芽吹かずの実

 家事に不案内とはいえ、あれだけ母を愛していた父が、家を病床の妻が采配を振らなければ回らないような状態にしていたとは思えない。また、自分が着る経帷子を手ずから仕立てていた母が、死んだ後の家族の生活を気にかけていなかったとも思えない。現に母の病が篤くなり、声すら聞けない日が続いていた時も、寂しいという以外、暮らしに変化はなかった。
 父に暇を出され、家を去る女中に尋ねて教えられた、「取り仕切れる方がいらっしゃらないから、慣れた方を頼むことにしたそうですよ」という理由が偽りであったことは、その後に誰が来ることもなく、家が荒れ放題になったことからして明らかだった。

 ――瑠火以外の女に、我が物顔で家を歩かれるのは我慢ならない。

 諍いに怯える千寿郎を胸に抱き寄せ、頭を包むようにして耳を塞いでやっていた杏寿郎は、槇寿郎の怒鳴り声からその言葉を拾った時、女中の解雇の真相を知ったと思った。
 後添いの話を持ち込んだ遠縁の親戚は、槇寿郎の取った態度が腹に据えかねたらしい。ほうほうの体で煉獄家の門を出た途端、槇寿郎に対する文句に始まり、見送りに出た杏寿郎のことまであれこれとあげつらった。
 あたりを憚らずに撒き散らされる悪言が、近隣の平穏を損ねていないかは気になったが、鬼の言動に比べれば取るに足らない戯言だ。杏寿郎は千寿郎を来させなくて良かったと思いながら、走り出すことのできない気の毒な車夫に余分な金を握らせる。密かに抱いていた疑問が解消されて、爽やかな気分だった。

「父上、お客様は無事お帰りになりました」
「どうでもいい。あんなやつらを思い出させるな、不愉快だ」
「失礼しました」

 文机に肘をつき、広げた本のページを興味もなさそうにめくる。このところよく見る槇寿郎の姿だ。本を読む人だという覚えはこうなる以前よりあったから、鬼殺隊に入って初めて給金を得た時、千寿郎を誘って本屋に行ったが、迷った末に千寿郎の物だけを買って店を出た。本の好みよりも分からないというのに買った酒は、こんなもの、と言われてそれきり見ていない。

「……まだ何かあるのか?」
「いいえ」

 睨むように向けられた目に、頭を下げて障子を閉める。母の存命時には招き入れてもらえたものだが、近頃そういう機会はない。あの頃は本当に用などなく、任務で家にいないことの多い父親にただ構ってほしいだけだった。今は何か、剣の稽古をつけてほしいという擦り切れた願い以外の用事があるような気がする。しかし、胸につかえて言葉が出てこない。
 部屋を後にしてもなお消えない感覚に、杏寿郎は首をひねった。


   ◇


 重い両脚を抱え上げ、柔らかく熟れた内側に、欲で膨れ上がった自身を抜き挿しする。人体の仕組みかそれとも体質か、最初は苦痛であったものでも、慣れれば快楽と認識するようになるらしい。前回試みに歯を立ててみた肩口には、今もまだ噛み跡が残っている。痛みに強い槇寿郎のことだから、最初は息も漏らさなかったが、引退したというのに張りのある太腿を押し分け、自身を押し込みながら噛み続けると、甘い、と感じられるような声で喉を震わせた。その時の中の具合があまりにも悦く、耐えきれずに腹奥で射精したために始末に難儀したが、男の本能か人の体内に精を残す満足感は忘れがたく、いつかまた、と杏寿郎は思っている。
 勝手にしろと言われた通りに自分の快楽のみを追う途中、あらぬ方向を見ていた槇寿郎がウッと息を詰まらせたものだから、内臓だというのに遠慮なく扱いすぎたかと反省して腰を引くと、投げ出すように横たわった体がびくんと跳ねた。
 回数を重ねたおかげで、槇寿郎の反応が苦痛であるか悦楽であるかは分かるようになってきた。今回はどこか好ましいところに当たったらしい。
 このあたりか、と思われる位置の手前で杏寿郎は腰を止めた。息子の非道に知らぬふりを決め込む槇寿郎が、杏寿郎に与えられた熱に瞳を蕩かす瞬間は今までにもあった。目の前の本人と記憶にある姿との相乗効果で、動かなくても性感は高まっていく。杏寿郎はうるさいほどの自分の心音を聞きながら、槇寿郎を見下ろした。

「耐え難いようでしたら言ってください」

 危機感か、それとも父が己を見ているという嬉しさか、弓を引き絞るような視線を受けて心臓が弾む。すぐに逸らされた目に名残惜しさを覚えながら、頭を持ち上げ始めている槇寿郎の陰茎の付け根の裏側あたりに当たるよう、意識して腰を動かす。強くなりすぎないよう努めてゆっくりと、相も変わらず渋い顔をした槇寿郎の様子を窺いながら、温かなぬかるみに突き込んでしまいたい衝動に抗って、短い間隔で往復させる。

「…………」
「…………っ……」

 お互いに黙りこくっているものだから、先に含ませた潤滑剤が立てる粘ついた音だけが聞こえる。くちくち、ぬちぬち、という音を聞きながら、杏寿郎は分かりやすい指標である陰茎を確認する。さっきよりも充血した、過去には母の中を満たしていた太い幹。大きさも色も自分とは違うそれは、威厳が備わっているような気すらする。

