猶予期間
覚悟していた以上にやることが多かった。
ゴローの部屋に戻ったシライは、ドアを閉めてから息を抜いた。まさかゴローの部屋で落ち着ける日が来るとは思わなかった。誰も座っていない椅子の背もたれを正面に見て、胃が重くなった原因を、昼飯を掻き込んだせいにする。
まとわりついてくる重みを置き去るつもりで足早に歩いて行ったシライは、机の前まで来てから入り口を振り返り、机の端に尻を乗せた。いつもなら背後から聞こえる「邪魔だ」という声は聞こえない。シライはゴローのいるときにしかゴローの部屋に入らなかったから、フィクション・ノンフィクションを問わずに言われる「今にも故人が帰ってきそう」という感覚は得られなかった。
音を消すために秒針を止めてある時計に、出入りの業者のネームが入った壁掛けのカレンダー。部屋の主が不在な以外、見える景色はいつもと変わらない。
ゴローが遺した手順書の作成日は、スパイ疑惑が持ち上がるよりもずっと前の日付だった。シライはゴローにいつから自分の死を予期していたのかと恨み言を言いたくなったが、反論の機会を与えないのは不公平な気がして、口には出さなかった。自分が黙っていることが空気を重くする一因になっていると分かっていても、必要な指示以外のことをしゃべる気になれず、一人になった今は安堵すら感じている。
シライはポケットを探って鍵を取り出した。
ゴロー名義の貸金庫の正鍵は、契約したその日からシライに預けられている。
個人口座だというのに、ゴローは親類でも何でもないシライを代理人に指定した。中身はシライ宛の手紙だ。たったそれだけのために、ゴローは安くない利用料を払っている。
シライは鍵を眺めるだけ眺めてポケットにしまった。
「鍵を持たせた意味がねえな。もったいねえ」
手紙に何と書いてあるのかをシライは知らない。契約者が死んでしまったから、貸金庫はもう、シライだけでは開けられなくなってしまった。相続人に見られてもいいような内容だろうから、ラブレターではないことだけは確かだ。
シライが上司に向ける以上の好意をゴローに向けていることに、ゴローは気づいていただろう。ああ見えて情に厚い――いや、冷酷なふりをしただけの情に満ちた男であったから。
ゴローを峻厳な男だと思っているのは外部の人間だけだ。時空警察という組織の一部隊でありながら、特殊機動隊が過度の干渉を受けずにいられたのはゴローのおかげで、シライはゴローを失うことの意味を、心情的な面以外でもじりじりと感じ始めている状態だ。この後も面会の約束があった。
告げずに済んだと思うにはまだ早い。
シライは試しに口に出そうとした言葉を飲み込んだ。下手に口にして、滑りが良くなると困る。
クロノが受けた激励は「全員救え」だというのだから。
- 投稿日:2024年7月6日
- 過去が修正された場合に人々の意識がどうなるのかがゴロー救出編で明かされると思ってるんですが、それはトキネを助けた場合に今までのクロノの努力がどうなるのかということの答えでもあり、すごくどきどきします。