生前に杏寿郎×槇寿郎の肉体関係があった前提の話で、槇寿郎が張り型を作っていることが宇髄にバレます。宇髄とのカップリング要素はありません。

孤閨滑稽

 自分の道を見つけたい。そう言って少し遠い中学校への進学を決めた千寿郎は、お館様から紹介された寄宿先に身を寄せていて、週末にしか帰ってこない。日輪刀を必要としない長閑な暮らしの中で浮かんでくる思い出は、往時のように酒に逃げたくなるような辛さこそなかったが、広い家で一人抱えているには少々堪えた。
 有り体に言えば、生前の杏寿郎が千寿郎がいない隙を見つけては情交を求めてきていたせいで、千寿郎の不在すなわち交合という式が完成してしまい、一人家に残された槇寿郎は尻穴の疼きに悩まされていた。
 鬼舞辻無惨を倒すという目的があった時こそ紛れていたが、あらかたの事後処理を終え、ポンと時間が空いてしまうともう駄目だった。日々の排便で多少の慰めは得られるものの、往路のみでは喪失感が増す一方。心に空いた穴を塞ぎたい。その一念が、日輪刀以外の刃物をろくに握ったことがなかった槇寿郎を、張形作りへと駆り立てた。
 息子が死んだ話をしたせいで、材木屋は仏像を彫ると思っていたが、槇寿郎は常識を備えていたので訂正はしなかった。嫌だ嫌だと言うばかりできちんと向き合わなかったことを悔やみながら、記憶を頼りに息子の息子を木から彫り出していく。杏は幹が太くならないために木材としては流通しないと言われ、柔らかくて初心者にも扱いやすいからと薦められた檜は妥協した末の選択だったが、怪我と失敗を繰り返し、多くの時間を費やしていると、特有の香りにすら愛着が湧いてくる。研磨し仕上げの油を染み込ませる頃になると、匂いを嗅ぐだけでたまらない気持ちになるようになっていた。
 杏寿郎の逸物は、目よりも手よりも尻が一番知っている。出来栄えを真に確かめるには尻穴に挿れるしかあるまい――と、そのために作ったくせにまるで不可抗力であるような御託を並べながら、槇寿郎は久しく開けていなかった手文庫から潤滑剤を取り出した。
 息子に任せきりで口にしたことがなかった薄紙を口に含み、この先起きうる障害を考える。今日の夕飯は作り置きの煮物と干物に火を入れて、飯を蒸かして温め食うことになっているから、女中も誰も家にいない。千寿郎もとっくに寄宿先に戻っている頃で、鬼がいない世ではそうそう凶事は起きないだろう。元から訪ねる者のない家だ。まず邪魔は入らない。
 袴と下帯を取り払って膝をつき、はやる気持ちを押さえながら、槇寿郎は潤滑剤のぬめりを纏わせた指を後孔に差し入れた。杏寿郎が温かいと言っていた中は確かに温かかったが、自分で触れても虚しくなるばかりだ。
 父と呼び、応えがないのを分かっていながら、あれこれと尋ねる声を思い出す。
 ――父上、痛みはありませんか。こちらを向いてくださいませんか。とても気持ちいいです、俺ばかり申し訳ありません。もう少しおそばにいてもいいですか。
 考えない日はないというのに、日に日に思い出せなくなっていくのが恐ろしい。
「……気持ちいい」
 額を畳につけて腰を上げ、指を増やしながら、一度も言わなかった言葉を声に出す。その一言で、今の今まで違和感しかなかったところが、にわかに熱を帯びた。自分に言い聞かせるように、気持ちいいと繰り返し呟いているうちに、ぶらりと下を向いている前の物も、心なしか力を持ったような気がした。
「杏寿郎……」
 晒の上に寝かせた張形に、産着を着せられた赤子の頃を思い出す。あとは大きくなるのを見るだけだったはずなのに、小さな骨壺に収まるところを見てしまった。
 槇寿郎は張形を手に取り、己の手で磨き上げた美しい木目に唇を寄せた。香るのは檜の芳しさであって、頭の芯を痺れさせる男の匂いではなかったが、それも杏寿郎の匂いと認識するようになった槇寿郎には関係ない。目を閉じて、仕上げに使った油を吸い出すような気持ちで舌を這わせる。
「……父が温めてやろうな」
 夕冷えの空気の中では人肌程度にも温もらず、思い出にある灼熱とは程遠い。取るべき姿勢にしばらく迷ってから、槇寿郎は身を伏せ後ろ手に張形を押し付けた。ほぐれた穴に先端を含ませるだけで、内側が期待で疼くのを感じる。
 本当なら、最初の交合の日に、緊張から手を冷え切らせていた杏寿郎に言ってやらなければならなかったことだ。いや、それ以前に、もっと早くに息子として手を取っていれば、交わることになどならなかった。あの子が必要としていた情はそんなものではなかったはずだ。道を踏み外させた原因は己にある。
 泣きたくなるような切なさは、果たしてこれで埋まるのだろうか。
 生じた迷いをあえて無視して、槇寿郎は張形を一思いに突き入れた。
「……っ」
 違う、というのが最初の所感だった。太さに相違はないが、しなりのない、彫るには柔らかくとも人体と比べると硬い材質は、槇寿郎の肉筒に馴染みきらずに異物であることを主張する。それでも久方ぶりに得られた質量に飢えが満たされていくのもまた事実。槇寿郎は異物を排出しようという腸壁の蠕きに逆らって張形を押さえ、もう一度、息子の声を思い出そうと試みる。
 記憶からではなく現実に、来訪を告げる声を聞いたのはその時だった。


