいない道場に立たれる父上のお姿を見て、俺は安心しました。お変わりなくて何よりです」
「……声をかければいいだろう」
 いつのことだろうか。家を出てからというもの、杏寿郎は道場に寄り付かなくなった。剣をやめたのかと思っていたが、触れた手の感じだとそういう訳ではなさそうだ。心からの疑問だったが、杏寿郎は笑うだけで取り合わない。
「父上の息を乱すのは、容易ならざることと承知の上です。持久戦と行きましょうか」
 俄然やる気を出し、手首にかけていたゴム紐で、見慣れた形に髪を結い直す息子の姿に胸が高鳴る。若い頃ならときめきと考えることもできただろうが、この年になると不整脈かと不安になるだけだった。


「杏寿郎、お前……そこっ、ばかり……っ!」
「ですが、ここがお好きでしょう」
「うっ……ふっ……ッ…………うぅ……」
「俺も気持ちいいです。父上がずっと締め付けてくださっているので。お分かりになりますか? 最初は力を抜いていたのに、今はぎゅうっと」
「言うな!」
 時間が経てば経つほど消耗するのはお互い様だったが、若い杏寿郎は俺とは違い体力も気力もみなぎっている。勝ち目がないことなど最初から分かっていた。息が上がるだけでなく、杏寿郎が動きやすいようにと意識して抜いていた力を、上手く抜けなくなった。こうしたら気持ちいい、と覚えた体が、勝手に中を締め付けてしまう。そこを力ずくでこじ開けられるのがさらにいい。
「…………おっ、ぉお……ッ」
「変だなんてとんでもない。父上のお声は好ましいです」
「うぅ……!」
 首を振って否定を示すが、杏寿郎は意に介さない。声が自然と出るのを狙うように、見定めた部分に向けてトントンと軽い突きを重ねていく。浅い呼吸しかできなくなっている俺が酸欠にならないよう、注意深く注いでくる眼差しが、目をつぶっても焼き付けられたように頭から離れない。肌で感じている部分だけでなく、体の奥の、自分では触れたことのない場所まで、息子の肉体と熱で満たされている。
 杏寿郎の呼吸に耳を澄ます。その瞬間に訪れたのは、歩いていた水底が急に深くなったような、体の内からぶわりと恐怖感が広がるような感覚だった。
「っひ、」
 異変を察知した杏寿郎が俺の手を掴み、自分の首に回させる。陸地で溺れるはずがないことなど忘れて、俺は杏寿郎にしがみついた。
「ア、ぅあ、ッ」
「大丈夫です、俺がいます!」
「これ……っ」
 杏寿郎が、生じた切なさを埋めるように奥へと腰を押し付ける。拡散しそうになっていた意識が、腹の奥深い場所に集中する。チカチカと視界が白く瞬き、痙攣する体を抱き締められているのに、物足りないような気持ちが胸を占める。
「きょ、杏寿郎……っ」
「はい」
 手をずらして、杏寿郎の頬を挟む。真っ直ぐな目は、こんなときでも変わらずか。
「……動いてくれ。もっとほしい」
 まだイッていないからできるはずだ。熱いたぎりを誘い込むように、俺は腰を揺らした。みっちりと隙間なくはまった肉棒が、入り口と化した出口にこすれる。
 物足りなさの正体は口寂しさだ。このまま口づけて舌を吸いたい。我が子に対して抱くには、余りにみだりがわしい衝動だった。バレていないことを祈りながら、俺は杏寿郎の首を抱き直して目を伏せた。


   ◇


 頭がぼーっとする。まだ杏寿郎が中に入っている気がする。隣でしているはずのペットボトルのキャップを締める音が、やけに遠くで聞こえる。
 自分で蓋を開けられなかった時は驚いた。杏寿郎に開けてもらいながら、まさしく介護だなと思ったが、洒落にならないので言わなかった。
「シャワー先に浴びていいぞ」
「今浴びてもまた汗をかきますので」
「え?」
 寝転がったまま首を横に向けると、杏寿郎は事後の気だるさなど微塵も感じさせず、試合が終わったようなスッキリした顔で座っている。おかげで手にしたスポーツドリンクのボトルがいやに似合う。
 まだするのか? まだ終わらないのか?
 自分が言われたらショックで立ち直れないようなことを口走りそうになり、俺は口を噤んだ。心配しなくとも、散々喘いだせいか思うように声を出せないのだが。
「もう少し休みましょう」
 ひょいとベッドから降り、ペットボトルを二本、備え付けの冷蔵庫にしまう。持ち込んだのだと言うが、お前のその鞄、まさかコンドームの予備まで入っていまいな?
「子供の頃みたいですね」
「……ああ」
 杏寿郎は隣に横になり、掛け布団を腰の上まで引き上げる。期待した目をするものだから、重い体を引きずって寝返りを打ち、頭を撫でてやると、心地よさそうに目を細めた。


