手探り
「あのな、クロノ」
おれの言い方が悪かった、とベッドの上で天井を見上げていたシライは反省した。師匠業を始めたばかりのころは己のやり方を省みることが度々あったが、クロノが巻戻士に入隊して以降はしていなかったから、久しぶりの反省だ。
気持ちいいところはどこかと聞かれて、探してみるか? と誘いをかける。シライとしてはクロノの巻戻士としての攻略スタイルに引っ掛けた戯れのつもりで、まさか全身くまなく口づけられるとは思っていなかった。やるとしても、首筋とか、乳首とか、そういうオーソドックスなところを試しに触ってみるくらいだろう――というのは天井を見ながらシライが考えていたことで、これはクロノの総当りの探索の適用範囲を見誤っていたシライの主な反省点だ。
今止めないと、たぶんひっくり返されて背面からも同じ目に遭わされる。もっと盛り上がってからなら背中も楽しめるかもしれないが、今ここで触られても反応しきれない。真剣そのもののクロノに水を差すのは気が引けるが、訓練ではないから構うまい。
「動くのやめろ、ちょっと待て」
言うと同時に、シライは肘をついて体を起こした。
「一寸刻みに触っても、一瞬で反応出るとこなんかなかなかねーぞ」
シライの反応が薄いせいもあるだろうが、クロノは唇を寄せてみるだけで愛撫らしいことを継続しないから、そっと触れられた乳首ですら性感を得るところまではいっていない。このままだと、昼寝している腹の上をバッタやカナヘビが横切って行ったような心持ちで横たわり続けることになりそうだ。
「そうなのか」
「おう。ちんこだって握った瞬間に気持ちよくなるわけじゃねぇだろ。だから、おれもおまえのを舐めるとこをじっくり見せた」
「あれ恥ずかしいから嫌だ」
「ガチの嫌?」
「ガチの嫌。おじさんがエッチなことしてるの見るのは居た堪れない」
「それ、おれとヤらねえ方がよくねえ?」
「セックスは恥ずかしいことをするものだって、おじさんが言ったんだろ」
しかつめらしい顔で出されたコメントは確かにシライの言ったことだ。シライはクロノの顔を注視して、一切拾い損ねるべきではない中止サインが出ていないことを再確認する。
セックスって具体的にどんなことをするんだ? と聞かれて始めた行為だ。手頃な映像作品を見せるのは正確性に欠けるから実演と相成ったが、シライとて、自らの手順に絶対の自信があるわけではない。互いにその気があって、行為をすることに同意したからという理由は、巷にあふれるセックスの動機よりも余程フラットで公正ながら、今後クロノが他の誰かと関係を持つときの枷になる気がしないでもない。
「恥ずかしいの、されるのよりする方がマシか? 今みてぇに」
「……そうかも」
体を起こしながらシライが尋ねると、クロノはしばらく考えた末にこくりと頷いた。まあ確かに受け身は手持ち無沙汰だしな、とシライは納得しながら自分も頷く。任務中の脳をフル回転させている状態に比べると、セックスは退屈だ。それこそ目の前の相手に夢中になれない限りは。
「いくら唇が性感帯とはいえ、今のままじゃおまえも気持ちよくなれねーだろ」
ベッドの上であぐらをかいたシライは、クロノの顎の下に手を添えて、不機嫌でも上機嫌でもない、ただ閉じられているだけのクロノの唇をむにりと親指で押さえる。このまま撫でて含ませて、そこから攻守を交代したい。シライとて、一方的に愛撫を受けるのは好むところではないのだ。
「こういうのは焦らしプレイって言わないのか?」
「それどこで聞いた?」
クロノの口から聞くと思わなかった単語だ。
シライが怪訝な顔をすると、クロノも一緒になって首を傾げる。
クロノに限って覚えていないということはあるまい。シライがそれこそ焦れた気持ちでクロノを見つめていると、やがてクロノは「する前に調べた」と答えを口にした。
「なんで今答え渋ったんだよ?」
「おじさんが前に、会話の主導権を握りたいときはすぐに答えない方がいいって言ってたから」
「今の答えこそ渋るべきやつだろ」
苦笑しながらシライが離した手を、クロノがぱしりと掴んで止める。まさかまだ探索を続ける気か、とシライが目顔で問うのに、クロノの表情は動かない。
「もう一度聞くけど、おじさんの気持ちいいところってどこなんだ?」
「そんな簡単に言えるものじゃねーんだよ」
肩を竦めて、シライはクロノの手の中から手首を抜き取った。シライに倣って座り直していたクロノは、空っぽになった手で自身の膝頭を掴み、口を尖らせる。
「教えてくれないなら今みたいに探すしかないだろ」
「コマ送りにか? それは困るな」
小さい頃から変わらないクロノの探究心は可愛らしくもあったが、好きにさせた結果どうなるかは目に見えている。愛しさから来る笑みを漏らしそうになったシライは、懐かしさに囚われるとこの先に差し支えることに気付いて気を引き締めた。
「別に隠してるわけじゃねぇ。気持ちいいところってのは相手によっても変わるし、その時の気分でも違う」
「そんなに変わるのか」
「いくらカレーが好きだからって、毎食カレーは食わねえだろ?」
シライは言ってから上手い例えではなかったことに気付いたが、クロノはシライの言葉を飲み込もうとしているのかいないのか、お馴染みのぬぼーっとした顔でシライを見つめている。
仕方なく、シライは言葉を探した。
「昼に熱い味噌汁を飲んだとする。で、舌をやけどした。そこが気になる。……分かるか?」
「分かる」
「じゃあ、さっき、おまえはおれの手首を掴んだ。そのときにおまえが何かしらやらしーことを実行したとする。次に手首を掴まれたとき、おれはそれを思い出して期待するかもしれない」
