後夜祭の代わりに

 出すものを出した後なんか何もかも放ったらかしにしたいだろうに、まめで真面目なクロノは後戯を忘れない。シライの呼吸を阻害しないようにか、クロノは唇ではなく額や頬に口付けるから、毎回シライは口にもキスしてほしくなって、クロノの頭を抱き込み欲しいものを奪い取る。体勢の苦しさなど知ったことではない。クロノはシライの肺活量を押し付けても大丈夫な相手だから、シライはクロノが自分の体で達したという幸福感を噛み締めながら、好きなだけクロノとのキスを堪能できる。
 触って触られてをしているうちに、もう一回してもいいと思ったのはシライだけではなかったようで、クロノはシライを再びベッドに押し戻した。

「だーめーだ、やめろクロノ!」
「なんでだよ。おじさんいつもするだろ」
「おれはおまえにされたくねえの。ったく、なんだよ、いつもしねえだろ」
 シライは自分の股間に顔を埋めようとしていたクロノをすんでのところで制止した。両手で捉えたクロノの顔の、近頃精悍さを増してきた頬をもにもにと揉む。おかげで唇を尖らせることもできず、やりたいこと全てを遮られたクロノの顔は不満でいっぱいだ。
「……気持ちいいから」
「は?」
「おじさんが舐めてくれるのが気持ちいいから、おれもおじさんにしたいと思った」
 意外な理由だった。シライが返す言葉に迷っていると、クロノの短い眉毛がハの字になる。心配。不安。眉間に寄せられた小さな波間に後悔が浮かんでしまう前に、シライは首を振った。
「しなくていい」
 シライは自分がクロノに対して抱いているイメージが、時々ちぐはぐになることを自覚している。
 一回り下の十歳のクロノと、初めて会った日のクロノ。そして、今目の前にいるクロノ。この戸惑いはたぶん、クロノがシライの性器を舐めたい理由を告げるときの拗ねた様子に、手に余る仕事を背伸びして手伝おうとする子供を重ねて見たような、そんな気分から生じている。クロノはシライが今までに関係を持った相手と比べて、純情かつ真摯すぎるのだ。
 クロノの不満顔はまだ解消されない。
「やったことないから下手だと思うけど、習得してみせる。それともおじさん、フェラチオされるの嫌いなのか?」
「それ以上言うな」
 たった今純情さを感じたクロノの口から聞きたい単語ではなかった。
「習得させる気はねーよ。言ったろ、されたくないって。ちんこは口に入れるもんじゃねえんだよ」
 シライはずりずりと腰を引き上げる。このままクロノの口の届く範囲に自分のものを置いておくのは危ない。小さなお子様が口に入れる可能性があります、手の届かない場所に置きましょう、だ。
「おじさんの初めてっていつ? どれくらいした?」
「なに、おまえ人の遍歴気にするタイプ?」
「おれ人を好きになったのはおじさんが初めてだから、気にするタイプかどうかは分からない」
 あまりにも毅然と返されて、シライは言葉を失う。
「おれ、言ってなかった?」
「いや……知ってた……」
「巻戻士になるまでずっと一緒だったもんな。クラスの女子は何か言ってたみたいだけど、おれそういうのなかったし」
「普通そんなもんだろ」
「おれもそう思う。だから初恋が今になったことは気にしてないんだけど、上手くなる機会がなかったのは気になってる。だって、上達は回数こなすのが一番だろ」
「……」
 数をこなすのが一番。それはそう。だからシライはセックスが上手い。世の中大抵のことは上手い方がいいのだ。相手のセックスが下手であることに興奮を覚えるなんて、変態以外の何者でもない。
「おじさん、自分が言ったことだろ」
「……言ったけど、そんときはセックスの話じゃなかったろ」
「セックスだけが別ってことあるのか?」
 しかし、残念なことにシライは変態で、クロノの下手くそで一生懸命なセックスが好きだった。クロノは記憶力がよく、思考が柔軟性に富んでいるおかげで上達してきてもいて、当たりどころは見事にシライ好みを押さえている。もう少し下手なままでいてほしいと思う一方、シライの手綱を振り払ったクロノに好きにされるのも悪くないとも思う。シライはセックスに限らず、クロノの成長過程全てを味わえるという幸運に浴している。
