水入らず

 藪入りでも何でもない時期に、女中が里に帰ったことがあったでしょう。身内の慶事か弔事か、はたまた本人に何かあったのか、理由は覚えていません。そも、子供だった俺は事情を聞かされていなかったやもしれません。

 他にも人はいましたし、俺の手も足しになりますから、風呂を沸かすのが面倒だったわけではないでしょうが、父上はその間、湯屋に行こうと言われました。俺の記憶にある限り、あれが初めての湯屋でした。

 人の少ない時間帯を見計らったこともあり、客はいても一人二人。時には誰もいないことすらありました。広い湯船と父上を独り占めできる、あんな贅沢が他にありましょうか。父上に背中を洗っていただきながら、一人女湯に入られている母上に申し訳なく思ったくらいです。

 湯の中で座るには背丈が足りないからと、父上は俺を膝に乗せてくださいましたね。日頃そういったことをなさらないので、気恥ずかしいながらも嬉しくありました。そっと置いた湯桶の音すら響く中で、常より低められた父上の声が耳に心地よく、湯に浸かりながら眠りそうになったことを覚えております。

 広い風呂というのは良いものです。お館様からいただいた屋敷にも風呂はありますが、俺は今でもたまに人を誘います。先の戦争や、御一新の頃のものだろう傷跡を持つ方をお見かけすることは間間ありますが、我らの傷はいつも新しい。俺も父上に倣って、人の少ない時間に行くようにしています。

 父上は湯屋では毎度、長湯されていたことを覚えておいででしょうか。一人前とは言わないまでも、俺は面倒のかかる歳ではなく、やることも内風呂と変わりないはずなのに、万事迅速にこなされる父上が、湯屋に限っては反転したようにのんびり屋になる。俺は不思議でした。考えても答えが出ないのでお尋ねしたら、父上は「その方が母上がゆっくりできるだろう」と答えられました。

 母上はいっとう手際の良い人でしたし、女人の身支度が男よりも時を要するなど、その時の俺は今以上に分かっておりません。理解できずにいる俺に、父上はいつもと違った顔で「お前も好いた女ができれば分かる」と笑いました。

 今にして思えば、あれは父上の男としての顔だったのでしょう。気づいたのは先日宇髄と話していたときです。宇髄天元――俺が炎柱になる以前から柱だったので、父上もご存知かもしれません。なんと妻が三人もいるのです。彼も時たまそういう顔をします。自分は年長なのだと主張する、それでいて悪童のような顔を。俺は父上の父親としての顔も、師の顔も、母上に見せる夫の顔も知っております。共に戦うことは叶いませんでしたが、鬼に対峙するときの顔もまたあるのでしょう。人は一面のみを有するのではない。

 おや、どうされましたか、父上。その顔は覚えておられるお顔ですね。それとも思い出されたのでしょうか。数少ない母上の思い出ですから、共有できてよかった。――いいえ、やめません。またとない機会です。杏寿郎の話に今しばらくお付き合いください。

 さて、当時の俺はそんなことは思いもせず、父上の言葉にただ驚いておりました。驚きのままに「父上は母上がお好きなのですか」と言ったときの父上の慌てようは、非番の夜半に鎹鴉に喚ばれても動じない御仁と同一人物とは思えないもので、俺も余程まずいことを言うたのかとうろたえました。

 風呂というのは音が響きやすい。俺が言ったことは元より、大声で言うやつがあるかと叱る父上の声も響いて、女湯の方から華やいだ声が上がりました。母上の声はありませんでしたが、居合わせたご婦人方が盛り上がったのでしょう。少ないながら男湯の客の視線も集まって、父上は居たたまれない思いをされたことと思います。それでも決めた数を数え終わるまで、湯に浸かり続けたのは流石でした。

 湯から上がって支度を済ませ、外暖簾をくぐってほどなくして、母上も表に出ておいでになりました。湯浴みの後ですし髪は結い上げておられたと思うのですが、晩年は下ろされていることが多かったので、その印象が強くあり、よく思い出せません。

 聞こえていたのか、いないのか。父上のお考えが真に分かったと思うたことは、後にも先にもあれきりです。父上のそばにいらした母上が、いつものように「お待たせしました」とご挨拶なさり、父上が「いま来たところだ」とお返しになる。わずかながら硬さのあった空気がほどけました。さあ帰ろうと我が家の方を向く父上に、俺が続こうとする。母上が俺の名を呼んだのはその時でした。足を止め、どうかなさったのかと仰ぎ見る俺に、母上はおっしゃいました。

 「私も父上のことを好いておりますよ」と。

 俺はすっかり参ってしまいました。理由はとんと分からぬのに、火が出たように顔が熱い。助けが欲しくて父上を見れば、今になってのぼせたのかと思うような茹で蛸状態。一方母上は満ち足りた顔をなさっておいでで、俺は混乱するばかりでした。

 千寿郎が生まれたのはその十月後です。サゲをつけたのではありません。話しているうちに道すがら見た甘味の幟を思い出し、数えてみたらこういった結果になったのです。先に話した宇髄など、俺をつまらない男だと言いますが、これは一種の艶話と言えるのではないでしょうか。

 俺はもうすぐ二十歳になります。炎の呼吸を修め、柱にまでなりましたが、あの日に父上が言われたことは分からぬままです。好いた女子ができない俺は、上背が父上に追いつかぬのと同じように、まだ子供なのでしょうか。

 お許しください。どうか拒まないでいただきたい。父上に触れるのは本当に久しぶりです。鬼狩りを辞めてからのほうが健康的な肌色になるとは皮肉なものですね。手のひらは柔くなられましたが、やはりまだ俺よりも大きい。懐かしいです。俺はずっと父上を――いえ、それは言いますまい。その言葉は、俺にとって特別なのです。

 父上、俺は男になりたいのです。丁度蒲団も敷いてあります。相伝の型をあなたから教われなかったことを、俺は今でも惜しいと思うております。この身以外に何か、あなたから受け継いだものがほしいのです。

 俺の願いを叶えてはくださいませんか。

投稿日:2021年1月24日