   ◇


「父上!?」
 杏寿郎が驚いている。今まで散々驚かされたんだ。いい気味だ。
「初めてするんだ。期待するなよ」
 また勃起していない杏寿郎の逸物をむずと掴んだ俺は、すっかり剥けている可愛げのない亀頭に口づけて、飴玉をねぶるように丸みを口に出し入れした。歯を当てないようにするというのは分かるが、実際やってみるとなかなか難しい。舌を押し付けながら、張り出した傘の下まで口に含み、残った部分を手でこする。息は苦しいし、変な味がするが、大きくなってくるのが分かるのは少しだけ気分がいい。
「ん、れるっ……むずかひぃな……」
 どうだ? と聞くつもりで目をやると、動揺しているどころか、ギラついた目で見下ろされていて身が竦んだ。
「あ、離さないでください! 申し訳ありません、興奮しすぎました!」
 陰茎を離しかけた手をそっと握られる。その力の優しさが、加減が利いた冷静さが逆に怖い。促すように頬に手を添えられて、俺は杏寿郎の顔と陰茎に視線を往復させてから、ひとまず口淫を再開する。
「んぐ……ふ……ぅ、じゅっ……」
「気持ちいいです、とても」
 頭を撫でられて嬉しくなり――息子相手におかしな話だ。セックスしている時点でおかしいが――もっと喜ばせてやりたくて奥へと飲み込む。
「うっ、う゛ぶ……ぐっ……ッ」
 予想できていたことだが、かなり苦しい。えずきながら喉で絞るようにすると、頭上で満足げな息が漏らされた。頭を撫でる手はそのまま、杏寿郎はベッドに手をつき、体を傾ける。俺からは見えないが、突き刺さるような視線にしゃぶっている顔を見られているのだと分かって、カッと頬が熱くなる。
 見ないでくれ、と思いながら頭を上下させて、口の中にあふれる自分の唾液だか杏寿郎の先走りだか分からない液体を飲み込む。涙から来る鼻水のせいで、息がまともに吸えない。
「……ぅあ、は、ゲホッ、ウッ、かはっ……すまん」
「とんでもない。ありがとうございます、父上。十分です」
 口から陰茎を吐き出し、咳き込みながら謝る俺の背を、杏寿郎は優しくさすった。どんな顔をしているのか、と恐る恐る見ると、いつもとほとんど変わらない笑顔がそこにあった。この子が俺にこういう欲を抱いたのはいつからなのだろう、と聞いてどうなるでもないことを今さら思う。
「……どうせなら出させてやりたかった」
「初回でしたら射精していました。耐えきったことを褒めていただきたい」
「誰が褒めるか」
 言いながら、すっかり尻を差し出す気で横になる自分に気づいて、俺は愕然とした。思わず杏寿郎の様子を窺うが、杏寿郎は何の疑念も抱いていない、まるで絵本を読んでもらうのを待つような顔で、俺が寝そべるのを待っている。親から与えられると信じて疑わないのは、真っ直ぐに育ったと喜ぶべきなのだろうか。
「……やりたい体位はあるか?」
 年だからあまり無茶なものはできないが、仮にも就職祝いなのだし、できる限り叶えてやりたい。俺は明後日あたりにくるだろう筋肉痛のことを考えながら、杏寿郎に質問した。