「……それで、おれの経験か」
「おれおじさんしか知らないけど、何されても気持ちいいから、おじさんは上手いんだろうと思ってる」
「さあ~~~~分かんねえぞ、クロノおまえ他のやつとヤッたことねえだろ? 比べてみるか?」
「機嫌損ねることを聞いたのは謝るけど、当てつけでも自分が傷つくことは言わない方がいいぞ」
 シライのあからさまな挑発に乗らず、クロノは諭すように言った。
「本当によくできた後輩だよおまえは。……いつが最初で、何人だっけな。覚えてねえな。……別に隠してるわけじゃねえぞ?」
「うん。……分かってたけど、一人二人じゃないんだな」
「だから言いたくねえんだよ。今さらどうしようもねえからな」
 予想は当たって嬉しいことばかりではない。視線を下げたクロノの頭にシライは手を伸ばした。今さらどうしようもない、というのは自分に言い聞かせる言葉でもある。
「ごめん。おれ中学生のおじさんに会えるタイミングあったから、惜しい気がしただけ」
「おれが慣れてるおかげでおまえが気持ちよくなれてんなら、人生長ぇのも悪かねえな」
 刺激的な人生の中で今もなお一番だと言える、十五歳当時の鮮烈な記憶を脳裏に描きながら、シライは笑った。シライとて、あの日のうちにクロノとセックスをするというのを妄想したことがないわけではない。シライを初めて抱いた日、クロノは「ずっとこうしたいと思ってた」と感極まった様子で言ったが、長く生きている分、シライの思いの方が年季が入っている。
「……おじさんのしたことないことって何?」
「セックスの話か?」
 クロノはこくりと頷いた。話の流れからすればそうだろう。
 巻戻士という職業は、普通に生きていればしないような経験が豊富にできる。一体この世の何人が、飛行機を操縦して数か月も経たないうちに大企業の入社試験を受けるだろう。
「やりたいことがあるなら付き合う」
 そう言われても、シライの趣味はノーマルだ。クロノ相手ならNGなしの看板を掲げて特殊プレイをやってもいいが――と思ったところで、先ほどNGを出したばかりであることを思い出す。まっすぐ向けられるクロノの瞳を見つめ返しながら、シライはやったことのない、クロノとやりたいプレイを思いつこうとする。
「……ないのか?」
 シライの長考に焦燥感を覚えたのか、膝一つ分の距離を詰めたクロノの必死さを感じる表情に微笑ましいという感情が湧いて、シライはそれを胸にしまう。クロノとしては一大事だろう。クロノの初めてがもらえたことが嬉しいシライとしては、好いた相手の初めてを得たいクロノの気持ちが痛いほどに分かる。おれの初恋はおまえだよ、と口にするには小っ恥ずかしいことは、にやけないために噛みしめた奥歯ですり潰して飲み込んだ。
「今ので満足してる。改めてしたいようなことはねえよ」
 初恋なんて単語を思い浮かべたせいで蘇った感傷に、シライはセックスの最中に味わうものとは違う疼きを覚えて、表情を取り繕い損ねる。それをクロノが見逃すはずはなく、無言のまま「言ってくれ」と熱意のこもった視線を向けられる。
 求めるクロノを焦らすのはいくらでもできたが、今のシライにあるのはただの躊躇いだ。
「……花火」
「花火?」
 言ってしまったものは仕方ない。シライは片膝を引き寄せて、その上で組んだ腕に頭を預けた。
「短針中の後夜祭、花火が上がんだよ。あんないい場所で見られる機会なんかなかなかねぇから、おまえらを案内したかった」
 地下にある巻戻士本部にも夜という概念は存在して、夜間は起きている人間が少なくなる。二十四時間働けるシライだって夜は寝るものだと思っていて、夜番の順番が回ってこない限りは自由にしているが、セキュリティ上の理由で外出は難しい。厳禁というわけではないながら、広報誌に載る花火大会のスケジュール表は、交通情報の把握以外に用途がない。
「恥ずかしいこと言っちまった。忘れてくれ。そういやケツに花火挿されんのは――」
「やろう、花火!」
 照れ隠しにろくでもないことをしゃべりだしたシライを遮って、クロノはシライの手を握った。