「……」

 少しくらい構わないだろう。杏寿郎はまどろみに身を委ねるように、自らの物をゆっくりと深くまで埋め込んだ。槇寿郎が吐き出す息を聞いてから、もう一度手前に引き出して、浅いところに腰を擦り付ける。槇寿郎の逸物が萎えないことを確かめて、もう一度。動きのコツを掴み始めた何度目かで、槇寿郎の腰が逃げるようにずり上がった。

「父上」
「……ッ、……!」

 その腰を掴んで引き寄せる。拒むように力の入った菊門が、陰茎を食い締めたことに驚いてまた弛緩する。混乱しているのか、うねうねと波打った腸壁を掻き分けて一往復し、さっきまでしていたように浅いところで揺さぶると、今度は杏寿郎の肉茎をより深くに求めるように槇寿郎の腰が持ち上がる。
 裏切られたような顔でまばたく槇寿郎の顔を見て、杏寿郎は槇寿郎の腰が浮いたままになるように脚を持ち直し、奥深くに届くよう自身を押し込んだ。しっとりとした温かさに包み込まれ、下生えの先に蒸れた熱を感じる。

「ぐぅ、ぅ……ッ!」
「もう少しご辛抱を……!」

 絡み付いてくる粘膜を引き剥がすように腰を引き、狭まった肉壁を押し分けて突き入れる。自分の先走りか、それとも他の粘液なのか、心地よい滑りに助けられて動くたびに、先ほどまでよりも大きい、ぐちゅぐちゅという粘質な水音が立つ。熱く柔らかい、蕩けるような内側を肉竿で掻き回していると、自分の頭の中も一緒に掻き回しているような、それ以外を考えられなくなる強い快感が駆け上ってくる。今になって見た槇寿郎の陽根が、しっかりと立ち上がり、先端からとろりと透明な露をこぼしているのを見て、杏寿郎は喜びを胸にあふれさせた。

「父上……俺も気持ちいいです……!」

 頭を抱えるようにして顔を覆った槇寿郎が首を振り、息継ぎの合間に小さな嗚咽を漏らす。そのくせ媚びるように纏わりついてくる柔肉が、杏寿郎の分身を射精に導こうと揉み込んでくる。顔を隠す手を腕ずくで取り払いたいと思ったが、嫌がることをすべきではない、と杏寿郎は踏みとどまった。

「父上、どうぞ先に」

 他界した母への遠慮から、毎度あまり触らないようにしている槇寿郎の陽物に手を添え、涙のようにこぼれる先走りを掬って塗り伸ばし、自分を慰めるときよりも丁寧にしごいていく。痙攣の間隔が短くなっていく中をなだめるように腰を振ると、呻き声の合間に漏らされる色めいた吐息が、限界まで張り詰めた理性の糸を炙ってくる。

「……きょうじゅ、ろ」
「はい!」

 最中、滅多なことでは息子の名前を口にしない槇寿郎に名を呼ばれ、杏寿郎ははっと顔を上げた。酒ではない熱に胸元まで赤く染めて、それでも顔を隠すことをやめないまま、槇寿郎は小さな声で言った。

「中には、出すな」
「……分かりました」

 内側がビクビクと震え、別れ際の抱擁をするようにギュウッと強く締め上げたのを最後に、槇寿郎の体からどっと力が抜ける。最後の締め付けでの射精を堪えた杏寿郎は、槇寿郎の体から己を抜き出すと、父親の精液に重ねるように自分の種を散らした。


   ◇


「父上に後妻の話があったことを覚えているか?」

 えんどう豆のさやを剥きながら、杏寿郎は千寿郎に尋ねた。驚き混じりに「え?」と言った千寿郎は、帳面を付ける手を止めて首をひねる。杏寿郎は青い豆をコロコロとざるに入れてさやを放り、新しいものを手に取った。

「……いえ、思い出せません」
「まだ小さかったからな」

 構わん、と杏寿郎は笑った。
 声を荒らげるような人ではなかったから、父の怒声を聞いたのはあれが初めてだった。指導に熱が入った時の声とは全く違う、人に対する悪感情を露わにした槇寿郎の声は、鬼殺隊としての働きに慣れてきていた杏寿郎にとっても恐ろしいものだった。千寿郎が覚えていないと言うのなら、耳を塞いだ甲斐があったというものだ。

「見て分かる通り父上はお断りになった。その時に紹介される予定だったのは母上の縁戚だったと聞いている」
「……それでしたら、きっと良い方だったのでしょうね」
「さあ。それは今となっては分からんが、父上が突っぱねられた気持ちは分かる気がする。何も母上の代わりがほしいのではないのだ。……千寿郎は母がほしかったか?」
「どんなだろうと思ったことはありますが、兄上がいらっしゃるので十分です」
「なんと! 面映いな!」

 あれほどに怒ったのがその一件というだけで、杏寿郎は以前以後に同様の話があったかを知らない。自分が鬼殺隊に入ったのと同時期に、母の死後に絶えていた来訪者が増えた覚えはある。まだ父も鬼殺隊に籍を置いていたから、事前に約束があろうと取り次ぐことすらできない日もあったが、そのどれもが父曰く「くだらない用件」だった。

「俺も千寿郎と父上がいれば十分だ」

 家族の枠組みが変わる日がいつか来るのだろうが、今ではない。それで十分だった。
 日差しに温められた部屋の中には青い匂いが漂っている。杏寿郎はパキリとさやを割って豆を取り出し、新聞紙一面に裾野を広げるさやの山をまた一つ高くした。

投稿日:2021年3月28日