「おっ、ヒッ、無理だ、これはっあァ……ッ!」
 杏寿郎の膝上に抱き上げられた俺は、耐えきれずに杏寿郎にしがみついた。正確な身長を知らないが、最近では目線が並ぶようになっている。重いだろうとかバランスが悪いとか思っても、加減できる状態ではない。自重でずっぽりとハマりこんだ肉竿の存在感に慣れる前に、ゆさゆさと揺さぶられ、息子の腹に自分の陰茎を擦りつけながら、俺は声を絞り出した。
「だめだ杏寿郎っ! 少しっ、止まってくッ……、んんっ……!」
「そうはおっしゃいますが、気持ちよさそうにしていらっしゃる。もっと早くに試せばよかった!」
「りょ、両方が気持ちいい、のはっ……まずい……っ!」
「後のことは考えないでください! 帰りも俺が運転します!」
「~~~~ッ!」
 違うだろう! と声を荒らげたくなった。最近ご無沙汰ではあるが、これから瑠火とするときに、後ろへの刺激が欲しくなったらどうする。息子にそんな生々しい懸念など聞かせられず、俺は腹いせに丁度目についた耳を齧ってやった。
「父上!」
「痛かったか!?」
 バッと体を離され、まじまじと顔を見てくるものだから、俺はうろたえながら杏寿郎の耳に手をやった。歯形がつくほど強く噛んだつもりはないし、実際どうにもなっていないようだが、親が子をいたずらに傷つけるなどあってはならない。
「あまりお可愛らしいことをなさらないでください」
「ええ……」
 真顔で諭される。この手の困惑は今日だけで何度目になるか分からない。しかもその顔のまま俺の乳首をいじってくるのだから始末に悪い。これだけ密着していると誤魔化しようがなく、じわりと湧き出てくる快感に、俺はそわつく膝を押し留める。
「父上も触ってみられますか?」
「あ、ああ」
 杏寿郎の胸に手を伸ばすと、そうでなくて、と苦笑と共に手を胸元に押し戻される。
「ご自身のものをです。ずっと触って差し上げたいが、万に一つも父上を落としたくありません」
 俺の腰をしっかりと抱え直し、子供の頃から変わらない丸い瞳で見上げてくる。
「ご自分の気持ち良いように触ってくださればいいのですが、父上のことですからなさらないでしょう。俺の指示通りに手を動かしてください」
 海やプールに行く時に困るでしょうか、と言いながら、俺の乳首を触る瑠火のことを思い出す。海で困ることはなかったが、今困っている。久しぶりのことだというのに、思っていた以上に気持ちがいい。
「……それは嫌だ」
「なんと!」
「お前の教え方が上手いのは知っている。それをこんなところで発揮してほしくない。……まだ自分で触るほうがマシだ」
 指を引っ掛けるように下辺にずらして、そのままそろりと左右に撫でる。流石に今妻のことを考えるのはまずいだろう。腰の後ろにある、さっき触れたばかりの杏寿郎の手を思い描きながら、豆粒のようなしこりを刺激していく。心臓が高鳴るのはどちらかと言えば羞恥からだ。息子のためにも動いたほうがいい、と俺はベッドについた足に力を込め、杏寿郎の手のひらを頼りに、腰をゆっくりと揺すった。
「は……んっ……」
 くちゅくちゅと小さく音が鳴る。自分で調整しているおかげで緩やかな快感が、じわりと背筋を這い上がってくる。もどかしさを補うつもりで、乳首を親指で寝かせるように潰す。痛いほどに感じる視線の発信元に目を向けられず、目をそらしたままくるくると乳頭を撫でていると、杏寿郎の手が尾てい骨のくぼみに指を入れた。
「うんっ」
 意識がぐっと下半身に傾き、無意識に抜いていた力が後ろに入る。そのまま腰を揺さぶられて、先ほどより強い快感が、電気が流れたようにビリビリと体中に走る。
「うっ、ううぅ……っ!」
「もう少し指に力を込めてください。引っ張ってもいいです」
「そうしたら、気持ちよく、なりすぎるっ……!」
「それでいいんです。気持ちよくなってください。合図しましょうか? さん、に」
「カウントが早い!」
「ははは」
 言われた時にすればよかった、と軽く後悔しながら、意を決して乳首をきゅっと摘み上げるようにすると、ジンとした感覚が広がってくる。そのまま親指と人差し指を擦り合わせて、硬くしこった形を確かなものにしていく。まるで見せつけているようだ。そう思ったせいで止めそうになる手を、杏寿郎に何を言われたわけでもないのに動かす。自分の意思で恥ずかしいことをしている、その感覚に熱に浮かされたようになる。
「お上手です」
 杏寿郎が熱の籠もった息を吐く。満ち満ちた快楽を重ねて擦り込むような揺さぶりに、応えるべく俺も合わせて腰を揺する。体を倒しているおかげで丸見えになった自分の肉竿が、意味もないのに硬く張り詰めて涎を垂らしている。触りますか、と目顔で訊いてくる息子に首を振った。
「十分、気持ちいい……からっ、いい」
 目を輝かせる息子の顔を見て、満足感と、ざわめくような忌避感が胸に迫る。正常位で交わった時にあった予感だ。知らず逃がそうとしていた腰を、杏寿郎の両手ががしりと掴んで阻む。脈打った内側が、食むように杏寿郎のものを締める。
「きょう、じゅろう」
 俺は胸から手を離して杏寿郎の腕に触れた。熱く、若い、しなやかな筋肉だ。
「ご自分で達されますか。それとも、俺に任せてくださいますか」
「……お前に」
 ずるりとシーツを滑ったように感じた足が、そのまま宙に浮く。受け身を取る必要もなくそっと横たえられたベッドの上で、息子の頭を掻き抱く。息を吸おうとして開いた口を、唇で塞がれる。ねじ込まれる舌の熱さと唾液のぬるつきが、下半身を埋める肉棒の存在が霞むほどに、頭の中を満たしていく。俺は杏寿郎の吐息を吸いながら、もっと深くまで受け入れようと、伸び上がるように腰を押し付けた。


