意外な特技

 首を傾げると、鏡の中の顔も首を傾げた。動いて確かめるまでもなく自分の顔だと分かっているのに、瞳を大きく見せるコンタクトレンズを入れた上に、目を大きく見せる化粧をしているせいで、違和感がすごい。
 プライマーをチューブから出しすぎる、手のひらに残った分をどうすればいいか分からない。コントロールカラーの量が分からない。ファンデーションを塗りすぎる、薄くしようとしてムラになる、どこまでが顔なのか分からなくなる。ルースパウダーを出そうとしてひっくり返す。何度も何度も失敗して、任務じゃないからリトライできずに顔を洗って、また最初からやり直して。ベースメイクが終わって、カラーメイクもベースメイク以上に迷いに迷って、失敗して、またベースメイクからやり直して――――……既に三時間が経過しているのに、できたのは顔半分だけ。それでもヨーチューブで見た通り、左目は何もしていない右目よりも相当大きく見える。まるでトリックアートだ。
「スマホン」
「はいっ」
「……うまくできてるかな?」
「写真を撮って、左側の顔をベースに右側の顔を修正したものを表示させましょうか? 人の顔は左右で微妙に違いますから、反転させて合成するより自然な仕上がりになりますよ」
「ああ、頼む」
 二級昇格試験で試行錯誤する中で、初めてする化粧に思いのほか手間取った。幸い操縦室には一度ですんなり入れたし、最終的にエンジンを守る方向に変わったが、また似た機会がないとは限らない。
 器用な方ではない。知識も足りないから、攻略未来クリアルートに至る前の下積みの段階で、思いついたことを実行に移せるようにするためだけのリトライが必要になる。いかだ作りは任務後におさらいした。女の人に見えるようにする化粧も、何も見ずに、少ない回数で成功させられる方がいい。
「できました! どうですか、クロノさん?」
 スマホンが表示させた写真は、鏡で見るよりも違和感が少なかった。これなら女の人に見せかけられるだろうか。最低限、知らない人を騙せる程度には。
「うん、いいと思う。スマホンから見てどうだ?」
「すみません。ぼくは設計上、写真から性別を判定することができません。登録されているクロノさんの写真を元にした判定では、97.8%の確率で同一人物と出ています。これは非常に高い確率で、同一人物であるということを示します」
「そうか……」
 今回目指しているのは「正体を見破られないようにする」ではなく「男と見破られないようにする」だから、要件を満たしているかを確かめるには、AIではない、人の目を借りる必要がある。
「……試してみるしかない。スマホン」
「はい!」
「右側の顔を完成させる。そしたらアカバに連絡してくれ」
「分かりました!」


   ◇


「髪型と顔が合っとらん」
 笑いすぎて疲れたらしいアカバは、天井を仰いでいた姿勢から億劫そうに体を起こして、あぐらをかいた膝の上に肘をついた。もう笑う気力もないのか、げんなりとした目を向ける。
「わしも女の格好には詳しくないが、クロノ、おまえのような髪型をしている女はもっとすっきりした顔をしているじゃろ。顔に合わせるなら髪をなんとかせぇ」
「そうか。アカバに聞いてよかった」
「まだやる気か?」
「そうだな。ヨーチューブにあるおれと近い顔立ちの人の動画は今してるタイプの化粧が多くて、アカバの言うすっきりした顔の作り方は見つかっていない。まずはカツラを買ってこようと思う」
「待て待て! おまえの話じゃと実践は任務時じゃろう? カツラと化粧品、現地調達はどっちが楽じゃと思う?」
「……どっちだ?」
「知らん! ……じゃが前回は化粧品はなんとかなったじゃろ」
 アカバは思い出したくもない、とばかりに唇をへの字に曲げる。ストッキングとスカートをはかせる時の抵抗が一番大きかった気がするが、もしかすると化粧をする時には諦めていただけなのかもしれない。
「クロノさんが見ていた動画を参考に、今のクロノさんの写真に、適した髪型を合成しましょうか?」
「そうだな。頼めるかな?」
「喜んで!」
「……わしもう帰っていいかの?」
 ふよりと浮かび上がりカメラを起動するスマホンの後ろで、アカバがげんなりした顔のまま聞いてくるから、首を振った。待つことが苦手なアカバが逃げてしまわないよう、ぎゅっと手首を掴む。
「アカバも写真を見てくれ。そのために呼んだんだ」
「撮りますよ! ハイ、チー――」
「待て!」
 驚いたところでスマホンのシャッター音が鳴る。聞こえてきたスマホンの嘆きからすると、意図に沿ったものが撮れなかったのだろう。
「わしに撮らせろ」
「なんで」
「絞りもシャッタースピードも適切に調整しています。笑顔を撮影するタイミングも完璧です」
「それじゃ」
 アカバがスマホンに指を突きつける。
「笑顔を撮ろうとするから鮮明なばかりで不気味な写真が撮れるんじゃ!」
「なっ……! クロノさんの笑顔は唯一無二ですよ!」
 アカバに向けられているスマホンの画面には写真が表示されているのだろう。胡乱なものを見るようにスマホンを見るアカバの様子に居たたまれなくなる。
「四の五の言わずに一枚撮らせろ。クロノ、おまえはわしの指示に従え」
 そこからはスパルタだった。
「笑うな!」
「ピースサインを作るな!」
「カメラを見るな! あっち向け!」
「見るなと言うとるじゃろうが! 左を見ろ! 違う、わしから見て左じゃノロマ! 体は動かさんでいい!」
 たった一枚撮るのにどれだけ時間をかけるつもりなのか。引き留めたくせに帰ってほしくなり、そうもいかずに溜め息をつく。シャッター音がしたのはその瞬間だった。
「え?」
 アカバの方に目を向けたところでもう一枚。
 撮れた写真を見ているのか、こちらのことなど気にもせず画面を見ているアカバは、満足そうに笑った。
「ほれ、撮れたぞ」
「あ、うん」
「まったく強引なんですから……」
 解放されたスマホンがこちらに来る、その途中で先に写真を確認したのか、驚いたように目をぱちくりさせる。
「クロノさん……」
 信じられないものを見るような目で見られても、肝心の写真はまだ見ていないのだ。手を差し伸べると、スマホンは手のひらに収まった。
 表示された写真は、自分を撮った写真とは思えないものだった。
 一言で言えば「女の子」だ。
 髪型はいつも通りのツーブロック、服は休日によく着ているTシャツにハーフパンツ。つまり今の格好そのままで、それなのに、女の子が物憂げにしているようにしか見えない。
 スワイプして二枚目を表示させると、長い睫毛に縁取られた人形のような目がこちらを見ていた。唇なんか洗いたてのさくらんぼみたいにつやつやで、あの変な味がするべたべたした液体はこのためにあったのかと納得する。
「どんなもんじゃ」
「……すごいな、アカバ」
「まさかアカバさんにこんな才能があるとは」
 思ったままを伝えると、アカバは得意げに胸を張った。
 そうして用は済んだとばかりに立ち去ろうとするアカバの手を握る。このやりとりをするのは二回目で、振り返ったアカバはまたかと言わんばかりの表情だ。
「髪型を決める。似合ってるかどうかアカバにも見てほしい」

投稿日:2024年5月1日
修正日:2024年5月2日
メイクの順番間違ってて書き直しました。十四歳の肌にコンシーラーいらんだろうとコントロールカラーに変更したけど色選びどうやったんでしょうね。