   ◇

 巻戻士本部の屋上に立っていると、地上を走る車の音がよく聞こえる。本部は大通りに面しているおかげで日没後も人通りが絶えることはなかったが、行き交う人々はまさか屋上で花火が行われようとしているとは思わないだろう。
「ほれクロノ、頼まれた空き缶、食堂でもらってきてやったぞ」
「ありがとうアカバ。バケツはどうだった?」
「それも借りれた。レモンが自分が持つと言って聞かんかった。子供じゃ」
「アカバは走るから危ない」
「水をこぼさずに走るくらいできるわい」
「助かったよ、レモン。そこでいいから置いてくれ」
 クロノはアカバとレモン、二人が入ってきたスチールドアをもう一度見る。同じドアをくぐって階下に降りたシライはまだ戻ってきていない。
「シライさんはまだ戻らんのか?」
「うん、隊長を説得するって言ってたけど」
「なんじゃ、見切り発車とはシライさんらしくないのう」
「手持ち花火の許可は出てるんだ」
 クロノの足下にしゃがみ込み、花火の入ったビニール袋の中をがさごそと探っていたアカバは、明らかに様子が異なる打ち上げ花火の筒を見て合点がいった顔をした。おもちゃ花火とはいえ場所が場所。閉館しているはずのダミーの本部に衆目が集まるのはよろしくない。
「クロノ、火の用意はある? なければわたしが付けられる」
「大丈夫だ、ライターがある」
 クロノはポケットに入れていたオイルライターを取り出して見せる。ろうそくは花火に付属のものを使うつもりで、アカバに頼んだ空き缶は風除けだ。
「シライさん、煙草なんか吸うとったか?」
「ああ、これ、シライおじさんのじゃなくておれのだ」
「はあ? 何に使っとるんじゃ?」
「ビューラーあぶるのに使ってる。おれ、まつげ下向きだから」
 疑問に答えたのにまだ何か聞きたげにしていたアカバは、屋上ドアが開く音を聞いてぱっとそちらに顔を向けた。手ぶらの――と言っても刀は下げているが――のシライが、特に急ぎもせずに歩いてくる。
「シライさん! お疲れさまです!」
「おう、待たせたな」
シライおじさん、隊長どうだった?」
てんでだめ。隊長ハゲなのに怒髪天で参ったぜ」
「シライの態度が成功率を下げている」
「んなことねえよ、レモン。あれは真面目に頼んでもマジで無理なパターンだ」
 無理だったと言いつつもシライの機嫌はいい。先に始めててもよかったのに、と言いながら、未開封の花火の袋を引っ張り出してレモンに渡す。空き缶の底を切るように言われたアカバは張り切って刀を抜いた。
 おれだけ過去にこだわってるのも何だろ、とシライが言ったものだから、クロノはアカバとレモンには短針中の後夜祭のことは明かしていない。いつかシライが言いたくなったときに、自分で言えばいいと思っている。それが後輩相手に格好つけたいシライの気持ちを尊重しているからなのか、格好つかないシライを自分だけのものにしたいからなのか、クロノは自分の心を決めかねている。
 手を切ると危ないから、と保護者ぶるシライからレモンが缶の底を取り上げて、アンドロイドである自分の方が安全だと言う。純然たる事実を前に何とも言えない顔をしているシライを見たクロノは、シライを無視したレモンが差し出すろうそくを笑いながら受け取った。

投稿日:2025年1月23日
着地点はここじゃなかった気がするんですけどここに着地してしまいました。恋愛としてはクロシラで書いているのですが、シライにとって三人は同じくらい大事だといいなぁと思います。