   ◇


「旦那、具合が悪いんじゃねぇのか」
 まじまじと顔を見てくる宇髄から、槇寿郎は目をそらした。今まで散々寝巻に裸足で人前に出ていたというのに、慌ててつけた袴の下に褌を締めていないというだけで異様に心許ない。
「大丈夫だ。少しうとうとしていてな」
「へぇ、珍しい」
 これで顔に跡がついていてもごまかせるだろう。近いとは言えない距離を訪ねてきた客人を追い返すわけにもいかず、槇寿郎は宇髄に家に上がるよう勧めたが、本心としては門前で引き取ってもらいたかった。何せついさっきまで尻に息子の魔羅を模した張形を入れていたのだ。剥き出しで部屋に転がしてある不安はもちろん、得られるはずだった快楽がお預けになっていることが何より辛い。張形については自室が散らかっているからと別室に通せば隠せるだろうが、この状態で息子の思い出話でもされたら、目も当てられないことになる可能性があった。
「まだ眠いんだろ、目がぼーっとしてるぜ。俺はここで帰るから寝直しな。これ、うちに泊まりに来た炭治郎が持ってきた炭。上手く焼けたとっておきだってよ。そのうち旦那のとこにも来るかも知れないけど、いいもんだから貰ってくれや」
 宇髄家から煉獄家への道のりはそれだけの用で立ち寄るような距離ではないが、元忍ともなれば苦にならないのかもしれない。それかやもめ暮らしの初老への気遣いか。促されて見た黒炭は、平時に使うのが惜しいような美しい菊炭だった。代々炭焼きを生業にしてきたのだと言っていた、成したことの偉大さを決して驕らなかった少年の顔を思い浮かべる。一日に満たない交流だったろうに、煉獄さんに、煉獄さんが、と聞かせてくれた話はどこまでも温かだった。
「旦那?」
「はっ」
 肩を掴まれて見上げると、宇髄は心底心配だという顔をしていた。
「急に来たのは悪かったけどよ、来てよかったわ。やっぱり具合悪いんだろ」
 失礼しますよ、と娘を抱えるようにひょいと横抱きに持ち上げられて、槇寿郎は手土産を抱き締めながら目を白黒させた。
「何をする!」
「落としちまうから暴れんなよ」
 玄関の敷居を腰を落として跨ぎ、抱えた槇寿郎の体を三和土の上で揺すって庭下駄を落とさせる。ひとりでに閉まったように見えた格子戸は足で閉めたのか。好き勝手な方向に散らばった庭下駄を見ながら、開いたままの門扉から家の内が見通される心配がないことにひとまずホッとした槇寿郎は、宇髄が自分の部屋の位置を知っていることを思い出した。
「待ってくれ宇髄!」
「はいはい、旦那を寝かせたら帰りますよ。塀越えて出るから戸締まりは任せとけって」
 部屋には張形だけでなく潤滑剤まで出しっぱなしになっている。脱いだ褌もだ。自分の恥だけで済めばいいが、ただでさえ肩身の狭い思いをさせていた杏寿郎や千寿郎が、こんな父親の息子と見られるのは可哀想だ。
「宇髄、後生だから止まってくれ、頼む」
 無理やり降りようとして落とされるのは構わなかったが、元々自分は人が持ち上げるような大きさではない。平衡を崩して宇髄に怪我をさせるわけにはいかなかった。抱えられる、揺さぶられる、話を聞いてもらえないという一連に、杏寿郎との閨事を連想したまずさも手伝って、思ったより切羽詰まった声が出た。