「……そうなのか?」
「なってみねぇと分からねぇけど、でも、そういうことだ。性感帯ってのは皮膚感覚に限った話じゃねえ。『どこが』よりも『どうやって』の方が重要なときもある」
考え込んでしまったクロノを見て、シライはクロノに預けていた舵を取り直す。
「ちょっとやり方を変えるか」
「いいけど……」
「おれがおまえの体に触れる。で、おまえはその感覚を覚えておけ。おれの方も最初の焼き直しにならねえように気をつける」
頷いたクロノの肩に、シライは手を置いた。鍛えているとはいえ些か頼りない肩に、じわりと体温が馴染んでいく。ちら、とクロノの視線が肩を向く。
「焦るなよ。これは訓練じゃねえし、覚えられなかったら何度でもやってやる。いつやめてもいい」
「分かってる」
シライは自分の手をクロノの肩から首筋へ、そして耳の後ろへと滑らせた。緊張のためか静かになりすぎているクロノの呼吸に、自分の呼吸を合わせる。まだひやりとしているクロノの耳をそっと押さえながら、耳の後ろをすりすりと指の腹で撫でる。くっとクロノの眉頭が寄った。
「感じたことをそのまま言ってみろ」
「……くすぐったい」
「それだけか?」
「少し、気持ちいいかも」
クロノの回答は素直だった。
「でも、おじさんはどうなんだ? 耳は気持ちいい?」
不審そうに向けられた視線を受けたシライは、諦めて、少しだけ情報を漏らすことにした。
「耳もいいけど、おれの場合は……」
クロノの体から手を離したシライは、自分の首の付け根、鎖骨の上あたりを指でなぞった。指でなぞったところをクロノの視線が同じように辿る。それが何となしにくすぐったい。
「この辺だな。自分で触っても何も感じねぇけど、さっきおまえが触ったときはよかった」
「え」
驚いた顔をしているクロノにシライは笑いかける。
「言ったろ、一瞬で反応は出ねーって。それからどこだろうな、ありがちなところは置いとくとして、背中も案外いけんじゃねえか?」
「背中とかありなのか」
「刺激に慣れてねぇ部分は基本的に敏感なもんだ」
「でもおじさん、昔おれのことおんぶしてくれただろ」
「人間、意識してるときは大丈夫なようにできてんだよ。いきなり背中を指でつーって撫でられたらくすぐってぇだろ?」
意識させられているからこそ感じることがある、というのは黙っておく。今両極にあるものを詰め込むと、クロノの脳内処理が大変だろう。シライの思惑など露知らず、訓練さながら、真剣そのものの顔で言われたことを覚えようとしているクロノを見て、シライは笑みを浮かべながらクロノの頬に手を伸ばす。
「クロノ、こういうのは暗記するもんじゃねえんだ」
「でもおじさん、さっき覚えろって言ったじゃん」
「言葉じゃねえ、感覚を覚えんだよ」
シライはクロノの唇に軽く触れた。クロノがはっと息を吸うのを感じながら、抵抗しないことを確かめる。そして、ゆっくりと唇を合わせていく。一度は緩んでいたクロノの体の緊張を解すために、努めて優しく腰に手を回す。緊張はいくらか緩和されたものの、体重を預けられることはなく、それがまた愛らしかった。
キスを終えると、クロノの目には今までと少し違った光が宿っていた。好奇心と、少しの興奮。情欲とまではいかない、それでも子供のきらめきとは違う輝きだ。
「今のはどうだった?」
「……温かかった」
率直すぎる感想に、シライは唇を合わせていたときとは別の種類の温かさが胸に広がるのを感じた。
「おじさん、もう一度試してもいいか?」
静かに、抑え気味に。
真っ直ぐに見つめてくるクロノに、シライは短く承諾を返した。
軽く触れ合わせるだけのキス。そこから、あえて動かずにいるシライの首筋に、クロノが唇を寄せる。それから鎖骨へ、つまりは先ほどシライが自らの性感帯だと明かした場所へと移動する。確かめるように、慎重に。一瞬で反応するものではないと言ったからか、クロノはシライの方が焦れるほどにゆっくりと唇を押し付ける。シライはクロノの腰に回したままの指先が緊張しないように苦心した。
「……これでいいか?」
顔を上げたクロノがシライに尋ねる。
「ああ」
シライは、答える自分の声が少し掠れていたのに気付いた。
「おまえはどうだった、クロノ? セックスだってんなら、おれだけ気持ちいいのは違うだろ?」
「おれは……」
シライから目を逸らしたクロノは、変化を探るように自分の体を見下ろした。ぺたりと裸の胸に手を当てて、息を大きく吸って吐く。
「ドキドキしてる。けど、これが気持ちいいかどうかは分からない。どちらかと言えば不安だ」
「そこまで分かれば上出来だ。一回で分かるもんじゃねえからな。少しずつ自分のやり方を見つけていけばいい」
「おじさんは」
「おれだってドキドキしてる。確かめてみるか?」
シライが軽く腕を広げると、クロノは先ほどの慎重さとは打って変わって、子供のような遠慮のなさでぺたりとシライの胸に手を触れさせた。
少し早まった心音を二つ三つ感じられるだけの時間が、無言の二人の間に流れる。
「……本当だ」
「だろ」
シライは自分の胸を見下ろす。爪を短く切り揃えた丸い指先。ここから手をずらして愛撫に変えることなど考えもしない純真さ。
「……もう少し、続けてもいいか?」
顔を上げると、キラキラとしたクロノの目が向けられた。コツが分かった上で、もう一度探られるとまずいかもしれない。
「いいに決まってんだろ」
そう思っても、シライに断るという選択肢はなかった。
- 投稿日:2025年5月7日