インターバル
「――よし」
「よしじゃない」
刀身を鞘に収めたところで、まるで合いの手のように投げつけられた文句。床にあぐらをかいて作業していたシライは、シライがいる位置よりも奥側、部屋が地下でなければ窓際になる場所で、デスクに向かっているゴローに目をやった。
庁舎らしく色も間隔も均一な天井灯に照らされていてもなお、紫檀色をした机は重厚感にあふれている。机も椅子もお上からの支給品で、威容の演出を重視するばかりに座り心地はさしてよろしくないらしい。ゴローはスクールデスクに座らせたって威厳を失わないのだから、眠ってしまいそうなくらい居心地のいい、例えば揺り椅子にでも座らせてやればいいのに、とシライは思っている。その方が能率も上がるというものだ。
「助かった。ここが一番人が来ねぇからな。真剣作業は黙ってやるに限る」
ゴローの声にはかけらの笑いも含まれていなかったが、シライが刀の手入れをする間、止めさせも追い出しもせず自由にさせていたのだ。呆れている可能性はあっても、怒っているはずがない。悪びれず礼を言ったシライの読みを裏付けるように、ゴローの表情は変わらなかった。
任務が終わってから、珍しく十二時間もの休みが与えられた。十分な睡眠と、まともな食事がゆっくり取れる長さだ。
まとまった時間ができればやろうと思っていた雑事と、どれだけ忙しかろうが時間を作ってでもやるべき刀の手入れ。多少睡眠時間を調整すれば、そのどちらも最低限はこなせる。そう考えたシライはまず睡眠を取った。一人でできることは不確定要素が少ない。クロホンのアラームは正確だった。その後日課をこなそうと訪れたトレーニングルームで、食事のために入った食堂で、休暇だと喧伝していないおかげで振られる仕事の話題に付き合ううちに、休養をすっかり忘れてのめりこんだのはシライの不手際だ。
このままではいけない。せめて刀の手入れだけでも済まさなければ任務に差し支える。急ぎ足で自室に戻る道すがら思い浮かんだのは、執務室に缶詰になっているゴローの顔だった。
「来室者に気づかないほど集中していたのか?」
「隊長に用だろう? おれの出番じゃねえ。隊長がいるなら警戒する必要もねえ」
「……それはよかったな」
「刀だけにか?」
「違う」
ゴローの執務室を訪ねてきた中には、シライが休みだからということで来た者もいた。不在時には誰かが代わる。組織とはそういうものだ。シライに文句を言うのはお門違いで、分かっているからこそゴローは何も言わない。
ゴローはシライの在室に驚く相手に「シライは休み中だ」と牽制するように言って、必要であれば場所を変えると断った後は、シライをいないものとして扱っていた。おかげで「休養中だが急用なら出る」というセリフは言えずじまいだ。
シライは道具を箱に収め、作業用に広げていた敷き紙を畳んだ。
ゴローは巻戻士全員の顔と名前を覚えている。この分だと直近の任務や成績も頭に入っているだろう。業務内容はクロホンが逐一報告しているにしても、普段話さない相手でも難なく名前を呼び、会話を繋ぐ様子には、創設者の凄みを思い知らされる。シライとて本部を拠点にするメンバーの名前は覚えていたが、ゴローほど自然に思い出せるわけではない。
一段落ついたのか、ゴローが吐息と共に椅子に背をもたせた。立派な椅子はゴローの巨体を受け止めても全く音を立てない。不服を飲み込んだ分くらい当たってくれて構わなかったが、ゴローがそういう男ではないことをシライは知っている。
「……次はおれの部屋を貸してやる。おれがここにいるんだ、この部屋以上に誰も来ない」
「講習の日は留守だったか? 部下を私室に招くのはご法度だろ」
この部屋に入り浸っているのは何なんだ――と言わんばかりのゴローの睥睨を受け流したシライは、立ち上がりホルダーに刀を通した。慣れた重みに心が落ち着く。本部で危険なことなどそうそう起きないが、長年の癖というもので、腰に得物がないのは物足りなさがあった。
壁にかかった時計を見ると、世間で言う夕食時だった。
「You hungry? 夕飯取ってくる。何が食べたい? 隊長が行く時間じゃ選べたことないだろ」
頑健な肉体をどうやって維持しているのか、ゴローは粗食を厭わない。多忙だということもあるだろうが、他の隊員が落ち着けないからと時間を外して食堂に向かうから、そのときにあるもので済ませている状態だ。出前をしてもいいしリクエストだって聞けるというシェフの意気込みは、去年のゴローの誕生日にやっと機会を与えられた。
「……そうだな。頼むか」
「クロホン」
「よしきた!」
シライが呼びかけると、クロホンはゴローの前に飛んでいった。献立を表示させているのだろう。画面を見ているゴローに「今日のおすすめはアジフライ。自家製タルタルソースはエビフライのとは別レシピだってうわさだぜ」と、ソースの分からない情報を付け加えている。
「……グリーンカレー」
「そんなのあるのか」
「あるぜ。人を選ぶ隠れた逸品だ」
ゴローのデスクに歩み寄ったシライが覗き込む前に、クロホンが振り返った。定食仕様なのか、表示されている写真にはグリーンカレーの器だけではなく、味噌汁や小鉢、漬物も一緒に写っている。
「量を作ってないらしくてな。食べたことがない」
ゴローが言うからにはそうなのだろう。シライは自分も見たことがない献立をまじまじと見る。唐辛子マークの数からすると食べられない辛さなのは間違いなく、自分の分はアジフライ定食にしようと決める。
飲み物はドリンクサーバーで済ませるにしても、汁物であるグリーンカレーと味噌汁が二つ。食堂から司令室の隣にあるゴローの執務室までは、フロアをまたがないとはいえそれなりに距離がある。
シライの懸念を察したのか、クロホンがいつにない小さな声で言う。
「汁物三つは高難度だぜ」
「……はっ、誰に言ってる。華麗に給仕してやるよ。カレーだけにな」
- 投稿日:2024年4月26日
- 読み返したらゴローがスクールデスクに座っていて何かの冗談かと思いました。本部は地下にありますが食堂くらい太陽光が入るスペースがないかな。