「何だよ旦那、遠慮せずに頼ってくれりゃいいのに」
 勝手知ったる何とやらでずんずん進んでいた宇髄はぴたりと止まり、槇寿郎の顔を見る。そして、唇に動きを見せないまま「はいなら二回、いいえなら三回瞬きしてくれ」と、間近にいる槇寿郎ですら聞き逃しそうなほど低めた声で続けた。
「千寿郎が出てるんなら今家に一人なんだろ?」
 今度は普通の声で聞く。知っているはずのことを改めて聞かれる意味が分からず、槇寿郎は宇髄と見つめ合う。絞った声でもう一度「他に誰かいるか」と尋ねられ、槇寿郎は「一人だ。女中も今日は帰ったから」と口に出して答えた。粥くらい作ってやるよ、と言った次に陰で聞かれたのは「一人で片付く面倒か」の一言。常と変わらないように見える表情の奥底に流れる緊迫感に、槇寿郎はやっと何を気に掛けられているのかに気がついた。
「違うんだ、宇髄。賊の類はいない」
 平和ぼけにも程がある。察しが悪いばかりに、息子の友人に、かつての同僚に、馬鹿げたことをさせてしまった。有事の空気に触れたおかげで落ち着いた槇寿郎は、はっきりとした声で下ろすよう頼んだ。板張りの廊下を踏みしめ、釈然としない様子の宇髄を見上げる。
「君の耳に捉えられないような腕利きが、長く続いているだけのうちに押し入るようなら世も末だ。……自慰にふけろうとしたところで君が訪ねてきてな、気が動転した」
「……それ本当か?」
「本当だ。恥ずかしいからもう言わせないでくれ」
 念のため二回瞬いて、それから槇寿郎は首を傾げた。
「誰かいると思うなら、もっと艶っぽい事態を想像してくれてもいいだろう」
「旦那はそういう質じゃないだろ。二夫に見えずってやつ」
 例えが悪いと抗議したかったが、再婚しなかったのは本当なのだから仕方がない。杏寿郎の件をどう勘定したものかと考えると頭が痛かった。息子たちに辛く当たったこともだが、こうなったことは妻に釈明のしようがない。先に瑠火に会っているだろう杏寿郎が、自分が悪いなどと言っていないよう祈るばかりだ。
「茶を淹れるから飲んで帰ってくれ。茶請けは漬物くらいしかないが、せっかくだから竈門くんの炭を使わせてもらおうか」
 玄関近くの客間なら、いつでも使えるようになっている。すっかり調子を取り戻した槇寿郎は、宇髄に来た道を戻るよう促した。
「宇髄?」
 誰もいないと言ったのに、視線を奥に向けたまま動かない宇髄をもう一度呼ぶ。
「てことは今、部屋に枕絵が広げてあるから入れたくないってことか?」
「……ならんぞ」
「分かってるって。そんな警戒しないでくれよ。でも旦那、次からそういう時は律儀に出ないで居留守使いな。来たのが炭治郎だったらどうしてたよ」
「……うむ。すまない、君でも言うべきではなかった」
「いいって。煉獄への土産話も増えたしな。……ま、でも今日はこのまま帰るわ。詳しく聞きたくなっちまう」
 槇寿郎を追い越して、宇髄は廊下を玄関に向かって戻り始めた。
「こんな年寄りの事情を知ってどうする」
「今言ったろ、煉獄への土産話だって」