   ◇


 シャワーを浴びた今、ベッドの上は戻れるような状態ではなく、俺と杏寿郎は食事をするには柔らかすぎるソファに座り、黙々とカレーを口に運んでいた。ごろごろと形の残った人参とじゃがいも、油で揚げたとしか思えないサクサクのチキンカツ。ラブホテルの食事は食えるというだけ、という固定観念が覆される。最近はどこもこうなのだろうか。
「……俺は明日、家を出ます」
 俺のカツを半分やったのに、早々とカレーを食べ終えた杏寿郎は、二皿目に手を伸ばした。アリバイ作りのように観始めた映画は、爆破テロを防ぐために八分間を繰り返す主人公が、現実世界の自分の消息を知ったところだった。
「瑠火は知っているのか?」
「はい。千寿郎にも言ってあります。……驚かれないんですね」
「お前は後輩にやったと言うが、これからうちに住むにしては荷物が少なすぎる。それで今日のこれだ、気づかない方がおかしいだろう。それとも察しが悪い方がよかったか? 車を買うなら車庫の拡張工事をしても構わんぞ?」
「本当に譲った物もありますよ。……母上にはご自身の車の買い替えを提案されました。買い物にしか使わないから、俺の好みに合わせて買えばいいと。……俺はお二人の思考の似たところが好きです」
 リビングのテーブルに置かれていた、趣味に走った車のカタログを思い出す。千寿郎も大きくなったし、家族で出かけるなら俺の車を使えばいいし、と思っていたが、そういうことか。
「……大学は、それが理由か?」
「流石にそれだけではありません。しかし遠い方を選んだのは……あなたが理由です。離れれば、変わると思った」
 自由参加だし道場があるから、と部活動に入らなかった割に、アルバイトだ、助っ人だ、とあまり家にいない高校時代だった。記入を済ませた願書を差し出し、ご負担はおかけしません、と言って頭を下げられた時、下宿する費用を稼ぐためだったのかと腑に落ちた――つもりでいた。費用は出すに決まっているだろう、と言った俺こそ何も分かっていなかった。
 俺は水を飲んで、ため息を紛らせた。
「お前は本当に瑠火にそっくりだ。我慢強すぎる」
「光栄です。好きな人まで似てしまいました」
「……俺は果報者だな」
 食べている最中だが構うまい。肩を抱き寄せると、杏寿郎はことりと皿を置いた。一瞬の躊躇いの後、かじりつくように抱きつかれ、首筋に熱いほどの体温が擦り寄せられる。もう抱き上げることは叶わないだろう重みを感じながら、俺は杏寿郎の頭を撫でた。俺にはうるさく言ったくせに、自分の髪はちゃんと乾かしていないではないか。
「いつでも帰ってきなさい。……俺に会わなくてもいいから」
 道場の休みは変えないようにしよう。
 心音の他には感情を漏らさないよう、俺はゆっくりと息を吸った。

投稿日:2021年4月11日
珍しくイメソンがありましてPeter Bradley Adamsの「My Arms Were Always Around You」です。Spotifyで適当に流している時に流れてきて、断片的に聞き取った歌詞を調べたらこれはいけそうだぞ、と。杏槇にはノスタルジーみたいなものを重ねたいです。