彼の恋人

アカバもクロノも成人しているという設定です。

「今晩、プロポーズしようと思う。部屋にいてほしい」
「なんじゃいきなり」
「アカバがいつもそう言うから、今先に言った」
 クロノの発言はいつも突然だ。
 食事に行こうとか、映画に行こうとか、動物園に行こうとか。内容は多岐に渡るが、とにかく何の脈絡もなく言ってくる。
 もちろん前触れがあることもある。アカバが食堂にいるときに、向こうからトレーを持って歩いてきたクロノが向かいの席に座るとか、今みたいにトレーニングの休憩中に隣に来て、後の予定を話すとか。
 統計を取ってみれば実はほとんどのできごとに予兆があるのかもしれないが、アカバの中には突拍子もないときの印象ばかりが残っていて、つい定型句のように「なんじゃいきなり」と言ってしまう。
 言ってしまうだけで、アカバはクロノの単刀直入なところは嫌いではない。むしろ回り道を好まない、せっかちなアカバとしては、好ましい要素ですらある。クロノの行動に好ましさを感じていることは、アカバとしては決して認めたくはなかったが。
「相手は……あー……いつも言うとるヤツか?」
「そうだ」
「ほーん」
 アカバは重々しく頷いたクロノの、まるで死地に向かうような顔をからかってやろうかと思ったが、気のない相槌を打つに留めて、クロノが話しかけてきたせいで飲めていなかったスポーツドリンクを啜った。
 話に聞く限り、クロノの交際相手への入れ込みようは相当だ。断られる可能性を考えれば、深刻な顔をするのもやむなしというものだ。
 しかし、アカバの読みでは、クロノのプロポーズは十中八九成功する。心配はするだけ損。女だろうが、男だろうが、どちらでもなかろうが、クロノから聞く頻度でクロノと会う人間が、クロノを嫌っているはずがないのだ。
 アカバはボトルから口を離した。
「当たって砕けろじゃ! 行ってこい、骨は拾うちゃる!」
「ありがとう、おれ、がんばる」
 握りこぶしを向けると、クロノは硬い表情のまま頷いた。
 ここでこぶしをぶつけてこないところが、クロノの対人関係の相変わらずのぎこちなさを端的に表している。アカバはボトルのキャップを締めながら、足早にトレーニングルームを去るクロノの背中を見送った。
 十年とまでは言わないが、アカバとクロノの付き合いはそれなりに長い。任務で会わない期間もあるし、逆に任務で数年分顔を突き合わせ続ける期間もあって、巻戻士の時間感覚は狂いやすい。その上で、長い付き合いだという自認のあるアカバですら、クロノの人との距離の取り方はいまいち把握できていない。
 恋人との関係が、プロポーズをするところまで行っているのは意外だった。
 クロノが今の恋人と付き合い始めた時期は定かではないが、クロノのデートの予行に付き合わされた時期は何となく覚えている。あれを境に、クロノのノロケ話を聞く機会が露骨に増えたのだ。一致していると考えてまず間違いない。
 わしを練習台にするのもいい加減にせんか――と、冗談めかして言ったときの、クロノの慌てようはおもしろかった。アカバとてクロノと出かけるのが楽しくないわけではないから、冗談だと言って場を収めたが、あの後しばらく、クロノがやけにアカバの希望を聞いてきていた。
 短期間に連続で水族館。クロノは生き物が好きだから苦にならないのだろうが、アカバだったら御免こうむりたいスケジュールだった。まったく恋というものは人を愚かにする、とアカバは訳知り顔で頷いて、トレーニングを再開すべく立ち上がった。
 階級が上がって以降、任務と任務の間こそ空いても月月火水木金金になりがちな勤務形態で、クロノと休みが重なったのは、奇しくも三連休の中日だった。混雑しているせいで説明書きのパネルどころか水槽もろくに見えない中、出会った頃よりも低くなった声でクロノが語る、遠い海の世界の話は心地よかった。
 万一フラレたら慰めてやろう。丁度いいことに貰い物のワインがある。自分では買わない価格帯で、たぶんクロノが好きな味だ。じっくりゆっくり飲むのが性に合わないアカバは、実はテーブルワインの方が好きで、貰ったものの飲む気になれず、寝かせていたのだ。
 自分の心拍数を確かめたアカバは、予定したペースで上がっていることを確認してほくそ笑んだ。アカバと出かけたときですら写真を撮りたがるクロノの端末は、恋人の写真を収めるには容量が足りないに違いない。長くなりそうで見るのを避けてきたが、成功するにしろ、失敗するにしろ、一晩中恋人との思い出話を聞いてやるのも悪くはなかった。


   ◇


「――なんじゃ、もう来たんか」
 ノックの音を聞いて、時計を見て。
 アカバは外から声が掛かる前に、来訪者をクロノだと見当付けて、部屋のドアを開ける。立っていたのは予想通りにクロノだった。
 任務で着ているものとは違う、めかしこんだ感のあるスーツにネクタイ。憧れの人に近づきたくて、シライに使っているテーラーを聞いたときに、店の名前をメモに書きつつ「クロノが知ってるから、分からなかったら一緒に行ってこい」と言われた記憶が掘り起こされる。
 ノロマのくせに最速記録、などとからかえる状態ではないかもしれない。アカバは出会った頃ですらなかったような、ガチガチに固まった顔をしたクロノを部屋の中に入れてやるつもりで、ドアを大きく開いて道を避ける。ワインはたぶんまだ冷えていない。別の酒で間を持たせるか。
 クロノが膝から崩れ落ちた――と思ったのは気のせいだった。
 床に片膝をついたクロノが、隠し持っていたらしい花束を、アカバに捧げるように胸の前で持つ。美しさを競い合うように咲いた真っ赤なバラの花。クロノは真剣な顔をしすぎて、睨んでいるように見えたが、アカバはそんな細かいことを気にできる状態ではなかった。
 頭の中を「まさか」の一言と、今までのクロノとの思い出が、走馬灯のように巡っている。心拍数は走っているときの比じゃない。
 一回目のはずなのに、クロノが何を言うのか分かってしまった。
「アカバ、おれと結婚してください」

投稿日:2024年5月15日
2024年5月14日にTwitterで呟いたネタから。書いといてなんだけどアカバは察しが良いと思います。