   ◇


「大丈夫、誰にも言わないって」
 鉄瓶を火鉢に戻し、湯呑に注いだ湯をひょいひょいと急須に空ける。炭治郎の炭は別のときに使えと言われて包みのままだ。客に火を起こさせて茶を淹れさせる無作法も、若輩者ですんで、と鬼殺隊が解散した今となっては何の意味も持たない理由でいなされた。
「いつから気づいていた」
「確証を得たのはさっきだぜ。候補に挙げたのは……いや、人妻かとは思ったが、あんたとは思わなかったな。あいつ実家くらいしか決まった行き先がないし、千寿郎って線は考えたんだが」
 ことりと置かれた湯呑に目を落とし、槇寿郎はまんまと鎌に掛かった自分の迂闊さを呪った。言えたものではないだろうと思っていた。実際に、杏寿郎は言っていなかった。文字通り墓まで持って行った秘密を白日の下に晒したのは己の過失だった。
「旦那んちの茶うまいよな」
「……茶葉を持って帰るか?」
「いや、いい。……親ってみんなそうなのか? 甘露寺が家に帰ったとき、市場が引っ越してきたのかってくらい土産を持たされてたぜ」
 宇髄は機嫌のいい顔で笑ったが、槇寿郎には親というものが皆そうだとは答えられなかった。杏寿郎に土産を持たせるどころか、出迎えたことも、見送ったこともない。逆縁の葬式の慣習と言えばそれまでだが、火葬場にすら千寿郎一人を行かせた。
「そう深刻になりなさんな。そりゃあ驚いたけどさ、俺はあいつの恋が成就してたって知って嬉しいだけで、他にどうこう言う気はねぇよ」
「恋だと?」
 今日だけで何度驚いたか分からない。宇髄はそこを聞き返されるとは思っていなかったとばかりに、驚きを顔に浮かべた。
「違うのか?」
「違うというか、なんだそれは」
「煉獄が道ならぬ恋だって言ってたんだよ。全然浮いた話がないから聞いたら、好いた人はいるけど無理だろうって。それでちゃっかり手まで出してるんだから隅に置けねぇ」
「……あれは、恋ではないだろう」
 杏寿郎から向けられていたものは、世間の口の端に上る恋愛というものではなかった。失った幸福をなぞるような、母が恋しいと泣く子のような。槇寿郎に手を伸ばしながら、もっとどうしようもないものを求めていた。
 槇寿郎は眉をひそめる。
 妻を亡くした日、母を亡くした杏寿郎がどうしていたのか思い出せない。
「それにしても旦那、大きさの割に持ちやすいよな。軽く感じる」
「……癸壬あたりはさておき、隊士は大体そうだろう」
「いやいや俺の頃になると全然だったって。しがみついてくる堅気の人間は仕方ないにしても、腰が抜けた隊士は邪魔にしかならねぇ」
 顔が暗くなったのを察してか、宇髄は急な話題を振ってきた。軽薄さを感じる口ぶりとは裏腹によく気が回る。現実の初対面は柱合会議だったが、息子から友人として紹介されていたらどんなによかっただろう。父親として何もしてやれなかったのに、杏寿郎は色々なものを遺していった。
「煉獄が生きてりゃな……」
 あぐらを組んだ膝の上に肘をつき、宇髄は頬杖をついた。うん、と頷いて、槇寿郎はやっと湯呑を手に取った。
「俺の女房も全員呼んで、表裏合わせて九十六手、パーッとド派手に遊べたのにな」

投稿日:2021年3月22日