また今度
「アカバって惚れっぽいよな」
スノーボードの板を見に行った帰り道、大通りを歩いていた時だった。
驚いたアカバは発言の主に目を向けたが、クロノが見上げているのは交差点に面した巨大なデジタルサイネージ。深夜帯であろうと何かしらの広告映像が流れているそこは、アカバが見上げたときには太いゴシック体で公開日が表示されていた。
映画のプロモーションということは分かったが、どういう内容の作品なのかまでは分からない。こいつはまた妙な思いつきでしゃべっとるんじゃな、とアカバは自己完結型なために突拍子のないものになりがちなクロノの行動を解釈した。
「何を根拠に言うとるんじゃ」
「だって、アカバはおじさんのことも好きだったろ」
「過去形にするな。今も好きじゃ」
アカバは即座に訂正する。好きの種類が異なるにしろ、一般常識に照らして考えると曲がりなりにも恋人であるクロノに対して言うことではなかったが、アカバはもちろん、クロノもそんな常識には囚われない。クロノは気分を害した様子もなく、アカバの発言を受け止める。
「アカバがおじさんを好きになったきっかけって、助けられたことだろ」
「あれでシライさんを好くなと言う方が無理じゃ」
アカバはクロノに、シライに助けられたできごとの詳細を話していない。知りたければ巻戻士本部に保管されているミッションレポートを読めばいいというのが一つ、もう一つは、シライとの思い出を自分だけのものにしておきたい気持ちがあるからだ。始終見ていたクロホンのことは別として。
「それで、アカバがおれを好きになるきっかけは、おれがアカバを諦めなかったからだ」
「違う」
「え、違うのか」
「それはわしがおまえを認めるきっかけじゃ。正確にはその少し前じゃが」
目と耳をアカバに向けるあまり他のことが疎かになっているクロノの腕を、アカバはぐいと掴んで引き寄せた。たたらを踏んだクロノは、アカバが腕を引かなければ衝突していた街路灯を横目で見て、それからアカバに目を戻す。危機を回避した今も、アカバはクロノの腕を離さない。苦虫を噛みつぶしたような顔をしてから、クロノの腕を掴む手を下にずらす。アカバの手が手首に触れたところで、アカバの意図を察したクロノは自分から迎えにきた。
「何というきっかけはない。わしがおまえと付き合うとる理由は、おまえがよそに行くのが気に食わん、それだけじゃ」
クロノの手を握る力を強めたのは、口にする台詞の恥ずかしさからだ。クロノの手には厚みがあり、顔がぬぼーっとしているだけで、任務や訓練に励んでいることが分かる。アカバがクロノと組んで任務をこなす機会は久しくなかったが、過去の数回のうちに、手のひらが硬くなる理由を想像できるだけのクロノの行動は目にしてきた。人の腕を掴むときは遠慮がないくせに、手を繋ぐとなると控えめにしか力を入れないのは最近知ったことだ。
五センチ差の身長は手を繋いで歩くのに何の支障もなく、アカバは繋いだ手を意識の外にやった。寒ければ温かさを、暑ければ暑苦しさを感じてしまうところだが、風が吹いてやっと秋だと感じられる今なら、難しいことではなかった。
「わしは惚れっぽくない」
物事には、そこに至る理由がきちんとある。アカバはまだ、自分がクロノの首に自分の名前を書いた札を掛けておきたい理由を見つけられていないが、クロノとの交際が正解のルートだという確信があった。
朝晩顔を合わせる他の人間に関係を悟られたことがないくらい、衝突の多い交際だ。だが、不思議と目指す方向は同じで、どうにか別れず続いている。今日ボードを見に行ったのだって、前に泊まりがけで一緒に遊びに行ったことがあるからこそだ。アカバとクロノはスタート地点に戻ることなく、小さな「また今度」を繰り返している。
「おれの思い違いだった。すまん」
「別に怒っとらん。謝られる筋合いはない。……そういうおまえこそどうなんじゃ」
今でこそクロノの交友関係は広がっていたが、アカバが出会った当時、クロノは師であるシライを除けばろくに付き合いを持っていなかったように思う。その証拠に、クロノは任務が休みの日は寝る以外のことをしなかった。
「付き合いが長ければ愛着も湧くもんじゃ。わしが好きじゃというのは単純すぎやせんか」
「長さだけが理由なら、おれはおじさんを選ぶはずだ。おじさんのことは好きだけど、アカバと会うのはどきどきする」
笑顔を作ろうとしたのか、ちらとアカバを見たクロノの口元に緊張が走る。大抵の場合けろっとした顔をしているくせに、時々こうして感情を垣間見せる。それが、ずるいと思う。
「わしが散々殴ったからじゃないか?」
「おじさんに殴られたことだってあるぞ」
シライのことを考えるのが安定剤になるのか、クロノの表情はすぐに凪いだ。
「おれはアカバが好きだ。アカバがおれを好きなのと同じくらい間違いない」
ユーズド品の取り扱いもあるというショップは、メインストリートから大きく外れた場所にあった。大手スポーツショップにしなかった理由は、工房を併設しているその店が、軽微な修理やメンテナンスは即日で対応できると書いていたからだ。都市開発から取り残された区画はサイケデリックとレトロが同居していて、他の町で見れば目を引いたかもしれない店主の見た目は、町によく馴染んでいた。
ボードの送り先を入力するとき、クロノは自分宛にまとめていいかと尋ねてきた。巻戻士本部の、隣同士の部屋。付き合う以前からの寮生活だから何でもないはずなのに、何も知らない人間が見れば同棲しているように見える住所であることを、今さら意識した。入力を再開したクロノは、アカバが承諾した理由を気付いているのかどうか。タブレットに入力するクロノの横顔が嬉しそうに見えたのを、欲しいものが手に入ったからだと片付けてしまいたくてもできなかった。
「仮にわしが惚れっぽいならどうするつもりなんじゃ」
地下鉄の入り口で、安全のためというふりでアカバは繋いだ手を解いた。一足先に行きかけて、解いたことを気にしてやいないかとクロノを振り返る。
「この先アカバに何かあれば、絶対におれが助けに行く」
「……バカじゃな」
逆光だというのに、クロノが真面目くさった顔をしているのが分かってしまって、アカバは苦笑した。
- 投稿日:2025年11月19日
- 同じような話が続いてしまった。ストリートアクスタのイラストが好きです。